1. 霧の中の砦 – チクタン
誰にも語られていない場所を見つけることには、特別な魔法があります。ラダックのカルギル地区の奥深くにひっそりと佇む村、チクタン。切り立つ山々に囲まれ、めったに通らない山道の先にあるこの小さな村は、ただ美しい景色を提供するだけではありません。そこには、ほとんど語られていない過去と出会うことができます。
村の中心にそびえるのは、今では崩れかけた壮大なチクタン・フォート。16世紀に建てられ、かつてはレー王宮にも匹敵するほどの威厳を誇っていました。現在は風化が進んでいますが、高くそびえる石壁や苔むした石段は、ラダックの王族やペルシャの技師たちの物語、忘れられた戦いの記憶を今も静かに語り続けています。耳を澄ませば、石たちが過去を覚えているような気さえします。
チクタンの村は、まるで生きた博物館。伝統的なラダックの家々は、泥と石で造られ、山の斜面に自然と溶け込むように並びます。夏にはアンズが干され、秋にはトウガラシが屋根の上に並ぶ風景は、まさにラダックの原風景。村の生活はゆっくりとしたリズムで流れ、年配の方々がクルミの木の下でおしゃべりし、子どもたちは細い路地を走り回りながらヤギを追いかけています。
ここを訪れた旅行者の多くが語るのは、圧倒的な静けさと心の安らぎ。商業的な観光の波から完全に離れたこの村では、本来の素朴でありのままの暮らしが今も息づいています。ホームステイに泊まれば、伝統的なブカリ(ストーブ)のそばで体を温め、バター入りの塩茶をすすり、朝には遠くで鳴くヤクの声で目を覚ます。いわゆる贅沢とは違うけれど、何ものにも代えがたい贅沢がここにはあります。
チクタンは単なる目的地ではありません。それは、ラダックが観光地になる前の姿を思い出させてくれる場所。自撮りではなく物語を求める人々、賑わいよりも静けさを大切にする旅人のための場所です。そしてここを離れるとき、チクタンは「行った場所」ではなく、心に深く刻まれる「思い出」となるでしょう。
2. アーリア人の村 – ガルコン
観光ルートからはるかに離れたラダックの奥地、インダス川沿いの豊かな谷にひっそりと佇む村があります。ガルコン——この村は、時間と伝統、そして個性が特異な形で交差する、まるで別世界のような場所です。ここは「アーリアン・ベルト」と呼ばれる地域の一部であり、その存在自体が、訪れる者にとっては驚きの連続です。
ガルコンは、ブロクパ族という少数民族が暮らす数少ない村のひとつです。彼らは、インド・ヨーロッパ系の顔立ち、独特の花飾りのヘッドギア、そして仏教以前の文化を今も大切に守っています。伝説によれば、彼らはアレクサンダー大王の軍隊の末裔とも言われており、その真偽はさておき、彼らの言語、習慣、衣装はラダックの他の地域とはまったく異なる世界を形成しています。
ガルコンの村を歩くと、五感が刺激されます。レーやヌブラの乾いた大地とは違い、この村はアンズやクルミの木、野草や花々が生い茂る、まさに「緑の楽園」。女性たちは、ゴチェと呼ばれる花やターコイズ、コインで飾られた華やかな頭飾りを身につけ、家々の外には乾燥させたハーブやヤギの角が飾られています。空気は清らかで、どこからともなく木の煙や山風の香りが漂ってきます。
村人たちは温かく、来訪者に対して非常にオープンです。ハーブティーを振る舞ってくれたり、新鮮なパンやナッツを差し出してくれることもあります。ただし、彼らは自分たちの文化を「見世物」として扱われることを好みません。写真撮影の前には必ず一声かけ、敬意を持って接することが大切です。そうすれば、きっと家の中に招き入れられ、祖先の話や伝統儀式について聞かせてもらえるでしょう。
ガルコンでは、数は限られていますがホームステイが体験でき、文化的な交流の場として最適です。お土産屋も、カフェも、観光客用の施設もありません。そこにあるのは、ただ自然とともに生きる人々の素朴な暮らしと、どこまでも広がる静けさ。もしここを訪れるなら、時間に余裕を持ち、何かを「学ぶ」姿勢で臨んでください。ガルコンは、日帰りで「見て終わる」ような村ではありません。それは、感じて、理解し、記憶に刻まれる場所です。
3. 隠れた谷の小さな村 – ティア(Tia)
シャムバレーの緩やかな斜面にひっそりと佇むティア村は、観光地図にもほとんど載っていない場所です。そして、おそらくそれがこの村の魅力のひとつでもあります。古い石畳の小道が、時を越えた家々の間を縫うように続き、ここでの暮らしは何世紀も前とほとんど変わっていません。ティアを訪れることは、誰かの忘れられた夢に静かに足を踏み入れるような感覚に包まれます。
この村の特徴のひとつが、独特な建築様式です。家々は密集して並び、まるで蜂の巣のような構造をしています。チベットの影響が感じられます。多くの家は何百年も前に建てられたもので、先祖代々受け継がれてきた建築技術によって今もなお堅固に建っています。
ティアでの暮らしは、シンプルで自給自足の精神に満ちています。春と夏には段々畑に大麦や小麦が実り、風に揺れる麦の音と共に、村の祈祷車の音や人々の挨拶の声が聞こえてきます。年配の人々は伝統的なウールのコートをまとい、子どもたちは学校や家の手伝いに走り回りながら、旅人には人懐っこい笑顔を見せてくれます。外の世界から遠く離れていても、ティアには誇り高い落ち着きが漂っています。
この村の魅力は、観光のために保存された「展示」ではなく、今もなお息づく「生きた文化」にあります。家庭を訪ねれば、手彫りの木の天井や、長年使い込まれた床のクッション、そして昔ながらのかまどの周りで語られる物語が出迎えてくれるでしょう。質素な昼食でも、それが特別な思い出となるのです。
ティアにはホテルはありません。数軒のホームステイがあるだけで、それも家族が心から歓迎してくれる素朴な宿です。村の中を歩くには、時間と注意が必要です。それは小道が細いからだけではありません。そこには、ひとつひとつ見逃せない、美しさと歴史の細部があちこちに散りばめられているからです。彩られた窓枠、岩をくり抜いた貯蔵庫、そして石積みの壁のひびのひとつにさえ、ラダックの力強い美しさが宿っています。
より深いつながりや本物の出会いを求める旅人にとって、ティアは「隠れた村」であると同時に、ラダックの内面に触れるための「入口」でもあります。ここはただの観光地ではありません。ここでは、静かに佇み、耳を傾け、忘れられない感動を見つけることができるのです。
4. プクタル – 洞窟僧院の村
この世には、一見すると現実とは思えないような場所が存在します。崖の中に刻まれ、空と大地のあいだに宙づりになったような、そんな村。ラダックの僻地、ザンスカール地方のロンナク渓谷の奥深くにひっそりとたたずむプクタルは、まさにそのような場所のひとつです。世界から切り離されたこの村は、神聖な洞窟僧院だけでなく、素朴で静かな生活の風景を私たちに見せてくれます。
プクタルへは徒歩でしかたどり着けません。最寄りの道路から何時間も山道を歩き、川や崖を越えて進んだ先に、ようやくたどり着くことができるのです。その道のりは決して容易ではありませんが、たどり着いたとき、そこにはただの目的地ではない「何か」が待っています。それは、何百年にもわたり守られてきた祈りと孤独との出会いです。
この村の中心にあるプクタル僧院は、天然の洞窟を利用して建てられた非常に珍しい建築で、12世紀から続く修行と学びの場です。かつては古代インドの聖者たちが瞑想したとされるこの洞窟には、現在も僧侶たちが暮らし、読経や瞑想が日常の一部として続けられています。岩壁に響く祈りの声は、この地の空気そのものを神聖なものに変えるかのようです。
僧院の周囲には、いくつかの素朴な家々が点在し、それがプクタル村を形作っています。細く曲がりくねった土の道、たなびく祈祷旗、子どもたちの笑い声。電気もインターネットもないこの地では、人と自然、そして共同体の絆が何よりも大切にされています。僧院が学校も運営しており、子どもたちは素朴な教室で学びながら、山と共に成長しています。
プクタルに足を運んだ旅人は、しばしば「魂が洗われたようだ」と語ります。この静けさは、単なる「無音」ではなく、「意味に満ちた沈黙」。洞窟の中で祈りに耳を傾けるとき、家庭でダルと米を囲んで食事を共にするとき、あるいはただ岩棚から渓谷を眺めるだけでも、心の奥に変化が起こるのを感じます。都市の喧騒が遠ざかるにつれ、内なる声が少しずつ聞こえてくるようになるのです。
プクタルは、軽い気持ちで訪れるような場所ではありません。この村は、努力と謙虚さ、そして変わることへの心の準備を必要とします。しかし、それに応えるように、この地はラダックが秘めた最も深い体験を与えてくれるでしょう。ここは、古の祈りが今も生きる場所。そして、一歩一歩の足取りが、まるで祈りそのものになるような、そんな旅路の果てにあります。
5. スクルブチャン – アンズと静寂の村
西ラダックの奥地、アルチやラマユルのさらに先、岩山と渓流のあいだに静かに息づく村があります。それがスクルブチャン。一見すると素朴で控えめなこの村ですが、春になると息をのむような風景に包まれます。旅行者の少ないこの地には、景色だけではない、心の奥に残る何かがあります。それは、色彩と静けさ、そして土地に根差した人々の暮らしです。
ラダックの多くが乾いた風景に覆われている中、スクルブチャンは柔らかな表情を見せてくれます。春と夏になると、村はまるで生きたキャンバスのよう。アンズの木々にはピンクと白の花が咲き乱れ、大麦畑が風に揺れて波のように輝きます。野生のハーブが香り、家々の軒先には干されたチーズや野菜が揺れています。ここは、乾燥したヒマラヤの中にぽつんと現れる「緑の懐」です。
村はなだらかな日当たりの良い斜面に広がり、家々は日差しを最大限に取り込むように巧みに配置されています。平らな屋根と白い壁の伝統家屋が並び、畑や祈祷旗の間を細い石畳の道がつないでいます。どこを歩いても、人々の暮らしと自然の調和が感じられ、時間がゆったりと流れていくのを肌で感じます。
スクルブチャンの本当の魅力は、景色だけではありません。この村の人々は、温かく、誇り高く、そして旅人に対してとても親切です。ホームステイをすれば、バター茶や手作りのパンを囲みながら、昔話や季節の話を聞かせてくれるでしょう。宿泊施設はわずかで、観光用の案内板もありません。でも、そこにあるのは「誰かの暮らし」に自然に混ざっていく喜びです。
この村の最大の楽しみは、何でもない散歩かもしれません。教科書を抱えて歩く子ども、畑にいる母親に昼食を届ける少女、木陰でくつろぐ年配の男性たち。こうした日常の風景に触れると、なぜ自分が旅をしているのか、その答えが自然と見えてくるようです。
スクルブチャンは、ラダックが本来持っている豊かさをそっと教えてくれます。見どころではなく、感じること。名所ではなく、意味。ここは、深呼吸して、ゆっくり歩いて、心の感覚を取り戻すための場所です。そして、また旅を続けるとき、きっとあなたのなかに静かな余韻を残してくれるでしょう。
6. ハンレ – 静寂の上に輝く星々
インドの果て、チベット高原に続く広大な土地のはざまで、ひときわ静かな空気に包まれた村があります。ハンレ——そこは「静寂」という言葉がそのまま風景になったような場所。そして、夜になるとその静寂の上に、星々がまるで物語を語るかのように光り出します。標高4,500メートルを超えるチャンタン高原に位置するハンレは、地上のどこよりも空が近くに感じられる村です。
この村を訪れる多くの人が目指すのは、丘の上に建つ白亜の天文台。世界でも有数の高所にある観測施設で、澄みきった空とほとんど雲のない夜空のおかげで、肉眼でも天の川がはっきりと見えるほどです。流れ星がいくつも夜空を横切り、宇宙がここに息づいているような感覚に包まれます。星を追う人にとって、これ以上の場所はないでしょう。
けれど、ハンレの魅力は星空だけではありません。村は広大な谷にそっと横たわり、石造りと土壁の家々、古い僧院、そしてヤクの放牧地が点在しています。祈祷旗が風に揺れ、僧院からは静かな読経の声が聞こえてきます。ここでは、科学と信仰が同じ空のもとに共存しているのです。
村人の多くはチャンパ族と呼ばれる遊牧民で、過酷な自然に順応しながら代々暮らしています。ヤクやパシュミナヤギの放牧が主な生業であり、その毛はやがて世界の高級品へと姿を変えます。シンプルな暮らしのなかにも、季節や風の動きと調和した生活の知恵がしっかりと根を張っています。
ハンレには、数軒の素朴なホームステイがあり、旅人を温かく迎えてくれます。電気は不安定で、携帯の電波も届きませんが、それがかえってこの村を特別な場所にしています。焚き火のそばで飲むバター茶や、夜の静寂の中で見上げる星空——それらは、便利さとはまったく違う種類の豊かさを教えてくれます。
ハンレは通過点ではなく、目的地そのものです。ここに来るということは、孤独と向き合い、宇宙とつながること。星々が夜空に線を描き、太陽が氷の山々を黄金色に染めるとき、心の中に何かが静かに整っていくのを感じるはずです。ここは、ラダックの中でも最も神聖で、謙虚な気持ちになれる場所のひとつです。
7. カルギャム – チャンタン高原の中心で
観光地図にも載らない場所、舗装された道の終わり、そのさらに向こうに広がるのは、静寂と風に支配された世界。カルギャムは、ラダック南東部の広大なチャンタン高原にひっそりと存在する村です。空に手が届きそうな標高、絶え間なく吹きつける風、何もないという贅沢。そのすべてが、この村を訪れる理由になります。
カルギャムに向かう道のりは長く孤独です。だが、その旅の果てに現れるのは、荒涼とした大地の中に点在する土と石の家々、そしてどこまでも広がる静かな谷。この村に生きる人々は、文字通り大地とともに暮らしています。季節の流れに合わせて移動し、風の動きや空の色を読みながら、過酷な自然と寄り添うように日々を重ねています。
カルギャムの住人は、チャンパ族と呼ばれるラダックの遊牧民たち。彼らは古来より、パシュミナヤギやヤク、羊を飼いながら、草原を渡り歩く暮らしを続けてきました。夏には、谷のあちこちに遊牧テント(レボ)が点在し、子どもたちは動物の世話をし、大人たちはチーズやバター作りに精を出します。煙が空へと立ちのぼり、風の音に包まれた生活は、静かで力強い物語を紡いでいます。
カルギャムの特別さは、その暮らしを「見る」ことではなく、「ともに過ごす」ことにあります。放牧の帰り道に招かれてバター茶をいただいたり、囲炉裏を囲んで家族と一緒に大麦の粥を食べたり。言葉が通じなくても、視線と笑顔だけで伝わるぬくもりがあります。それは旅というよりも、対話です。
自然愛好家にとっても、この地は宝庫です。カルギャム周辺は、チベット野ロバ(キアン)、ヒマラヤマーモット、黒頸鶴、そして時にはユキヒョウなど、貴重な野生動物の生息地でもあります。早朝の散歩では、霜に残る足跡や、はるか彼方に動くシルエットを目にすることもあるでしょう。
この村にはホテルはありません。あるのは、家族で営むホームステイが数軒だけ。ベッドは素朴で、食事もシンプル。でもそこには、誇りと愛情、そして「生きたラダック」が詰まっています。観光地では感じられない、心の底からの充足感——それをカルギャムはそっと教えてくれるのです。
8. チリン – 職人たちの村
ザンスカール川のほとり、岩肌が風と水に削られて形づくられた谷間に、小さく静かに息づく村があります。それがチリン。この村の名を知る人は少ないかもしれませんが、その手仕事の痕跡はラダック中に散らばっています。仏像、供物皿、バターランプ——それらの多くが、実はこの村の職人たちの手で作られているのです。
チリンは、ラダックの金属工芸の中心地として何世紀も前から知られてきました。村を歩くと、家々の奥からコンコンと小さな金槌の音が響いてきます。粘土型に溶けた金属を流し込み、祈りを込めながら磨き、整え、形を与えていく。家の中はそのまま工房であり、芸術の舞台です。この技術は、かつてラダックの王がネパールから職人を招いたことに始まり、今も数家族によって大切に守られています。
村は川沿いの斜面に沿って広がり、谷の風景を見下ろす場所に建っています。家々は控えめで、窓辺には草花や干し草が飾られ、どこか詩的な空気が漂います。ザンスカール川は村のすぐ下を流れ、透明な青が乾いた岩の間を縫うように進みます。ここには観光地の賑わいはありません。ただ、道具の音と、ものづくりに向き合う集中の気配が満ちています。
チリンを訪れる旅人の多くは、チャンダル・トレックやザンスカールへの移動中に立ち寄ることが多いのですが、ゆっくりと滞在する人はごくわずかです。しかし、この村の真価は、時間をかけてこそ見えてくるもの。職人の手元を眺めながら、その静かな手の動きに惹き込まれ、やがて言葉を超えた尊敬の念が湧いてきます。
もし運が良ければ、ある家庭に招かれ、チャイを飲みながら、古き良きラダックの話を聞かせてもらえるかもしれません。王の時代の注文、僧院から届く細かな要望、そして一つ一つの作品に込められた祈りの話。それらは、旅人が手にするお土産ではなく、心に残る記憶になるのです。
チリンには、目立つ景勝地や壮大な寺院はありません。しかし、それでも、あるいはそれだからこそ、この村は特別なのです。火と金属と手の記憶。日々の仕事に込められた魂。そして、時代に流されることなく、自分たちの道を歩き続ける静かな誇り。ここは、物を「作る」ということが「生きる」ということに直結している、希少な場所です。
9. トゥルトゥク – 境界に生きる村
ラダックの最北西、ヌブラ渓谷の先に広がる風の吹きすさぶ砂丘を越えたところに、まるで境界線の上に静かに立つかのような村があります。トゥルトゥク——ここは、他のどのラダックの村とも異なり、地理的にも文化的にも、まさに「ふたつの世界のあいだ」に存在しています。その唯一無二の雰囲気は、訪れる者の記憶に深く刻まれるでしょう。
1971年まで、トゥルトゥクはパキスタン領のバルティスタンに属していました。インド・パキスタン戦争の後、インド側の村となりましたが、人々の言葉、宗教、習慣、そして心の中の風景は、今もバルチ文化にしっかりと根付いています。そのため、ここを訪れると、まるで中央アジアの一角に迷い込んだかのような不思議な感覚に包まれます。
トゥルトゥクは緑豊かな渓谷に広がり、氷河から流れる清らかな水が村のあちこちに潤いをもたらしています。アンズやクルミの木が道沿いに立ち並び、木造バルコニーのある石造りの家々が密集して建っています。春や夏になると、木々は満開になり、村全体がまるで絵本のような風景に変わります。
この村を特別なものにしているのは、なんといっても人々の温かさです。旅行者に対してとてもオープンで、家の中へ招かれてお茶をいただいたり、自家製のアンズジャムを味見させてもらったりすることもあります。家族のアルバムを見せながら、国境が変わった日の記憶を語ってくれることさえあります。トゥルトゥクの人々にとって、自分たちの文化は語るに値する誇りなのです。
ラダックの他の地域が仏教文化を色濃く残しているのに対し、トゥルトゥクはイスラム教徒の村です。美しい木造のモスク、静かな学校、そして昔ながらの農村的生活が、敬虔で穏やかな空気をつくり出しています。この違いは、ラダックという土地の多様性を体現しており、旅人にとっては貴重な出会いとなるでしょう。
トゥルトゥクは、景色の美しさだけでなく、「物語」のある村です。それは、戦争と平和、別れと共生、境界とつながりという複雑なテーマの上に、人間らしさを保ち続けてきた人々の記憶。ここを訪れることは、地図の端に足を踏み入れることではなく、人間の物語の深みに触れることなのです。
10. シャラ – ルプシュへの緑の入口
遠くへ旅を続けていくと、風景はだんだんと険しさを増し、空気も薄くなっていきます。そして突然、そこに現れるのが、思いがけない緑とやさしさに包まれた村——シャラです。ラダック南東部、ツォ・モリリやツォ・カル、ルプシュ高原への道中に位置するこの村は、過酷な大地の只中に広がる静かなオアシスのような存在です。
シャラの村は、大麦畑とポプラ、ヤナギの木々に囲まれています。ラダックにしては珍しく、標高がやや低めで、夏には一面が青々とした緑に染まります。多くの旅人は、この村をただの通過点として見過ごしてしまいますが、ここには足を止めた人にしか見えない、静かな恵みと穏やかな時間が流れています。
村は小さく、家々は伝統的なラダックの様式で造られており、白い壁と平らな屋根の間に、祈祷旗と緑の畑がリズムを刻むように広がっています。村の中心には長いマニ壁があり、歩く人々が祈りを込めて手を添えていきます。シャラはアクセスしやすい場所にあるにもかかわらず、観光地化されておらず、本来の素朴な暮らしが今も残っている貴重な村です。
この村の最大の魅力のひとつは、ルプシュ高原への文化的・自然的な橋渡しの役割を果たしていることです。この先の土地は乾ききった荒野、塩湖、そして標高5,000メートル近い峠が続く、まさにラダックの最果て。シャラは、その前に立ち止まり、深呼吸をするための「緑の入口」なのです。
トレッカーにとっては、シャラは体を慣らすための絶好の中継地点。村の周辺を散策したり、畑の手伝いを体験したりしながら、標高に順応し、心を整えることができます。ホームステイでの滞在では、家庭の囲炉裏でバター茶をすすりながら、家族とともに夕暮れを迎えるという、何気ないけれど忘れがたい時間が流れます。
ラダックの旅では、絶景や険しい道ばかりが目的地ではありません。ときには、何も劇的なことが起こらない場所こそが、最も心に残る場所になるのです。シャラはその代表格です。風の音、畑を照らす陽射し、遠くで鳴くヤクの声。そのすべてが旅の中の「静けさ」を取り戻してくれます。ここは、過ぎ去るだけの場所ではなく、「立ち止まる」ための場所なのです。
まとめ:ガイドブックの外にあるラダック
ラダックというと、多くの人がまず思い浮かべるのは、パンゴン・ツォ湖やカルドゥン・ラ峠、ヘミスやティクセといった有名な僧院でしょう。しかし、その少し先に目を向ければ、まだ観光の波が届いていない静かな村々が点在しています。そこで暮らす人々の生活は、何世代にもわたってこの過酷な環境と共に育まれてきました。
今回ご紹介した10の村々には、「見るべき名所」よりも、「感じるべき時間」があります。それは、石を積んだ壁の重みであり、静かに風になびく祈祷旗の音であり、焚き火を囲んで飲むバター茶のぬくもりです。ここには、ラダックを「観光地」としてではなく、「生きた土地」として体験する旅があります。
観光客が増えるにつれて、こうした村を訪れる私たちにも責任が生まれます。ただ「発見する」ためではなく、「守りながら旅をする」ために。ガイドブックに載っていない場所だからこそ、より深く、その土地の文化と人々に敬意を払うことが求められるのです。
静かな山あいの村で耳を澄まし、誰かの物語に触れ、自分の中の何かを見つめ直す——そんな旅の喜びを、ぜひラダックの知られざる村々で味わってください。
実用アドバイス:ラダックの秘境を訪ねるために
- 移動手段を事前に計画しましょう。多くの村は公共交通では行けません。地元のドライバーやガイドと相談するのが安心です。
- 現金を持参してください。ほとんどの村ではATMがなく、電子決済も利用できません。
- ホームステイを活用しましょう。地域経済を支援でき、より深い体験ができます。
- 荷物は軽く、しかし防寒対策をしっかり。高地では気温が大きく変化します。
- 文化的配慮を忘れずに。写真撮影は必ず許可を取り、肌の露出を避けた服装を心がけましょう。
- ゴミは必ず持ち帰る、プラスチックを減らすなど、持続可能な旅を意識してください。
よくある質問 – ラダックの秘境村を訪れる前に
Q:これらの村を訪れるのに許可証は必要ですか?
A:ハンレやトゥルトゥクなど一部の村は国境地帯に近いため、インド国民にはインナーラインパーミット、外国人には保護地域許可証(PAP)が必要です。事前に確認しましょう。
Q:訪問のベストシーズンは?
A:5月下旬から10月初旬が最適です。5〜6月は花が咲き誇り、8〜9月はトレッキングやホームステイに最適な時期です。
Q:ひとり旅でも大丈夫ですか?
A:問題ありませんが、事前準備はしっかりと。連絡先の確保や滞在場所の予約、天候・道路情報の確認を忘れずに。
Q:村のあいだをトレッキングでつなげますか?
A:はい、可能です。たとえばチリンからプクタル、シャラからルプシュへなど、複数の美しいトレイルが存在します。現地ガイドの同行が推奨されます。
Q:医療施設はありますか?
A:多くの村にはありません。レーやカルギルまで行かないと本格的な医療を受けられません。常備薬、標高順応用の薬などを必ず携帯してください。