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塩と靴の記憶 ― ツォ・カル盆地を越えて | ラダックの塩原を歩く旅

風が塩を運ぶ場所 — ツォ・カルの最初の光景

風が湖よりも先にやってくる。彫刻刀のように谷底を削りながら、沈黙をもろく鋭いものへと変えていく。私が初めてツォ・カル湖を見たとき、それは水としてではなく、視界の端にきらめく反射として現れた。ラダックのチャンタン高原の地平線に、ぼんやりと揺れる白い光。標高の高い場所では、すべてが平面的になる。距離は幻になり、近くに見えるものほど遠く、何もないように見える場所に、こっそりと秘密が潜んでいる。

地元の人々はこの湖をホワイトレイクと呼ぶが、実際には白くもなければ、常に湖であるとも限らない。その浅瀬は乾ききって塩の平原となり、骨のように乾いた風が、地表に幾何学模様の亀裂を刻む。靴の下で軋む塩の上を歩いても、足跡は残らず、ただ砕けた塩の粉と、足の裏から染み上がる痛みだけが残る。

ここは人間のための場所ではない。征服する場所でもない。まるで砂漠や忘れ去られた思考のように、ただ通り過ぎるための場所なのだ。風景を眺めたり写真を撮るためではなく、沈黙の味を知るために歩く。標高4,500メートルを超えるこのツォ・カル盆地は、誰も歓迎しない。そこにあるのは、観察と試される沈黙だけだ。

後ろを振り返れば、パンから続いていた道はすでに消え、黄土色の尾根と風にのみ込まれていた。前方には、古びた羊皮紙のようにひび割れたツォ・カルの塩原が広がっていた。ルプシュ渓谷の野生動物や過酷な美しさについて読んだことはあった——遠くに走るチベットノロバ(キアン)、塩気を帯びた湖畔に営巣するクロズル。けれども、文字と歩くことは違う。本の中では湖は荘厳だが、足元では容赦なく、現実的で、痛い。

道の途中で、無言のまま牧夫が私の横を通り過ぎていった。顔を羊毛のスカーフで覆い、記憶だけを頼りに歩いているようだった。彼の後ろを、塩の大地を音もなく歩くヤギたちが続いていた。ここでは、生きることが祈りに近い。足元に刻まれる一歩一歩が、「なぜこんな場所で人が生きるのか」という問いかけに変わっていく。

ヨーロッパのような、緑で満ちた柔らかい土地から来た人にとって、ツォ・カルとの最初の出会いは、いわゆる美しさではない。むしろ、むき出しで、容赦がなく、厳しい——だが、それこそがこの場所の魅力なのだ。私たちが「住める場所」や「称賛すべき風景」だと考えているものを、ツォ・カルは根本から揺さぶってくる。

それでも私は、その塩と沈黙と秘密へ向かって歩き続けた。

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ふたつの沈黙のあいだ ― 歩き出しの瞬間

沈黙には、入り込む沈黙と、持ち運ぶ沈黙がある。パンの外れで私を迎えたのは、前者だった――広大で、無機質で、よそよそしい沈黙。それは、まるで地質そのもののように古く、ルプシュ渓谷の骨の中に彫り込まれていた。私はその中に歩み出した。目的地ではなく、「不在」の中へと。

道は、軍のトラックが昼寝するように並ぶ砂埃のキャンプで終わっていた。そこから先は、人の気配も動きもなくなる。私は南東へ向かって歩き始めた。プガ渓谷の地熱地帯に向かうルートだ。そこでは、空気に硫黄のにおいが立ちこめ、地面はまるで皮膚の下に怒りを抱える生き物のように震えていた。

私はゆっくり歩いた。慎重というより、空気が薄すぎて早くは歩けなかったのだ。標高4,500メートルを超えるこの地では、順応は「対策」ではなく「交渉」である。鼓動は胸でなく頭に響き、歩くという行為が文章を書くように遅く、丁寧になる。これはトレッキングではなく、筆写だった。

道というほどの道はなく、遊牧民やチベットノロバ(キアン)たちが踏みならした痕跡がかすかに残るだけだった。たまに糞の塊や蹄の跡、風に色を奪われた祈祷旗が見つかる。時間の感覚が狂っていく。何時間も歩いても地形は変わらず、影は動かない。塩で白く染まった靴は、まだ湖にもたどり着いていないのに、私の体が自らを削っていることを告げていた。

この道を歩く旅行者はほとんどいない。多くの人は車でツォ・カルに来て、湖を眺め、写真を撮り、風が語りかける前に去っていく。しかし、ツォ・カル盆地を徒歩で横断することは、自分の中の「柔らかさ」をそぎ落とすことに近い。これは「旅」ではなく、通過だ――喧騒から静けさへ、贅沢から乏しさへ。

私は荷物を軽くしていた――米、塩、茶、1冊の本。テントはなく、敷物と、星への信頼だけだった。夜は寒く、地面は硬く、肺は気まぐれになるだろう。でも、私は眠るためにここに来たのではない。何も語らない場所の声を、ただ聞くために来たのだ。

もしあなたがラダックのこの地――プガの地熱泉や、ツォ・カルの西に広がる砂利の平原――に来る機会があれば、車を降りて歩いてほしい。湖の前に沈黙が始まる。その場所こそが、本当の盆地なのだ。

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足を焼く塩 ― 塩原の中央を歩く

正午、盆地はまるで光の鏡のように平らになった。影は消え、空は濃いコバルトに変わった。私はツォ・カルの本当の中心に足を踏み入れていた。そこに湖の姿はなかった。あるのは、かつて水があったという痕跡――目を焼くような白さと、割れた塩の地面、そして思考を歪めるほどの暑さだけだった。空気が揺れ、音は消え、私の足音と風だけが残った。

そのとき、動くものが視界に入った。最初は陽炎だと思ったが、それは輪郭を強めながら近づいてきた。チベットノロバ(キアン)の群れだった。ラダックの野生のロバ。頭を高く上げ、塩の大地を打つように駆けていく。その足音が、太鼓のように大地を震わせた。写真も、双眼鏡もいらない。ただ私と、舞い上がる塵と、胸を打つ鼓動だけがあった。

ラダックの塩原を歩くということは、大地ではなく「水の骨」の上を歩くことだ。場所によっては塩の地面が砕け、あるいは軋み、靴を削り、足首を刺す。塩の粉が風に舞い、目を焼き、喉に入り込むとは思っていなかった。呼吸するたびに痛みが走り、水を飲む量を減らすしかなかった。

そのとき、遠くから音が聞こえた。高く、風に乗って届くような、笛のような声。湖の端に現れたのは、クロズルのつがいだった。神話から抜け出したように、塩水の小さな水たまりのあいだを、静かに歩いていた。彼らは二度、声を発した。あとは沈黙だった。その瞬間、彼らは「種」ではなかった。ただ「存在」だった。この「無」を貫く存在。

私は歩みを止めた。畏敬からではなく、盆地がそれ以上進ませてくれなかったからだ。ここでの沈黙は、より重く、密度があった。耳、肋骨、心にまで圧力をかけてくる。思考は文章をやめ、単語だけになった――白、乾き、風、焼ける。そしてその奥にあるのは、静けさだった。

次の1時間、私は何も生きたものを見なかった。ただ塩。耳の奥で脈打つ自分の血の音だけが続いた。どれだけ歩いたのか、なぜ歩いているのかも分からなくなっていた。盆地は私の時間感覚と目的意識を再構築していた。もはやこれはトレッキングではなかった。これは通過であり、空気と光と自分の内面を抜けていく旅だった。

車でツォ・カル盆地を訪れる者は、風景を見ることはできる。だが、歩いて横断した者だけが「変化の過程」を体験する。塩、埃、そして呼吸以外は何も残らないこの場所では、余分なものが削ぎ落とされていく。ここには、騒音も、飾りも、個性すら必要ない。ただ、塩と、風と、息だけがあればいい。

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チャンパ族との出会い ― 風につながれた天幕

それは突然だった。ひとつ前の瞬間まで、風景は空っぽだった。そして次の瞬間、そうではなくなった。いくつかの低く黒いテントが、地面に植えられたかのように、静かに現れた。立てられたのではなく、地に縫い付けられた石のようだった。一本の煙が上がり、風に押されて横に流れていた。私はチャンパ族の遊牧キャンプにたどり着いたのだ。地図にも、道標にも載っていない場所に。

チャンパは風と羊毛の民だ。彼らはチャンタン高原を移動しながら暮らし、計画よりも本能に従って進む。私はゆっくりとテントに近づいた。塩の地面に鳴る自分の足音が、やけに大きく感じられた。最初に現れたのは、8歳ほどの少年だった。頬は寒さと日差しで赤く、手は縄を編んでいた。彼は私を見つめ、何も言わず、ヤク毛のテントの影に消えた。

しばらくして、ひとりの年配の男が現れた。土と石のような色の衣を何枚も重ねている。我々は言葉ではなく、うなずきで挨拶を交わした。ここでは言葉よりも所作が語る。彼は、何も尋ねることなく、塩入りのバター茶を差し出した。私たちはテントの入り口に腰を下ろし、風景の光が変わっていくのを黙って見ていた。風はロープを引っ張っていたが、結び目はしっかりと持ちこたえていた。まさに風につながれた天幕だった。

やがて、少しずつ言葉が交わされた。それは土地と同じく、簡素で、間を多く含んでいた。彼は冬の話をした。羊を失った話を。三日続く嵐のこと、音もなく死がやってくること。彼は私のことを何も聞かなかった。私がここにいることは、驚きではなかったのだ。すべてが白に覆われ、風に削られるこの世界で生きてきた者には、何も驚きはない。

私が驚いたのは、その強さではなく、そのリズムだった。この過酷な土地の中を、彼らは逆らわずに生きていた。彼らの暮らしは塩と羊毛と標高に縫い付けられている。征服ではなく、協調。それは多くの現代旅行者が理解できず、実行もできない哲学だ。

別れ際、彼は布にくるまれたひとつまみの塩を手渡してくれた。「旅に持っていきなさい」と、彼の方言で静かに言った。その塩には、かつては本当の価値があった。何世紀ものあいだ、隊商たちはこの塩原を越えて、谷の村々に塩を運び、物と交換していた。その交易は今では消え、代わりに包装食品とトラックが走っている。だが、この小さな行為は今も残っていた。

私は歩き出した。テントはすぐに大地に溶け込んでいった。やがて、跡形もなく消えた。残ったのは、うっすらと漂う煙のにおいと、あの少年の無言のまなざしだけだった。すべてを風が消していくこの土地で、最後に残るのは「人」なのだ

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地の果ての夜 ― 冷たい焚き火と星の地図

この盆地では、夜は一気にやってくる。数分前まで淡い青に染まっていた世界は、すぐに巻かれた羊皮紙のように内側に折りたたまれていく。気温は容赦なく下がる。夕方には、足元の塩が硬くなり、風は明確な意思を持って吹きつけてくる。襟元を引き、毛布を貫いて体温を奪っていく。そこにあるのは、風を遮る何かではなく、大地の窪みと、チャンパの茶の記憶だけだった。

私は火を起こそうとした。というより、「火のかたち」を組み立てた——小枝と乾燥した糞と、願いのようなもので。煙は出たが、炎は生まれなかった。火は完全に燃え上がることはなかったが、儀式としては十分だった。私はそのかすかな火のそばで身をかがめ、手をこすりながら空を見上げた。空はゆっくりとインク色に沈んでいく。冷たい火――温かいのは、火そのものではなく、その努力だった

その上に、星が爆ぜるように現れた。瞬きではなく、光の点として鋭く存在する。ツォ・カル盆地の夜空は、徐々に姿を現すのではない。爆発のように姿を見せる。数万もの星が、固定され、瞬きもせず、冷たく正確にそこにある。私はどれひとつも知らなかった。これは故郷の星ではなかった。星座もなかった。ここにあるのは、かつて直感で旅をしていた人々にだけ意味のあった模様。

眠りは交渉だった。マットは薄く、空気も薄い。体は丸くなって熱を逃がさぬよう縮こまる。夢は断片的だった。鳥の声、蹄の音、少年の目、老人の手、塩。いつも塩。ここでは夢さえも、土地が返してくるものによって形づくられる

午前3時ごろ、完全な沈黙で目が覚めた。風も動物も音を立てず、自分のまぶたの開く音すら聞こえるほどだった。私は凍った地面に立ち、用を足す。見上げれば、天の川が空を横断していた。それはまるで傷のように流れていた。その下に広がる盆地は、一瞬だけ柔らかく見えた。それは嘘だったが、美しい嘘だった。

この世界には、一夜でスケール感を塗り替えてしまう場所がある。ツォ・カルはそのひとつだ。劇的だからではない。慰めを拒むからだ。ここでは、空の下に横たわることは許されるが、安らぎは与えられない。与えられるのは「明晰さ」だ

朝には霜が二重の皮膚のように張り付いていた。私はゆっくり荷物をまとめた。手はかじかみ、吐いた息は謝罪のように空中に浮かんでいた。日が尾根の向こうからようやく顔を出す。そして私は再び歩き始めた――次の沈黙へ、次の盆地へ、次の空へ。

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塩の向こう ― ツォ・モリリの誘い

私は塩を、別れの言葉もなく後にした。目に見える区切りはなかった。塩の地面が少しずつ薄くなり、大地の輪郭が柔らかくなり、空気の中に鉱物のような味が混ざりはじめる。それだけだった。ツォ・カル盆地は、ページをめくるように静かに背後に消えていった。前方では、土地の色が骨の白から、黄土、そしてほんの少し緑を帯びた何かへと移ろっていく。何かが始まりつつあった。ツォ・モリリは近かった。

サファイア色の湖――そう呼ばれることが多い。でもその朝、湖は姿を見せなかった。雲と尾根に隠され、秘密のようにじっとしていた。私は歩き続けた。時間を押し進めるのではなく、受け入れるように。白くなっていた私の靴は、再び土の色に戻っていた。心の中も同じだった。もろさは消え、空白が生まれていた。沈黙は今もそこにあるが、重さはなくなっていた。それは、漂っていた。

途中、小さな石のケルンを見つけた。色あせた祈祷旗が巻きつけられている。風はなく、声もなかった。ただ、高原が深くゆっくりと息をしているようだった。私は立ち止まり、干しあんずの最後のひとつを口にした。溶かした雪を金属のコップで飲んだ。体は痛んでいたが、もはや文句は言わなかった。旅はもうすぐ終わる。だが、まだではない。

そしてついに、空に木炭で引いたような細い線が現れた――その青はあまりに鋭く、現実とは思えなかった。ツォ・モリリ。想像していた広がりではなく、細く始まる気配のような存在だった。厳しさのあとに訪れる、柔らかな招き。私は早足になった。焦りからではなく、感謝の気持ちからだった。ようやく、水に出会えた。

最後の1キロは、欺くように長かった。湖は近づくほどに再び隠れた。しかし一度でも見たということがあれば、それで十分だった。それはオアシスではなかった。帰還のようなものだった。塩の大地を越える中で、私は「動く」「呼吸する」「喉の渇き」という最低限のものに還元されていた。ツォ・モリリは、私に「休息」ではなく、内面の反射を差し出してくれた。

多くの人が、レーやコルゾクから車でツォ・モリリへ向かう。だが、塩から淡水へ、沈黙から風へ、まっすぐな塩原からきらめく深みに歩いてたどり着いた者だけが、この場所の意味を感じることができる。これはトレッキングではない。ひとつの元素から別の元素への翻訳。個人的な地質学のような旅だ。

私は湖の岸辺に座り、太陽が尾根に沈むまでそこにいた。水面は空を苦しいほど正確に映していた。波も、風もなかった。青と、さらに深い青。そして、背後に残された白の記憶。その瞬間、言葉は要らなかった。盆地は語り終え、湖が応じていた。私の役目は、ただ聞くことだった。

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塩が記憶するもの ― 最後の省察

塩は、簡単には落ちなかった。ツォ・モリリの岸辺で何時間も過ごし、靴を濡らし、顔を洗い、手をこすっても、それはまだ残っていた。バックパックの縫い目に、ひび割れた指の間に、そして思考の奥深くに。ツォ・カルは、記憶ではなく「残留物」として私に刻まれていた。時間が経てば色褪せる類のものではない。

私は峠を越えたわけでも、頂上に立ったわけでもない。それでも、目には見えない巨大な何かを越えてきたのだ。盆地は、何かを教えてくれたわけではない。そこには知恵などなかった。だがそれは、私を少しずつ、そして確実に組み替えた。言葉を奪い、代わりに沈黙を与えた。美しさは質感へ、時間は影へと変化していた。

この世界には、ほんとうの謙虚さを教えてくれる風景がある。それは畏怖からくるものではない。「自分が必要とされていない」ことを理解することで得られる謙虚さだ。この土地にとって、人間は必須ではない。塩が記憶するのは、風、蹄、羽根、そして埃。人の姿は、そこには含まれていない。

それでも、人は歩く。記憶されるためではなく、記憶のかたちを変えるために。乾燥した空気の感触を呼吸に残し、耳の奥に沈黙の音を刻み、まぶたの裏に星の地図を焼きつける。そういったものが、日常へと帰った後も身体に残る。夢に現れ、街の濡れた路地を歩くときの足音を変えてしまう。

私はもう一度ツォ・カルを訪れることはないだろう。二度目を許さない場所というものがある。しかし、それでも私はあの盆地を持ち帰っている。写真や言葉の中ではなく、話す前に一瞬黙る癖や、文章のなかに静けさを残すような書き方の中に。塩は忘れない。そして、一度でもその上を歩いた者も、決して忘れることはない

冒険を求める人にとって、ラダックには多くの峰、多くの道、多くの景色がある。だが、もしあなたが風景を通して内面を変化させたいのなら、塩を歩いてみることだ。靴底がすり減り、心が広がっていくまで歩き続けてほしい。言葉を持たない盆地が、あなたに何かを語りかけてくる。それだけで十分だ。

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エドワード・ソーンは、イギリス出身のトラベルライターであり、元地質学者でもあります。彼の文章は、鋭い観察力抑制された感情、そして物理的な世界への揺るぎない献身によって特徴づけられています。

彼は感情を語りません。彼が描くのは「見えるもの」「聞こえるもの」「触れられるもの」。その描写の中に、読者は沈黙畏怖、そして人里離れた風景が持つ不穏さを見出すのです。

中央アジアやインド・ヒマラヤを中心に、10年以上にわたって地形調査を行ってきた彼は、科学と詩的表現を橋渡しするような文体を持っています。彼の文章は、読者を楽しませるためのものではなく、「風景の中に浸る」ためのものです。読む者は、目で風を聞き、息を潜めて歩く感覚へと誘われます。

彼は現在、スコットランドのマル島にある石造りのコテージと、ラダック・レーにある小さな部屋を行き来しながら暮らしています。そこには、風と岩と孤独だけが共通しています。