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ラダックのトレッキングは世界の名トレイルとどう違うのか|静けさを歩く冒険へ

あまり知られていない道、そして静かな声

ラダックで最初に気づいた静けさは、車の音がないことではありませんでした。それは、「急ぐ」という気配がまったくないことでした。ネパールのエベレスト街道や、ペルーのインカ・トレイルのような有名な登山道のざわめきとはまったく違う、標高の高いこの静寂は、まるで体に馴染んでいくもう一つの皮膚のように感じられたのです。

私はこれまで10年以上、世界各地で再生型ツーリズムのコンサルティングをしてきました。ブータンの「国民総幸福量」モデル、チリ・パタゴニアの急速な温暖化、そしてニュージーランドの厳しく管理されたミルフォード・トラック。どれも「愛されすぎた場所」の現場でした。でもラダックは、何かが違いました。ラダックは売り込むのではなく、静かに招いてくれる。まるで、現代の観光という「会話」から一歩引いた、もっと古い時代の静けさに出会ったような気がしたのです。

今回の旅は、プロジェクトのためではなく、ただの「中断」でした。契約の合間、季節の合間、南半球と北半球の間。けれど、レーの古い町を歩き、ザンスカールの谷を抜け、アプリコットの木が窓辺に揺れる家々に泊まり、山上の僧院の影に見守られながら、私ははっきりと気づきました。ラダックのトレッキングは、世界の名高い登山道と比較されるべき存在であると同時に、まったく異なる視点で語られるべき体験でもあると。

正直に言えば、ラダックのトレッキングは誰にでも向いているわけではありません。高度は現実的な負荷であり、地形は過酷で、インフラはまだ発展途上です。ネパールのアンナプルナや、パタゴニアの整備されたルートとは違って、ここでは道が舗装されていないことも多い。それでも、この荒々しさこそが、ラダックの強みです。

今の時代、「隠れた宝石」と呼ばれる場所はすでに無数にあり、そのほとんどは地図に載せられ、SNSで拡散され、観光商品にされてしまいました。でもラダックはまだ違います。遠くて、静かで、現実的。まさに、今の旅のあり方を考え直すチャンスをくれる場所なのです。

このコラムは招待状です。ただラダックを訪れるためだけでなく、旅という体験そのものの価値を再考するための入り口として。これから、私はエベレスト、インカ・トレイル、スノーマン・トレックなど、世界の名トレイルとラダックを比較しながら歩んでいきます。でも、同時に問いかけたいのです。私たちは登山靴を履いて山に入るとき、本当に何を求めているのでしょうか? 挑戦か、静けさか、文化との出会いか、それとももっと深い何かか?

次の冒険の進化は、「より高く」「より遠く」ではなく、「より深く」であるべきなのかもしれません。

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冒険という通貨:私たちは旅の価値をどう測っているのか

エベレスト、インカ、アンナプルナ ― 観光の変遷

ここ数十年、トレッキングという行為は、冒険を愛する人にとって一種の「通貨」のようなものになってきました。山頂の写真、自撮り、そして武勇伝。ネパールのエベレスト・ベースキャンプや、ペルーのインカ・トレイルなどのルートは、壮大な自然だけでなく、達成・忍耐・国境を越えたつながりの象徴として知られています。

しかし5年前、私がエベレスト街道を歩いたとき、ふと立ち止まって思いました。「一体、どれほどの足音がこの道を“商品”に変えてしまったのだろう?」2023年だけで55,000人以上がエベレスト・ベースキャンプを目指しました。インカ・トレイルでは、文化財保護のために年間25,000枚の許可証に制限されているにもかかわらず、使用過多に悩んでいます。かつて巡礼のような時間を必要としたアンナプルナ・サーキットは、今では道路とバイク、カフェマシン付きのロッジに囲まれています。

もちろん、これらのルートは今もなお美しく感動的です。ただし、その「ひとりで向き合う時間」は明らかに少なくなっています。そして、それこそが本質的な何かを変えてしまっているのではないかと感じるのです。

何を基準に冒険を評価するのか

観光業界では、数値がすべてです。到着数、宿泊数、一人当たりの消費額…。でも、私たちが旅先で「受け取ったもの」や「与えた影響」は、どうやって測ればよいのでしょうか? 私が再生型ツーリズムの現場でよく口にするのはこうです。「訪問者1人あたりに守られた“静けさ”の量を、観光収入と同じように指標にできたらどうでしょう?」

たとえば、こんな新しい尺度を考えてみてください:

  • 標高と孤独の対比:ラダックのトレイルはエベレストほどの知名度はありませんが、はるかに深い孤独と静けさを体験できます。私がルムツェからツォ・モリリまで5日間歩いた間に出会ったのは、野生のブルーシープだけでした。
  • バケットリストと変容の違い:有名なトレイルが視覚的インパクトを提供する一方で、ラダックは内面の変化を促します。写真以上に「呼吸のリズム」が変わって帰ってくるのです。
  • 人の数と静けさの密度:ザンスカールで私は6時間、エンジン音のない世界を歩きました。これはアルプスやカナディアン・ロッキーではもはや不可能かもしれません。

世界中の有名なトレイルの価値を否定するつもりはありません。どれも美しく、それぞれの物語があります。ただ、世界中が簡単に「行ける」時代になった今、私たちは「どこへ行くか」だけでなく、「どうやってその場所と関わるか」を考えるべき時にきているのではないでしょうか。

そして、ラダックの番がきました。今こそ、その未来を選び取るタイミングです。「エベレストに似ているかどうか」ではなく、「エベレストのようにならない方法」を考えることが、今の私たちに求められているのです。

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道の魂:ラダックを特別にしているもの

標高の高い文化との出会い

世界の多くの有名なトレッキングルートでは、道と文化は並行して存在しています。街を通り、ロッジに泊まり、寺院の写真を撮る。けれどラダックでは、道そのものが文化の中にあります。道のひとつひとつの曲がり角が、風に削られた岩の間から、祈りと物語の声を届けてくるのです。

マルカ谷のスキウという村でホームステイをしたときのことです。日差しと香の煙で色あせた家族の写真に囲まれながら、私はヤクバターを一緒にかき混ぜていました。翌朝、小さなゴンパの前で、12歳くらいの少年僧が私を見つけ、お茶に誘ってくれました。それは観光客向けに用意されたものではありません。ラダックでは、トレッキングは文明から逃れる旅ではなく、文化の中を歩く巡礼なのです

インカ・トレイルは1つの目的地へと導き、エベレスト・ベースキャンプは眺望をゴールとします。でもラダックでは、意味は旅の途中で、少しずつ積み重なっていくのです。そこにある僧院――ヘミス、フクタル、ラマユル――は廃墟でも博物館でもありません。祈りが息づき、今も修行が行われている場所です。そして、その文化の根が今も地元の暮らしの中に深く根付いています。

静寂の地形――ヒマラヤの風の音

ラダックの風景は、別の種類の注意力を必要とします。決して主張しません。カメラに収めてくれと呼びかけることもありません。ただそこに在り続け、見る者を試しているかのようです。

この高地の寒冷な砂漠は、アンデスや南アルプスのような緑の劇的な風景とは対極です。ここでの美しさは、地質の沈黙に宿っています。何千年もの間に削られた河床の曲線、乾いた峡谷に響く自分の足音、上空を静かに舞うヒゲワシの影。

ニマリンの高原でのある午後のこと。太陽はまだ高く、あたり一面がまるで内側から光を放つように輝いていました。風の音と、遠くでゾモ(ヤクと牛の交雑種)の首につけられた鈴の音だけが響いていました。道を歩いて何かを得ようとするのではなく、ただその場に“在る”ということ。多くのハイカーが無意識に求めているのは、きっとこうした時間なのだと気づいた瞬間でした。

インフラか、誠実さか

ラダックを特徴づけている最も大きな点のひとつは、「整っていないこと」です。これこそが、多くのハイカーにとって敬遠される理由であり、ラダックを訪れるべき最大の理由でもあります。

道は印がなく、川の渡渉は日によって変わり、木製の橋は傾いて揺れます。レーの町から離れれば、携帯の電波はすぐに消えます。けれど、こうした「不便さ」は、実はラダックにとって最大の防壁でもあるのです。大規模なインフラが入っていないからこそ、体験は密やかで、個人的なものになる

ニュージーランドのミルフォード・トラックでは、DOC(自然保護省)の山小屋を数か月前から予約しなければならず、道は毎年何千人もの歩行者のために整備されています。パタゴニアのトレイルでは、CONAF職員がチェックポイントを管理し、火災期には動線が制限されます。それは必要なことですが、自由な即興性を失うことにもつながります

ラダックでは、まだ“迷う”ことができます――最良の意味で。危険ではなく、驚きの中に。予定調和ではない、開かれた旅路の中で。

そして、それこそがラダックを特別にしているのです。約束された何かではなく、自分で問い直す余白が、ここにはあるのです。

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世界の有名トレイルとの比較

ラダックのトレッキングを世界の有名なルートと比較することは、優劣を競うためではありません。それぞれの道が、山と人との関係について異なる物語を語っていることを示すためです。アンデスの尾根であれ、アルプスの谷であれ、どの道にも「歩く理由」があります。けれど、もし「静けさ」や「孤独」を求めているなら、ラダックはすでに他の多くのルートでは手に入らなくなったものを、いまも保っています。

以下の比較表は、単なる難易度や料金ではなく、その道が持つ「魂の質感」を伝えることを意図しています。

地域 トレイル名 難易度 文化体験の深さ 混雑度 費用(USD) 最高標高 ユニークさの指標
ネパール エベレスト・ベースキャンプ 中級 中程度 高い $1,200 5,364 m ★★★☆☆
ペルー インカ・トレイル 中級 高い 高い $700 4,215 m ★★★★☆
ブータン スノーマン・トレック 超上級 非常に高い 低い $3,000+ 5,320 m ★★★★★
ニュージーランド ミルフォード・トラック 初級 低い 高い $450 1,154 m ★★★☆☆
インド(ラダック) マルカ谷 / ザンスカール 中上級 非常に高い 低い $400–$800 5,200+ m ★★★★★

SNSの投稿やマーケティングコピーに魅かれるのは当然ですが、上の比較表を見ると、ラダックのトレイルが持つ「高度」「本物らしさ」「静寂」という三拍子の価値が、改めて際立ちます。

他の地域が管理された入場制限や整備されたインフラによってトレイルの質を維持しているのに対し、ラダックはいまだ「むき出しのままの原野」です。それは不便なこともありますが、だからこそ尊いのです。

もしあなたが、すでに登山の名所を歩き尽くし、「何かが足りない」と感じているなら、ラダックは次の答えかもしれません。

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再生可能なこと:ラダックが世界から学べること

制御された成長か、制御なき名声か

ブータンが世界の注目を集める理由は、その徹底したシンプルさにあります。「高価値・少人数」の観光モデルを掲げ、2023年には1日100ドルの持続可能性開発費を観光客に課し、それを教育・保全・地域インフラに還元しています。これは障壁ではなく「フィルター」です。だからこそ、ブータンの山道や村々は今も聖なる空気を保ち、野生は本当に野生のまま残っています。

一方で、ラダックは今まさに岐路に立たされています。その扉は大きく開かれています。トレッカー、ライダー、インフルエンサー、精神世界の探求者たちが次々に訪れ、「手つかずのヒマラヤ」に惹かれてやってきます。しかし、その「波」こそが、ラダックの原風景を変えてしまう最大のリスクとなっています。「ラダックがハッシュタグになる前に、私たちは何を守れるのでしょうか?」

ヨーロッパの旅行者、とくにヴェネチアやバレアレス諸島、アルプスの過剰観光を目の当たりにしてきた方々にとって、文化的なエコシステムがいかに脆弱かは既知の事実でしょう。ラダックも、ただ観光を「増やす」のではなく、今こそ「守る」方向への設計が求められています。前例はすでに世界中にあります。ブータン、アイスランド、コスタリカ。それぞれが異なる道を選びながら、かけがえのない自然と文化を守ることに成功してきました。ラダックも、追い込まれる前に、選ぶことができるのです。

認証と道徳――「歩くことの倫理」

ニュージーランドでは、トレッカーは単なる観光客ではなく、保護協定の参加者です。自然保護省(DOC)は、出発日、人数、装備の有無を管理し、山小屋は事前予約制で、レンジャーが安全と意識向上の説明を行います。トレイルは徹底的にメンテナンスされ、訪問者は道だけでなく、その責任も学ぶのです。

チリのトーレス・デル・パイネでは、セクターごとに入場管理があり、スイスでは登山道がゾーニングされ、土壌浸食や野生動物への影響が最小限に抑えられています。それらは制限ではなく、会話です。 「この場所は大切だから、あなたの存在もまた大切にしてほしい」というメッセージです。

ラダックも、南アジアの中で新たなモデルを築ける可能性があります。たとえば「ヒマラヤン・トレッカー・コード」のような簡潔なガイドラインを、すべての訪問者に配布すること。罰則ではなく、意志の共有です。足跡を残さない。静けさを尊ぶ。人を撮る前に一声かける。持ち込んだものはすべて持ち帰る。地元ガイドを雇う。山は覚えている――そう教えてくれる文化を築くことができます。

多くの観光地が、ダメージを「処理する」ためにインフラを整備します。しかし、再生型ツーリズムはその前に問います。「そもそもダメージを生まない仕組みは作れないのか?」

それが、ラダックの未来をつくる鍵です。「もっと多く」ではなく、「もっとよく」。そのとき、訪問者が持ち帰るのは、単なる登山体験ではなく、その土地との“つながり”になるでしょう。

そして、気候や文化、影響を意識するようになったヨーロッパの冒険者たちにとって、それこそが未来の贅沢なのかもしれません。野生のままの土地を歩き、その野生が自分のあとにも残っていくということ。

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ハイカーのジレンマ:達成ではなく意味を選ぶ

コンマル・ラの尾根を越え、ニマリンのテント群が見えてきた頃、私はある種の空気の変化を感じました。それは気圧のせいでも、標高5,200メートルという数字のせいでもありません。もっと繊細で、静かなものです。何日もかけて一人で歩き、時に誰かとすれ違いながらも、大半の時間をただ「歩く」ことに使ってきたその先に、私の歩幅は疲れではなく注意深さによってゆっくりになっていたのです。

その高原の静寂の中で私は気づきました。問いは「どこまで歩いたか」でも、「何を見たか」でもない。「ここを歩くことで、私は何が変わったのか?」ということなのだと。

それこそが、いまの時代のハイカーが直面するジレンマです。世界が開かれるほど、私たちは“達成”にこだわるようになります。スタンプ。写真。GPSデータ。スピード。距離。チェックリスト。しかし私たちは、自分がなぜ歩いているのかを忘れてしまってはいないでしょうか?

ヨーロッパでは、サンティアゴ巡礼路、コルシカ島のGR20、あるいはクラシック・アルパインルートの“完歩”について話す人々によく出会います。それは素晴らしい経験であり、多くの人の人生を変えます。けれど、その多くが、旅の終わりにどこかに「物足りなさ」を感じているとも言います。到達したのに、まだ何かを探しているような感覚。

対してラダックには、そうした「達成」の構造がありません。決まったゴールも、名声も、記録もない。代わりにあるのは、測られない「在り方」の体験です。ラダックを歩くことで、私たちは何かを得るというよりも、本来の感覚を取り戻すのです。リズム。呼吸。見る力。

ある朝、ハンカルの上の尾根に腰を下ろし、朝日が空を開いていくのを見ていました。そこにヤギの群れを連れた女性が通り過ぎ、私の方に軽くうなずきました。声はなく、問いもありません。ただそこに「いること」を認めてくれた、その一瞬だけで十分でした。

アルプスやピレネーのように、登山道が混雑し、整備され、予定が詰まっている地域に慣れているヨーロッパのハイカーにとって、このような出会いはただの「絵になる瞬間」ではありません。それは感覚の再調整であり、自分が「客人」であることを思い出させてくれる時間です。山を「征服する」のではなく、風景の一部として共に在ること

だからこそ、次のトレッキングを考えるとき、ぜひ自分にこう問いかけてみてください。「私は何を“完了”させたいのか?」ではなく、「私はこの旅で、何を“感じたい”のか?」と。

脚を動かすだけではなく、魂が動かされるような道を選んでください。

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ラダックを壊さずに歩くための実践的なヒント

ここまで読んで、「ラダックのトレイルは美しいけれど、実際にどう歩けばいいの?」と思われた方もいるかもしれません。このセクションでは、ヨーロッパの冒険者に向けて、ラダックを敬意と共に歩くための実用的なヒントをお届けします。鍵は、準備を万全にすること。でも、それ以上に大切なのは、予想を超えた“驚き”に身を委ねる心構えです。

初めての方や探求者向けおすすめルート

ラダックには美しいトレイルがたくさんありますが、特に文化・景観・アクセスのバランスが良いのが以下のルートです:

  • マルカ谷トレック:中級者向け。古い僧院、川の徒渉、村々の温かい暮らし。所要5~7日。レーからチリンまでが一般的なスタート地点。
  • ラマユル~チリン:月面のような景観と仏教文化が交差するルート。ワンラ、ヒンジュなどを経由。
  • ルムツェ~ツォ・モリリ:経験者向けの長距離&高所ルート。5,000m超の峠をいくつも越え、最後は絶景の湖に到着。所要8~10日。
  • フクタル僧院トレック(ザンスカール):心の巡礼に最適。短め(3~4日)ながらも、文化的インパクトは深い。崖に埋め込まれた僧院が終着点。

ベストシーズン

ラダックのトレッキングに適した時期は6月下旬~10月中旬です。気候が安定しているのは7~8月。9月は空気が澄み、谷が黄金色に染まります。10月は静けさを楽しめますが、寒さには注意。6月初旬は峠にまだ雪が残ることもあり、7月は一部地域(カルギルやスル渓谷など)での集中豪雨に留意が必要です。

パーミットと規制

外国人旅行者はインナー・ライン・パーミット(ILP)が必要な地域があります(ヌブラ谷、パンゴン湖、ツォ・モリリなど)。レー市内の旅行会社やオンラインで手配可能です。ザンスカール方面や国境近くのエリアに入る場合は、最新の規制を事前に確認してください。

ガイド・装備・サポート体制

経験豊富な方であれば自力でも可能ですが、ラダックでは地元ガイドと共に歩くことを強くおすすめします。安全性の向上はもちろん、文化的理解が深まり、地域経済にも直接貢献できます。ホームステイ型のトレッキングでは、ポーターやテントは不要で、寝袋とオープンな心があれば十分です。

より長距離または高所を含むルート(例:ルムツェ~ツォ・モリリ、カンジ~パドゥムなど)では、馬による荷物運搬やキャンプ装備が必要になります。レーには、装備レンタルやスタッフ手配が可能なツアー会社が複数あります。

足跡は残さず、心を残す

ラダックではゴミ問題が深刻化しています。使い捨てプラスチックは避け、浄水タブレットやフィルター付きボトルを使い、すべてのゴミは必ず持ち帰ってください。僧院などの宗教施設では、靴を脱ぎ、撮影前には一声かけるなどの配慮を忘れずに。

そして最後に、目には見えないものを残してください。感謝、敬意、そして沈黙。そうした“贈りもの”こそが、あなたが去ったあともラダックを守り続ける力になります。

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未来へ向かって歩く

地球上のあらゆる「秘境」がアクセス可能になった今、本当の“最果て”は、もはや地理的な場所ではなく「倫理的な態度」なのかもしれません。誰かの土地を通り抜けるとき、私たちはそれを消費してしまっていないか?美しさを求めるとき、それを傷つけてはいないか?驚きを求めるあまり、その場所に「演じること」を強いてはいないか?

ラダックは、こうした問いに明確な答えを持っているわけではありません。でも、もっと良い問いを投げかけてくれる。それこそが、いまの旅人に必要な贈りものだと思うのです。

ラダックのトレイルは混雑していません。Wi-Fiもありません。快適とは言い切れないでしょう。でもその不便さの中に、私たち――とくにテクノロジーに囲まれ、速度の中で暮らすヨーロッパの人々――が強く求めているものがあります。それは、「ゆっくりと、ただ存在すること」

もちろん、ラダックも変わります。変化は避けられません。その一部は歓迎すべきものであり、また一部は警戒すべきものでしょう。でも、今ならまだ間に合います。「観光地」ではなく「再生のモデル」として未来を描くことができるのです。

想像してみてください――すべての旅人が、トレイルに入る前に現地の言葉をひとつ覚える。すべてのトレッキング会社が、トレイルの維持に寄付を行う。すべての許可証に、気候対策費が含まれる。沈黙は守られるべきものとして評価される。霊性を帯びた場所は、撮影されるのではなく、敬われる

ベルリンでも、ブルージュでも、ボルドーでも、あなたがこの文を読んでいるなら、ひとつだけ伝えたいことがあります。ラダックは救いを必要としてはいません。でも、連帯は必要としています。それは援助ではなく、意識の共有。「どう歩くか」、「何を価値とするか」、そして「商品化しない勇気」です。

だから、ブーツを履いてください。でも同時に、好奇心を持ってください。敬意を持ってください。荷物を軽くしてください。

なぜなら、ラダックでは、持っていくものが少ないほど、受け取るものは大きくなるからです。

そして旅を終えて戻るとき――都市へ、仕事へ、受信トレイへ――それでも戻れない「自分以前の姿」に、ふと気づくかもしれません。あなたが持ち帰ったのは、荷物ではなく、山が息をしているのを聞けるようになった、新しい“聴く力”なのです。

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著者について

アイラ・ヴァン・ドーレンは、オランダ・ユトレヒト出身の再生型ツーリズム・コンサルタントです。現在はペルー・クスコ郊外に在住し、世界各地の持続可能な観光モデルに関わってきました。ブータン、チリ、ニュージーランドなど、観光と自然・文化との共存に向き合う土地での豊富な実地経験があります。

彼女の文章は、統計と感覚のバランスが取れており、分析的でありながらも読者の心に語りかけるようなスタイルが特徴です。「どこへ行くか」だけでなく、「どう歩くか」という問いを常に投げかけています。

今回が初めてのラダック訪問でしたが、その静けさと文化に深く惹かれ、世界の名トレイルとの比較というテーマで本稿を執筆しました。

彼女の言葉を借りるなら:
「ブータンが“国民総幸福”で成功を測るなら、ラダックは“訪問者1人あたりに守られた静けさ”で観光を測ってみてはどうだろう?」