デクラン・P・オコナー
2025年3月6日
Ⅰ. 高地砂漠の呼び声
去年の夏、私は名前のつけられない何かを探しに行った。静寂かもしれない、明晰さかもしれない、あるいはニューヨークでの生活を定義するスクリーンと通知の絶え間ない喧騒からの一時的な休息かもしれない。それが何であれ、私はデリー行きの飛行機に乗り込み、さらに小さな便でインド北部ヒマラヤの辺境、ラダックの埃っぽい中心地レーへと向かった。旅行ブログを読んでいた――ラダックは「最後のシャングリラ」、僧院と月面のような風景が広がるトレッカーの楽園だと。私はブーツと日記を詰め込み、標高3,600メートルが頭の中で渦巻くものを解き放ってくれるかもしれないという漠然とした希望を抱いた。
レーへの降下は衝撃だった。飛行機の窓から見えるヒマラヤは、くしゃくしゃに丸めた地図のようで、鋭い縁と荒涼とした広がりだけがあった。エメラルド色の斜面も滝もない。ただ岩と埃、そして見るのも痛いほど青い空。私はラダックトレッキングのために来た。ヘミスからストクまでの10日間のループで、谷と峠を抜け、ヒマラヤの孤独を約束する旅だ。だが、車輪が滑走路に触れ、薄く乾いた空気の中に足を踏み入れた時、私は冒険者というより侵入者に感じた。ラダックは両腕を開いて迎えてくれない。じっと見つめ、あなたがそこにいる資格を証明しろと挑んでくる。
Ⅱ. 静寂の重み
初日は高度順応でぼんやりしていた。頭痛がし、借りた部屋からは風に揺れる祈りの旗が見えた。レーは標高3,500メートルに位置し、泥レンガの家々と軍の前哨基地が並ぶ町で、まるで怒りに満ちた手で削られたような山々に囲まれている。私は狭い通りを歩き回った。紅色のローブを着た僧侶や、パシュミナを売る店主たちを過ぎ、自分の息の重さを感じた。計画は単純だった。ヘミス僧院から始め、マーカ渓谷をトレッキングし、いくつかの高い峠を越えてストクで終わる。一種の現代の巡礼だったが、何を求めているのか自分でも分からなかった。
本格的なトレッキングは2日目に始まった。17世紀の僧院ヘミスは丘の上にあり、私の出発点だった。庭は静かで、若い僧が石から埃を掃く音だけが響いた。私は彼に会釈し、彼も返した。それだけだった。おしゃべりも観光案内もなく、ただブーツがトレイルを踏む音だけが私を荒野へと導いた。道はすぐに登り始め、ヒマラヤへの先入観をすべて裏切る風景の中を曲がりくねった。ネパールやブータンの緑豊かな山脈ではない。ラダックは高地の砂漠で、地球がすべての柔らかさを振り払った場所だ。岩の塔が衛兵のようにそびえ、風に削られた表面は崩壊と回復の両方を示していた。
正午までに、私は生きているかのような深い静寂に入り込んでいた。鳥の声も葉のざわめきもなく、足元の砂利の音と峠を抜ける風のかすかな笛音だけ。私はヒマラヤの孤独を求めていたが、これは何か別物だった。欠如ではなく存在だ。インダス渓谷を見下ろす尾根で息を整えながら、何年も自分の思考をこんなにはっきりと聞いていなかったことに気づいた。それは心地よいものではなかった。大きく、鋭く、執拗で――なぜ来たのか、何から逃げているのか、自分を本当に知っていたのかという問いだった。
Ⅲ. 進歩のパラドックス
ラダックはパラドックスだ。現代が断片的にしか届いていない場所だ。トレイル沿いで、泥と藁でできた家々の横にソーラーパネルが輝く村を通り過ぎた。羊飼いがトランジスタラジオを肩にかけ、ヤクを導いていた。その小さな音楽は広大さに飲み込まれた。ある集落では、屋根から衛星アンテナが突き出し、何世紀も変わらない家にボリウッドを届けていた。光沢のある雑誌で見るような技術と伝統の滑らかな融合ではない。ぎこちなく不完全な衝突で、進歩がこういう場所にどう対処すればいいのか分からないことを思い出させる。
私は歩き続けた。トレイルは峡谷と高原を上下に進んだ。4日目、マーカ渓谷が現れた。茶色の間に緑の帯が広がり、命綱のように輝く川が流れていた。小さな村々がその岸に点在し、大麦とエンドウ豆の畑が砂漠への頑固な抵抗だった。私はタシという農夫に会った。彼の顔は土地そのもののように皺が刻まれ、ヤクバターで淹れたお茶をくれた。私たちは彼の台所に座った。低い天井の部屋は糞の火で暖かく、彼はたどたどしい英語で冬が短くなり、雪が遅れることを語った。「山は変わっている」と彼は言い、声は平坦だったが目は鋭かった。私はニューヨークの気候や資本についての果てしない議論を思い出し、無力感を覚えた。ここでは、変化は理論ではない。生きる事実だ。
ここでラダックが心を蝕み始める。アメリカでは進歩を神聖視する。すべての問題にスタートアップ、すべての危機にハッシュタグ。でもラダックは時間を別の尺度で測る。耐久力が発明より重要だ。出会った人々は未来を解決していなかった。何世紀も前からそうであったように、今を生き抜いていた。タシは私の同情も解決策も必要としなかった。彼には川が流れ続け、ヤクが草を食べ続けることが必要だった。私は彼の家を出て、謙虚さを感じ、日記はまだ空白だった。
Ⅳ. 対決
トレッキングの中間点はコンマル・ラ峠だった。標高5,200メートルの怪物で、裁きのようにそびえていた。私はこれに備えてトレーニングしていた。ブルックリンでの階段昇降や丘のスプリントを何ヶ月も。でも本物には何も準備できない。登りは容赦なく、薄い空気を焼く太陽の下で、ガレ場と急な折り返しが続いた。肺が叫び、脚が震え、風が拳のようで、目に刺さる埃を運んだ。私は現代の巡礼のために来た。リセットのチャンスだったが、これは再生ではなく決着に感じた。
頂上で、私は祈りの旗が色褪せた幽霊のように印された石の山に倒れ込んだ。景色は圧倒的だった。峰が無限に伸び、谷は下に点のように見えた。勝利を感じるべきだったが、そうではなかった。小さく、剥き出しで、些細に感じた。ラダックはあなたを褒めない。裸にする。私はアメリカの孤独の守護聖人ソローを思い出した。魂と格闘するためにウォールデンに逃げた彼は、ラダックの厳しさを賞賛しただろうが、その無関心に苛立ったかもしれない。ウォールデンは鏡だった。ラダックは虚空だ。意味を見つけるかどうかは気にしない。それを作るよう挑む。
私は1時間そこに座り、風が吠え、思考が絡まった。なぜここにいるのか?逃げるためか?何かを証明するためか?故郷で、私は締め切りとドーパミンを追いかけ、堅固に思えた人生を築いていたが、そうではなかった。ラダックはそれを脆く見せた。強風の中のトランプの家だ。そこに喘ぎ、些細な男を見たが、目をそらせなかった。
Ⅴ. 埃の中の優しさ
下りは優しく、マーカ渓谷の下流へとゆっくり解けた。7日目、川のそばでキャンプを張った。水は冷たく澄んでいた。太陽が峰の裏に沈み、金と影の炎でそれらを点火し、私の息を止めた。羊飼いの少年が尾根から手を振った。そのシルエットは巨大さの中で一瞬の印だった。その瞬間、ラダックは変わった。砂漠ではなく、大聖堂に感じた。神聖さが議論されず、生きられる空間だ。
私は信仰が選択か遺物である世俗の世界で育った。ラダックはそうではないと前提する。通った僧院――ティクセ、シェイ、ストク――は詠唱と香で生き、壁にはキリスト教より古い仏陀と悪魔が描かれていた。出会った巡礼者たちは、サンダルをすり減らし、私が羨む目的を持って動いていた。ある夕方、トレイルで女性が身を投げ出すのを見た。体が上下する奉献のリズムだ。ガイドに何を祈っているのか尋ねた。「すべてだ」と彼は言い、肩をすくめた。神秘を計測に変えた文化で、これは啓示だった。ラダックは神聖を主張しない。それを体現する。
Ⅵ. 帰還とこだま
トレッキングはストクで終わり、丘の上の宮殿に影を落とされた静かな村だった。脚が痛み、皮膚が焼け、荷物は最初より重く感じた。私は112キロを歩き、3つの峠を越え、黒を刺すような星の下で寝た。私はラダックトレッキングに来たが、別のもの――自分の限界との対決、我々に屈しない世界の垣間見え――を得た。
ニューヨークに戻ると、街の喧騒が私を丸ごと飲み込んだ。私はXをスクロールし、意見を読む――権力、進歩、崩壊についての果てしない騒音。ラダックは対抗する重しのように残る。我々が築き、埋めたものへの高地砂漠の説教だ。隠れる場所ではない。測る場所だ。私はあのトレイルで自分を見つけたか分からない。代わりに何か――プライドの層、制御の妄想――を失ったと思う。叫び続ける世界で、ラダックの静寂が最も大きく響く。