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旅の未来はすでに始まっている ― まだラダックには届いていない

はじまりに ―「消費」から「共創」へ、旅のかたちが変わるとき

私が初めてレーに降り立ったのは9月の終わりでした。高原の太陽はすでに低く傾き始め、インダス渓谷には長い影が落ちていました。まず感じたのは、静けさでした。それは高度よりも重く、祈りよりも静かで、無理に気づかせようとするのではなく、ただそこに在るような沈黙でした。

けれど私は、その風景の中に、どこか矛盾のようなものを感じていました。ペルーから到着したばかりの私は、世界のあちこちで見てきた“変化の兆し”が、ここラダックにも静かに迫っていることを感じ取っていたのです。ラダックは、何かを待っているように見えました。あるいは、誰かを。

この物語は、ラダックだけの話ではありません。今、アイスランドやブータン、ニュージーランド、そして南米の一部では、すでに旅の未来が始まっています。そしてその波は、ラダックにはまだ届いていません。けれど問題は、「ラダックはその動きに乗れるかどうか?」ではありません。「もし乗れなかったらどうなるのか?」という問いなのです。

世界では今、旅の在り方が大きく変わろうとしています。ただ風景を“消費”するのではなく、そこに何かを“残す”旅。見て、撮って、通り過ぎるだけの旅から、共に作り上げる旅へ。これが、いま注目されている「再生型ツーリズム(Regenerative Tourism)」です。自然や文化に与える影響を減らすだけでなく、それらを積極的に癒やし、再生していくという発想です。

私が今暮らしているペルーの高地では、地元の人々が主導するトレッキングが、自然保全と文化継承を支える大きな力になっています。ブータンでは「国民総幸福量(GNH)」という考え方が、観光の価値を再定義しています。アイスランドでは観光客の流れをデータで管理し、自然への負荷を軽減しています。そしてラダックは――その扉の前に立っています。

このコラムは、ひとつの地図であり、ひとつの問いかけです。ヨーロッパをはじめとした世界中の旅行者にとっては、「消費する旅」ではなく「意味のある旅」を探すための道しるべ。ラダックの地域社会、政策立案者、観光関係者にとっては、「これから、どうするのか?」を考えるためのヒント。そして何より、旅を良い力として信じるすべての人々にとって、新しい視点となることを願っています。

次のセクションでは、再生型ツーリズムの本質を紐解き、世界の先進地がどのように実践しているのかを見ていきます。そして、ラダックがこの流れにどう応えることができるのかを考えていきます。なぜなら、旅の未来はすでに始まっているからです。――まだラダックには、来ていないだけで。

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第1章 ― 再生型ツーリズムとは? 世界から見る最新事例

「持続可能」から「再生」へ:考え方の転換

これまで、観光業のキーワードといえば「サステナビリティ(持続可能性)」でした。環境に配慮し、足跡を残さず、そっと立ち去る旅。しかし、気候危機や文化消失が加速する今、そのアプローチではもう足りないと世界は気づき始めています。

そこに登場したのが「再生型ツーリズム」。単に「悪影響を減らす」のではなく、「訪れることで良い変化をもたらす」という考え方です。旅人はただの“お客様”ではなく、その土地の再生に関わる存在として迎え入れられるのです。

この考え方は、世界のいくつかの地域ですでに実践されています。ニュージーランドではTiaki Promise(ティアキの約束)という仕組みがあり、旅行者自身が土地と人を守る「守護者」となることを宣言します。チリ・パタゴニアでは、環境に配慮したエコロッジが、単にカーボンニュートラルではなく、気候にプラスの影響を与える取り組みを進めています。

たとえば、あるトレッキングでは、歩くだけで終わりではなく、植樹や文化体験を通じて地域を再生することができます。ホームステイは「泊まる場所」ではなく、「伝統や言語、手仕事が蘇る場」になります。こうした体験は、単なる観光アクティビティではなく、訪れる人と地域との共創であり、旅そのものが社会にとって価値あるものとなっていくのです。

似て非なる言葉たち:「意識的」「倫理的」「癒しの」旅

ここで一度、言葉に立ち止まりましょう。「持続可能な旅」「意識的な旅」「倫理的な旅」「癒しの旅」。どれも似た響きを持ちながら、少しずつ異なる意味を持ちます。

意識的な旅(Conscious Travel)は、自分の行動や影響に気づき、選択する旅。倫理的な旅(Ethical Travel)は、訪れる土地の人々にとって公平であることを目指します。癒しの旅(Restorative Travel)は、環境や歴史的トラウマ、そして心の傷に癒しをもたらす旅。そして再生型ツーリズム(Regenerative Travel)は、それら全てを内包しつつ、「旅人もまた、地域に与えることができる存在である」という考えを土台にしています。

たとえばアイスランドでは、有名観光地に人が集中しすぎたことを受け、観光客の流れを分散させる政策がとられました。ブータンでは訪問者数を制限し、精神的遺産を守るための高額な観光税を導入。ペルーの聖なる谷では、ガイドがルート案内人から文化の語り部へと変化しつつあります。

彼らが共通して行っているのは、「どんな旅を増やしたいか?」という問いを持ち、それに沿って観光のあり方をデザインしていることです。旅を“起こるがまま”に任せるのではなく、未来に向けて方向づけしているのです。

では、ラダックはこの世界的な動きの中で、どこに立っているのでしょうか? そしてこれから、どちらの方向へ歩き出すのでしょうか? 次の章で考えていきます。

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第2章 ― 時を越える風景、分岐点に立つラダック

急激に愛されたラダックという魅力、そしてその危うさ

ラダックには、時間をゆがめるような力があります。祈祷旗がキャラコのようにひらめく中、影はゆっくりと伸び、空気には静寂が溶け込んでいます。けれど近年、その静けさの中に、めまぐるしい変化の足音が混じるようになりました。

ヨーロッパをはじめとする旅行者たちは、標高、沈黙、そして“本物らしさ”を求めてラダックに魅了されています。しかし、あまりにも早く“見つかってしまった”場所は、時にその魅力を自ら壊してしまうのです。パンゴン湖やカルドゥン峠には、大量の観光客が押し寄せ、かつて聖なるものだった空間にゴミと騒音が漂い始めました。

これはラダックだけの問題ではありません。マチュピチュ、バリ、アルプス。世界中の絶景地が同じような過程をたどってきました。しかし、多くの場所ではいま、方針を変え、バランスを探る取り組みが始まっています。ラダックはまだ、その入り口に立っているのです。

ラダックが「再生型ツーリズム」の議論に入れていない理由

ラダックはその自然の豊かさ、文化の深さからして、本来であれば世界の「再生型ツーリズム」の議論に入っていても不思議ではありません。けれど、今のところその名前はあまり登場しません。なぜでしょうか?

その一つは、現在の観光モデルが「価値」よりも「数」を重視しているからです。年間の訪問者数、移動台数、宿泊施設の稼働率――それらが「成功」の指標になってしまっているのです。また、宿泊業者、地元自治体、行政、村人の間で十分な連携が取れておらず、観光を地域全体でデザインする仕組みがまだできていません。

そして、もう一つの理由は「語り方の欠如」です。ブータンが「幸福」という言葉で観光を語り、アイスランドがデータと技術で「守る観光」を打ち出す一方で、ラダックにはそれを伝えるストーリーテラーやメッセージが不足しています。

ドイツ、フランス、オランダ、北欧諸国の旅行者たちは、いま「静かで、誠実で、意味のある旅」を探しています。ラダックにはそれを提供できる素材があります。けれど、それをどう伝えるか、どう形にするかはまだ模索中です。

今、ラダックに必要なのは、もっと多くの観光客ではありません。必要なのは、新しいタイプの旅人、新しいタイプのガイド、そしてまったく新しい観光の在り方です。「何人来たか?」ではなく、「何を守れたか?」を問う時代に入るのです。

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第3章 ― 世界の再生型リーダーたちからラダックが学べること

ブータンの「高付加価値・低インパクト」戦略

ブータンが観光を開放したのは1974年。それも慎重なかたちでのスタートでした。国の幸福度を「国民総幸福量(GNH)」で測るこの国では、「多くの人を受け入れる」よりも「深く受け入れる」ことに重きを置いています。現在では訪問者一人あたりに持続可能性料金が課され、それが医療や教育、環境保護に再投資される仕組みになっています。

ラダックにとって、このモデルは非常に示唆に富んでいます。模倣する必要はありませんが、「訪れた人が、ただの旅行者でなく地域の一部になる」という考え方は、確かに応用可能です。滞在するだけで、土地に何かを残していける旅。そんな未来を、ラダックでも想像してみてはどうでしょうか。

ペルー・聖なる谷:「ゆっくり」を尊ぶ聖域

私が暮らすペルーの聖なる谷では、「遺跡を見る」ことが旅の目的ではありません。そこにとどまり、共に過ごすことが重視されます。ラレス・ルートなどの地域主導型トレッキングでは、旅行者がケチュア族の家族と食事を共にし、儀式に参加し、物語を共有する体験が提供されています。旅のテンポがゆるやかになることで、そこにある文化や自然がより深く感じられるのです。

ラダックでも同じようなことができるはずです。ホームステイを「ただの宿」ではなく文化の案内役と位置づけてみる。大麦の種まき、バターランプの制作、ラダックの宇宙観を囲炉裏の前で聞く——そんな体験があれば、旅人と地域の間に本物の関係性が生まれます。

アイスランドの観光分散とシーズン戦略

アイスランドの風景は、ラダックに負けず劣らず荘厳で繊細です。人気観光地に人が集中しすぎたことで、政府は観光の流れを分散させる施策を導入しました。オフシーズンの旅行を促進し、リアルタイムの訪問者データを活用して混雑を予測・回避する仕組みが整っています。さらに、あまり知られていない地域への誘導もデジタルで積極的に行われています。

この考え方は、ラダックにとっても大きなヒントになるはずです。ザンスカール、チャンタン、シャムバレーなど、観光資源としてのポテンシャルがありながらも、まだ十分に紹介されていない場所がたくさんあります。観光の時期をずらし、流れを分散させることで、環境への負担を減らし、地域経済をより安定させることが可能になります。

ブータン、ペルー、アイスランド——これらの国に共通するのは、「観光が自然に起きるもの」ではなく、「意図を持って設計されたもの」であるということ。ラダックにも、その道があります。ただし、それを選ぶかどうかは、今ここに生きる人々次第なのです。

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第4章 ― ラダックにおける再生型ツーリズムの設計図

ステップ1 ― 測るべきは「沈黙」「雪解け」「笑顔」

再生型ツーリズムを始めるには、まず何を評価し、何を大切にするかを決める必要があります。そして、そこで使う「ものさし」もまた変えなければなりません。

たとえば、毎年の観光客数や売上額ではなく、「その谷にどれだけの静けさが残ったか」「どれだけの氷河が守られたか」「旅のあとに村人の笑顔がどれほどあったか」——そんな指標でラダックの観光を評価できたらどうでしょうか。

本当の意味での成果を測るには、新たなデータが必要です。地域に残った収益、生物多様性の維持、伝統知識の継承。これらを大学やNGO、そして旅行者自身と連携して追跡することができます。アイスランドがデジタルで観光客の動きを管理しているように、ラダックでも環境ストレスと文化的聖域をマッピングして共有することが可能です。

たとえば、旅行の終わりに「自分の旅が地域に与えた影響レポート」が届くとしたら?使用した水の量、炭素排出量、地元経済への貢献時間。責任と誇りが可視化されることで、旅の在り方そのものが変わってくるはずです。

ステップ2 ― 癒やしをもたらす体験をデザインする

再生型ツーリズムとは、単なるチェックリストではなく「体験の設計思想」です。ラダックで提供される観光体験も、「見る」「移動する」から、「関わる」「癒やす」ものへと変えていく必要があります。

たとえば、ヘミス国立公園を歩く瞑想トレッキング。あるいは、遊牧民と数日を共にし、羊のリズムに合わせて暮らすチャンタン体験。寺院を訪ねるだけでなく、線香を手作りしたり、バター造形を保存したりする。これらはアクティビティではなく、人と場所をつなぐ儀式です。

癒やされるのは、土地だけではありません。旅人もまた、自分が「ただ見る側」ではなく、「何かを一緒に築く側」になることで、自身の感覚が研ぎ澄まされ、深く癒やされるのです。

ステップ3 ―「数」ではなく「質」に報いるしくみ

ラダックは今、ひとつの選択を迫られています。「訪問者数を増やす」のではなく、「関係性を深める」観光へと向かうのか。

たとえば、混雑した観光地よりも、遠隔地の村に宿泊した人には許可証の割引を。オフシーズンに旅した人には特典を。炭素排出をオフセットした人には優遇を。そうした仕組みを作ることで、旅の質が変わります。

ガイドの認定も、単なるルート知識や高山病対策ではなく、文化への理解力、環境倫理、共感力などを含めたものへと進化できます。宿やツアー会社も、収容人数ではなく地域への貢献度で評価されるようになれば、観光そのものが「地域を癒やす手段」となるでしょう。

再生型ラダックは、決して「より賑やかなラダック」ではありません。静けさが守られ、氷河が敬われ、人と人が支え合う場所。そんな場所を目指して、設計図はすでに描かれ始めているのです。

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第5章 ― 再生型ラダックを訪れるのは、どんな旅人か?

「見る」から「感じる」へ

旅の未来は、ツアーTシャツを着た団体や、車列をなす観光客の姿ではありません。静かに、時間をかけてやってくる人たちです。彼らは寺院の数を数えるのではなく、谷の静けさに耳を澄ましに来ます。美しさを“消費”するのではなく、感じ取る旅を求めているのです。

こうした旅人は、特にヨーロッパの中でもドイツ、フランス、オランダ、北欧から増えてきています。彼らの問いは違います。「私はこの土地に、どんな影響を与えるのか?」「私は、この場所にとって役立つ存在になれているのか?」彼らが求めているのは、贅沢さではなく、意味のあるつながりです。

歩くことを選び、急がず、地元の人と共に時間を過ごす。そんな旅を望む人たちは、観察者ではなく、関わりを求める人なのです。そして、もしラダックが彼らをそのように迎えることができれば、旅は地域と旅人の両方にとって、豊かなものになるでしょう。

変わるべき「ガイド」という存在

こうした旅人を迎えるには、ラダックのガイド像も変わる必要があります。単なるルート案内や宿の手配係ではなく、文化の解説者、自然の守り手、時には精神的な伴走者としての役割です。

ペルーやアイスランドでは、ガイドに物語を語る力を育てるトレーニングが導入されています。事実だけでなく、価値や感情を伝える力が求められているのです。

ヘミス僧院の歴史だけでなく、その背後にある精神性を伝える。氷河の前で、写真ではなく静寂を共有する。そのためには「話すこと」だけでなく、「語らないことの大切さ」も学ぶ必要があります。

ガイドの資格も、高山病への対処法や地理知識だけでなく、言語、文化理解、環境倫理、感情のケアまで含む総合的なスキルへと進化させるべきです。これは理想論ではなく、再生型のプロフェッショナリズムです。

再生型ラダックにおいて、ガイドはもはやサービス提供者ではありません。異なる価値観の「橋渡し役」。過去と未来をつなぐ人。そして、旅人とラダックの心をつなぐ存在になるのです。

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結論 ― ラダックは「最後の場所」か、「最初の場所」か?

ラダックには、こんな言い伝えがあります。「道は待つものではなく、歩くことで生まれる」。今、ラダックはまさにその“分岐点”に立っています。一方には、これまでの大量消費型の観光。もう一方には、静けさ、再生、そして関係性を軸とした旅のかたちがあります。

ラダックは、ブータンでもペルーでもアイスランドでもありません。でも、それでいいのです。ラダックはラダック自身のやり方で、再生型の観光を形にする力を持っています。氷河、僧院、遊牧の道、アンズの花。どれも、ただの“観光資源”ではなく、この土地に受け継がれてきた“遺産”です。そして観光は、それを守る手段にもなりうるのです。

でもそれは、自然に起こるものではありません。想像し、計画し、行動に移す必要があります。そこには政策の転換が必要であり、新しい発想が必要であり、これまで声を持たなかった人々――女性、遊牧民、僧侶、若者――の参加が必要です。短期的な利益ではなく、長く続く関係性を優先する選択を、今こそ問われています。

旅人にとって、メッセージは明快です。見るためではなく、出会うために来てください。峠を越えるためではなく、谷の声を聴くために。その土地の静けさを感じ、自分自身と向き合うために。旅の目的地は「どこ」かではなく、「どう行くか」。そしてその道で、誰になるのか

ラダックは、再生の流れに乗り遅れた「最後の場所」になるのでしょうか? それとも、誰も歩いたことのない未来を切り拓く「最初の場所」になるのでしょうか?

それは問いかけではなく、招待状です。ひとつの一歩から、そして、語り直すひとつの物語から始まるのです。

旅の未来は、すでに始まっています。あとは、それがヒマラヤに届くのを待つだけです。

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著者プロフィール

オランダ・ユトレヒト出身。現在はペルー・クスコ郊外に在住。

再生型ツーリズムのコンサルタントとして、世界各地で自然と文化の調和を目指した観光づくりに携わってきました。

統計と感性の両方を大切にした文章で知られ、ブータン、チリ、ニュージーランドなどとの比較を通じて、多角的な視点で旅のあり方を語ります。

ラダックを訪れるのは今回が初めて。外から来たからこそ見える視点で、地域に新たな問いと気づきをもたらします。

彼女がよく語る問いのひとつは、次のようなものです。
「ブータンは国の豊かさを『国民総幸福量』で測っています。もしラダックが“旅人1人あたりに残された静寂の量”で観光の価値を測ったら、どうなるでしょう?」