地図にない分かれ道 ― チクタンとの偶然の出会い
忘れられない旅というのは、計画から始まるとは限りません。私はチクタンを目指していたわけではありません。というより、その名前すら知りませんでした。ラダックの旅は静かなドライブで始まり、いつものように岩だらけの峠道や乾いた谷を目で追いながら進んでいました。目的地は曖昧で、カーギルか、それより先かもしれない——でも運命には、別の地図があったようです。
ヘニスコットを少し過ぎた頃、道の脇にかすれた看板があるのに気づきました。風と時がそのほとんどを消し去っていましたが、ひとつだけ読み取れる文字が残っていました。「チクタン」。なぜか心が引かれました。説明のつかない感覚でしたが、私はハンドルを右へ切りました。
舗装道路は砂利道へと変わり、車がガタガタと文句を言うようにきしみます。でも、その先で風景がふっと開けたのです。突然、世界が変わったようでした。アンズの木が点在し、古い石造りの家々が斜面に張りつくように並び、そして遠くに見えたのは、空に向かって崩れかけたシルエットを描くチクタン・フォート。ここはパンフレットにも、人気観光地のリストにも載っていない、まったく別のラダックでした。
村の中へ進むにつれて、まるで忘れられた詩が目の前で綴られていくようでした。子どもたちが水路のそばで遊び、ヤギが自由に歩き回り、石の縁に座った年配の男性が静かに手を振ってくれました。観光客の団体も、ホテルの看板も、Wi-Fiをうたうカフェもない。ただ、急がず流れる命のリズムがそこにありました。
チクタンへの道は、単なる未舗装の分かれ道ではありませんでした。それはまるで別世界への扉のようでした。あのとき私はまだ知りませんでした。この村との出会いが、後になって自分の内側に住み続けることになるとは。でも、覚えているのです。私はスピードを落とし、窓を開け、空気を吸い込んだ——冷たくて静かで、天日干しの草と大麦の香りが混じっていました。私は小さくつぶやきました。「チクタン」。その名前には、なぜか神聖さがありました。
これまでの旅で、私は多くの壮大な風景に出会ってきました。雪山。星空。祈りの車輪がまわる音。でも、ここは違っていました。息をのむような風景ではなく、胸の奥にしみ込むような感覚でした。深い静けさ。ただそこに“在る”という存在感。私はもう通り過ぎるだけの旅人ではなく、そっと迎え入れられたような気がしました。
そうして私は、ラダックのチクタン村にたどり着いたのです。あるいは——チクタンが私を見つけてくれたのかもしれません。
石と風と静寂 ― チクタンの最初の風景
道はどんどん細くなり、やがて大地に溶け込むように消えていきました。これは観光客のための道ではありません。ここは、もともとこの地に属している人のための道。けれど、よそ者の私にも、歓迎のしるしは感じられました——それは、静寂でした。
チクタン村との初めての出会いは、劇的な演出など一切ありませんでした。切り立った稜線や映画のような絶景ではなく、ただ、静かに広がる日常の風景。それが胸に迫ってきたのです。石と土で造られた家々は低く、風に逆らわずに建ち、屋根の上には干し草や干したアンズが置かれていました。そこに息づくのは、慌ただしさとは無縁の暮らしのリズムでした。
そのすべてを見下ろすように、チクタン・フォートの廃墟が空に向かって静かに立っていました。その崩れかけた壁は、まるで眠れる巨人の肋骨のよう。私は車を止め、外へ出て、静寂がショールのように体にまとわりつくのを感じました。羊飼いが群れを連れて通り過ぎていき、表情には何も表れていないけれど、その目には優しさがありました。クラクションも、市場のざわめきも、観光客の足音もない。ただ、麦畑の上をなでる風の音と、木の扉がきしむ音だけが聞こえていました。
チクタンの魅力は、何があるかではなく、何がないかにこそ宿っていました。飾られた体験も、演出も、売り物もありません。ただ、現代の旅が置き去りにしてきたものが、そこには確かに残っていたのです。
アンズの木が古びた石垣によりかかるように伸び、その花は春の子守唄の最後の一節のように淡く咲いていました。ロバがゆっくりと水路のそばを歩き、子どもたちが空き缶を蹴って遊びながら笑い声を響かせていました。その声が谷の空気を満たしていくのがわかりました。
私はあてもなく細い道を歩きました。どこへ向かうでもなく、ただ香ばしいパンの匂いや、どこかで鳴る鐘の音に導かれて。角を曲がると、年配の人たちが木の庇の下でバター茶をすすっていました。彼らは私がどこから来たのかも聞かず、ただ席を空けて、笑顔で迎えてくれました。
ここには、金銭で測れない豊かさがありました。家の造りに、顔に刻まれたしわに、世代から世代へと受け継がれる知恵に、それは宿っています。そして、それは静かに、しかし確かに、この高地の村の文化的な豊かさを物語っていました。
その日、私はほとんど写真を撮りませんでした。レンズ越しに切り取るよりも、この瞬間にただ身を置いていたかったのです。風の音、石を踏む音、その間にある無音の気配に耳を澄ましながら。チクタンは、撮るものではなく、染み込んでくるものなのだと、私は思いました。
もしあなたが、観光地化されていないラダックの村を探しているのなら——チクタンは、きっとその答えです。でも、探しに行くのではなく、出会いに行ってください。静かに、期待せずに。ここでは、静寂が語る言葉に耳を傾けるのが、いちばんの贅沢です。
看板のない家 ― ラダックのもてなしと温かなストーブ
きっかけは、ひとつの手招きでした。石造りの家の入り口に立つ、赤いスカーフを巻いた女性。表情は、好奇心と優しさのあいだに揺れているようでした。私は麦畑が風に揺れる様子を眺めながら車を止めていたのですが、彼女は何も言わず、静かに私を中へと招いてくれました。
その家には「ホームステイ」と書かれた看板もなければ、宿の名前もありません。でも、あの瞬間、そこは私にとっての“家”になったのです。
家の中は、乾燥させたハーブ、ヤクバター、そして薪の煙が混じり合った香りで満たされていました。黒くすすけたやかんがタプオーブンの上で静かに蒸気を立てていて、その煙突は低い天井へと伸びていました。彼女の夫は、日焼けした頬と落ち着いた手つきで、薪を丁寧に割り続けていました。カーテンの奥からは孫娘のくすくす笑い声が聞こえてきて、何度ものぞき込みながら私を見ては隠れるのです。
どこから来たのか尋ねられたのは、ずっと後のことでした。まず差し出されたのはお茶——塩気とバターが効いた、初めてなのにどこか懐かしい味。そして、湯気の立つご飯とアンズの煮込みが続きました。言葉は多くなくても、目と手と笑顔で伝わる“物語”がそこにはありました。この村でのもてなしは、サービスではなく、本能のように自然なものでした。
Wi-Fiもなく、スイッチひとつで温まる暖房もなく、もちろんレビュー用のQRコードなどありません。でも私は、これまでで一番深くラダックの家庭に受け入れられたと感じました。素朴で、あたたかくて、心から満ち足りるひととき。
夜になると、隣の部屋に布団を敷いてくれました。厚手の掛け布団がいくつも重ねられ、薪ストーブのかすかな音が眠りを誘います。奥の部屋からは、家族の話すラダック語のやわらかな響きが聞こえてきて、それはまるで子守唄のように心を落ち着かせてくれました。
都市に暮らしていると、快適さは“便利さ”で測られるものだと思い込んでしまいます。でも、チクタンでは違いました。そこにあったのは、見返りを求めず差し出される温もり、静けさを分かち合うことの心地よさ、そして異なる世界の中にすっと迎え入れられる感覚でした。
ここは、ただ寝るための場所ではありませんでした。私の旅の中の一章であり、本物のラダックの暮らしを肌で感じた時間でもありました。観光客向けではなく、何世代にもわたって守られてきた暮らし。それが、そこにありました。
もしあなたがホームステイを探しているのなら、この村では看板を探しても見つからないでしょう。でも、心を開き、時間をかけて歩けば、きっとどこかの扉が開いてくれるはず。その向こうには、ただの宿ではなく、心の温もりが待っています。
信仰と時 ― チクタンに息づく仏教の鼓動
チクタンに滞在して二日目の朝、家の人がふと口にしました——「この村には仏教徒の家族が一軒だけいる」と。ごく自然に、でもどこか敬意を込めたような声でした。かつてこの谷に広がっていた仏教の鼓動は、今はたった一軒の家に受け継がれている。それを聞いて、私は静かに引かれるものを感じました。
宗教的な興味というよりも、むしろ時間の層に包まれた物語に出会いたいという思いでした。大きな声では語られない、でも確かに受け継がれているものに。
クカルチェという集落へ向かう小道は、舗装もされておらず、木々が枝を広げる中を歩いていきます。石造りの穀物倉や静かな中庭の横を通り抜けるごとに、私は少しずつ、ただの場所ではない何かに近づいていく気がしました。
村はずれの尾根に、その家はひっそりと建っていました。屋根には色あせた祈祷旗がはためき、入口には年配の女性が穏やかな笑顔で立っていました。彼女の名はツェリン・ドルマ。家の中は、タンカと古い写真、そして静けさの存在に満ちていました。
家の裏には小さなゴンパがありました。個人の仏教礼拝堂で、築400年近くになるそうです。中はひんやりとしていて、古い木の梁の隙間から差し込む光が、像の輪郭を柔らかく照らしていました。バターランプが仄かに揺れ、観音菩薩の像の前で祈りが静かに息づいているのが感じられました。
ツェリンとその息子は、この地で唯一の仏教徒として、村の暮らしのリズムに溶け込むように信仰を守っていました。毎朝、夜明け前に起きて、マントラを唱え、祈祷旗を整える。誰に見せるためでもなく、習慣でもなく、それは呼吸のように自然な行いでした。
感動したのは、彼らの信仰が「特別」であることではありません。むしろ、目立たぬまま、ムスリムの村で穏やかに共存しているその姿でした。違いを掲げることもなく、壁をつくることもなく、ただ静かに在り続ける信仰。そこには、争いではなく調和がありました。
この村の文化的な豊かさは、中心にあるものではなく、むしろ端にそっと残されているものの中にこそ感じられます。それは誰かに教えられるものではなく、見つけた人だけが気づく静かな美しさ。
帰り際、私はもう一度ゴンパを振り返りました。その背後には、何百年も変わらないヒマラヤの山並みが、揺るぎなく立っていました。そして私は思いました——チクタンの“心”は、まさにこの場所にあるのかもしれない、と。それは建物でも景色でもなく、時間と共に守られてきた静かな信仰の形なのです。
もしあなたが、場所の“魂”に触れたいと願うなら、チクタンを歩いてみてください。ゆっくりと、静かに。そして耳を澄ませて。
石と空に抱かれたおとぎの村
チクタンでは、時間が「過ぎていく」のではなく、「とどまっている」ように感じられます。
朝になると、石畳を踏む足音で目が覚めました。それは柔らかく、慎重で、急ぐ様子のない音。外を見ると、少年が羊の群れを連れて狭い小道を歩いていました。彼は見知らぬ旋律を口笛で吹いていて、不思議とそのメロディーに懐かしさを覚えたのを今でも思い出します。
村の営みは、まるでページをめくるたびに物語が立ち上がる絵本のよう。それでもこれは空想ではなく、まぎれもない現実。ここでは、おとぎ話のようなヒマラヤの村が、四季と土と共に生きています。
水路のそばで野菜を洗う女性。干し草の間を裸足で駆けまわる子どもたち。編みかけのアンズのかごに頭をもたせかけ、日なたでうたた寝をする祖母。どれもがささやかで、けれど胸に残る風景です。
村を見下ろす小高い丘に腰を下ろしました。そこからの眺めは、決して「壮大」ではありません。険しい山頂も、息をのむような絶景もありません。でも、不思議とその光景は、ラダックで見てきたどんな景色よりも美しく感じられたのです。
この場所には「やること」は何もありません。チェックリストも、ツアーも、体験型アクティビティもありません。だからこそ、深く心に触れてくるのです。チクタンは、現代の旅の常識を手放し、「感じる」ことを思い出させてくれました。
屋根の修繕、薪の収集、粉をひく手の動き。その一つひとつが、土地に「属する」ことの意味を静かに語ってくれます。ここでの高地の暮らしは、自然と結びつき、時に厳しく、けれど驚くほど調和が取れています。
村の人々もまた、流行や観光とは無縁の生き方を貫いていました。彼らの知恵は、声高に語られることはなく、身のこなしや仕草の中にさりげなく宿っていました。新しい情報に囲まれる都市の暮らしでは忘れがちな“静かな力”が、ここでは当たり前に生きているのです。
もしあなたが、インドでスロー・トラベルを体験したいと願うなら、チクタンはぴったりの場所です。ここは、目的地として「選ぶ」ものではなく、いつの間にか「出会っている」場所。時間の流れが遅くなり、自分の足音まで耳に届くような、そんな体験をさせてくれます。
石と空のあいだで、私は大切なものを思い出しました——“在ること”の静けさ、“ゆっくり進むこと”の自由、そしてただ村が呼吸しているのを見ているだけで満ち足りるという、深い喜びを。
チクタンを離れて ― 心の中に住み続ける村
私がチクタンを離れる朝、空は淡い青色に染まっていました。胸が締めつけられるような、そんな優しさを含んだ空の色でした。このままここにとどまれたら——そう思ってしまうほどに。でも、荷物はすでにまとめられ、車のエンジンは静かに回り始め、谷の外に広がる世界がまた私を呼んでいました。
玄関口で、ホストの男性がゆっくりと手を振ってくれました。その穏やかな微笑みは、出会ったときと何も変わらないけれど、そこには別れの優しさがにじんでいました。私たちは多くを語らなかったけれど、言葉以上のものを分かち合った気がします。
最後にもう一度、アンズの木を、麦の畑を、夜に星を眺めた丘を振り返ります。「ありがとう」と小さくつぶやいたその言葉が、誰に向けたものだったのか、今でもはっきりとはわかりません。でも、心からの感謝だったことだけは確かです。
山の稜線の向こうにチクタンが隠れてしまったとき、私ははっきりと感じました。この村は、写真にも言葉にも残せない、もっと深い場所に住みついたのだと。それは、ひとつの“存在感”のようなもの。これから私が歩くどんな道にも、そっと寄り添ってくれるような気がしました。
これまでさまざまな土地を旅してきました。世界遺産、絶景、有名な町並み……でも、チクタン村が私に与えたものは、そういった“見る”旅ではありませんでした。それは、静けさに包まれるという体験。何も語らずとも通じ合える人々。石畳を踏む音と、ヒマラヤの空に立ち昇る薪の煙。
こういう場所は、自らを主張しません。ただ、そこに“ある”ということの力強さで、訪れる者の心に触れてくるのです。
騒がしい街で耳をふさぎたくなるとき、SNSで情報が溢れて疲れたとき、私はふと思い出します。朝、何も求められずに目を覚ましたあの部屋の空気を。名前も知られず、でも確かに受け入れてくれた場所の感覚を。
それは単なる旅ではありませんでした。人生の中の小さな帰郷。スピードに追われる日常の中で見失っていた“感覚”を、チクタンはそっと思い出させてくれました。
もしあなたが、感情を揺さぶる旅の体験を求めているなら、あるいは、自分でも気づかないほどに“癒し”を必要としているのなら——チクタンに身を委ねてみてください。何も期待せずに、静かに訪れてください。きっと、気づかぬうちに変わっている自分に出会えるはずです。
なぜなら、人生を変えるような旅の瞬間は、拍手や感動の演出の中ではなく、木の香りがする静かな部屋や、麦が風に揺れる音の中に、そっと潜んでいるのです。
そしてその瞬間は、きっとあなたの中に、ずっと残り続けます。
もし、あなたがあの道を通るなら
すべての旅が、目的地から始まるわけではありません。ときには、ひとつの問いかけ、小さなためらい、あるいは「間違えた」と思った道が、いちばん正しかったりもするのです。私がチクタンに出会ったのは、まさにそんな瞬間でした——いや、もしかしたらチクタンのほうが、私を見つけてくれたのかもしれません。
もしあなたがラダックをさまよい、カーギルとレーの間のどこかで、風に削られた古い看板に「チクタン」の文字を見つけたなら——どうか、その道を進んでみてください。旅の計画はそっと脇に置いて、地図から少しだけはみ出してみてください。
チクタン村は、旅人が一般に求める“もの”を用意していません。ホテルも、英語のメニューも、お土産屋もない。でも、観光地化されていないラダックの村を探しているなら、ここにはそれ以上の“何か”があります。それは、ありのままの暮らしと、驚くほど素朴で豊かな人の営み。
春と夏(4月〜9月)には、アンズの花が咲き、畑が緑に染まります。秋には黄金色の丘が広がり、冬はすべてが静寂に包まれます。どの季節でも、どうか時間をたっぷり持って訪れてください。急がず、比べず、ただその場に“いる”ことを大切に。
宿を予約しようと検索しても、おそらく見つかりません。代わりに、レーかカーギルで地元の人に尋ねてみてください。「誰か、チクタンで泊めてくれる人を知らないか」と。インドでスロー・トラベルを望むなら、それが一番確かな方法です。ここでは宿泊は「サービス」ではなく、「関係性」です。一緒にご飯を食べ、床に寝て、窓の外を眺める——そのなかに、思いがけない贈り物が潜んでいます。
朝の光の中で、チクタン・フォートの廃墟を訪ねてみてください。クカルチェへ足を延ばして、静かな仏教の家族に挨拶してみてください。羊飼いと少し話して、水路のせせらぎについていくように歩いてみてください。村の「見るべき場所」はいくつかあります。でも、本当の目的地は、村そのものなのです。
なぜならここでは、「見ること」よりも、「感じること」が大切だからです。心の中に余白を残して訪れてください。その余白に、チクタンがそっと染み込んでくれるでしょう。
だから、もしあなたがあの道——石の尾根の向こうへと消えていく道を見つけたなら、その道を、どうか信じてください。
そして、チクタンが教えてくれたことを、そっと思い出してください。
地図には載っていない、でも心には残る風景が、この世界には確かにあるのだということを。
著者について
エレナ・マーロウはアイルランド生まれの作家で、現在はスロベニアのブレッド湖近くの静かな村で暮らしています。
海辺の故郷から中欧の石畳の町、そしてインド・ヒマラヤの高地の村々まで、彼女の人生は常に風景と物語に導かれてきました。
文化史を学び、旅を通して出会う「静かな真実」を描くことをライフワークとするエレナのエッセイは、文学誌や紀行アンソロジーに掲載され、時には山間のティーハウスでそっと読まれることもあります。
彼女は「最も美しい物語は、追い求めた先にあるのではなく、ふと迷い込んだ先に待っている」と信じています。
ろうそくの灯りで日記を書き、紙ナプキンに寺院のスケッチを描き、見知らぬ土地の静寂に耳を傾ける——それが彼女の日常です。