シルクロード・カルギル——忘れられた交易路の再発見
失われたシルクロード都市を蘇らせた偶然の発見
物語は、いつも偶然から始まる。隠された部屋、錆びた錠前、そしてひとつの発見。それは戦争と歴史の狭間に生きる少年の人生を大きく変えることになる。
ファイサル・レーマンが初めて爆撃の音を聞いたのは、カルギルの学校の校庭だった。1999年、戦争が訪れた。遠くから砲弾の音が響き、戦闘機が空を引き裂くように飛んでいった。インドとパキスタンの戦いがこの山岳都市をのみ込むなか、彼の家族は南へと逃れた。向かったのはスルー渓谷。そびえ立つ山々と氷河に守られた静寂の地だった。
数カ月後、戦火が収まり、人々が家へと戻り始めた頃、レーマンは祖父の傍らに座っていた。祖父は病床に伏しており、家族にひとつの頼みごとをした。カルギルのバザール近くにある、先祖から受け継がれた古い家を見てきてほしい、と。レーマンの曾祖父が建てたその建物は、長い年月の果てにすっかり古びていた。誰もが、それがただの朽ちかけた建物だと思っていた。
だが、その扉の向こうで彼らが目にしたものは、想像を超えていた。
何十年もの埃に覆われた部屋には、木箱が積まれていた。それぞれの箱には、かつて世界をつないでいた都市の名前が刻まれていた。サマルカンド、カシュガル、カブール、イスファハーン。家族が箱をこじ開けると、中国の絹がこぼれ落ちた。続いて現れたのは、アフガニスタンの銀の食器、ペルシャの絨毯、チベットのトルコ石、モンゴルの鞍。そして意外なことに、ロンドンやニューヨーク、ミュンヘンから運ばれた高級石鹸や香水までもが詰められていた。
そこにあったのは、ただの遺物ではなかった。それは、シルクロードの記憶そのものだった。貿易と帝国の栄枯盛衰を封じ込めた、時のカプセルだった。
あれから25年が経った。
かつてシルクロードの商人たちが命がけで越えたゾジ・ラ峠は、今なお世界で最も危険な道路のひとつとされている。それでも、この道はカシミールとラダックをつなぐ命綱だ。
4WDの座席を握りしめながら、私は谷底へと落ち込む1,000メートルの断崖を見下ろした。道の端は崩れかけており、車の外にはただ風と空間が広がっている。反対側の助手席では、レーマンがスマートフォンを手にし、メッセージを送っていた。彼が経営するいくつもの事業のひとつ——ホテル、博物館、NGO、ガイド付きの探検ツアーのどれかの報告だろう。
彼にとって、これは日常の通勤路だった。かつて、彼の祖先たちが旅した道と同じ道を、今も彼は走っている。
シルクロード・カルギル——忘れられた交易路の再発見
凍てついた荒野で出会った男
彼と初めて会ったのは2023年、東ラダックの凍てついた荒野だった。私は雪豹を探していた。標高4,265メートル。吹雪が巻き上がるなか、カシミールのヌーンチャイをすすりながら、彼は自身の物語を語った。戦争から始まり、忘れられた財宝の発見へと続き、やがて和解へと至る物語だった。
ラダックの山々は、長い間、征服と交易の交差点だった。インド、パキスタン、中国の境界線が揺れ動くなか、その地にそびえるヒマラヤは見張りのように立ち尽くし、氷河が削り取った谷は高原へと続く。大麦の穂が風に揺れ、インダス川沿いには白いアンズの花が咲く。尾根の上を、雪豹とヒマラヤヒグマが岩の影のように忍び歩く。
そして、その山間の村々では、チベット仏教徒、ムスリム、先住部族の人々が、かつてここを行き交った商人や戦士、亡命者たちの記憶を今も引き継いでいる。
時折、埃が舞い上がるとき、歴史はふたたび姿を現す。
今もカルギルへと続く失われた道
シルクロード。その名を聞けば、砂漠を進む隊商、かすれた異国の言葉で交わされる取引、文明と文明をつなぐ交易品の流れが思い浮かぶだろう。
しかし、それは単なる一本の道ではなかった。6,400キロにも及ぶ広大なネットワーク。ヨーロッパから東アジアの果てまで伸び、シルクロードという名の由来となった中国の絹をローマの貴族たちが求めた。だが、ここを行き交ったのは絹だけではない。思想が運ばれ、宗教が伝播し、通貨が流通した。帝国から帝国へと囁かれた、数え切れぬ秘密が交差する場所だった。
1453年、オスマン帝国が東方貿易を閉ざしたことで、ヨーロッパと中国を結ぶ道は断たれた。しかし、交易とは消えてなくなるものではない。ラダックのような土地では、古の道の断片が今なお山々を縫うように続き、歴史に抗いながら生き残っている。
シルクロードの隠された記録
ゾジ・ラ峠を越えた数日後、私とファイサル・レーマンはカルギルの町にある小さなカフェにいた。ダルとマサラチャイの湯気が立ちのぼるなか、ザンスカール山脈の鋭い峰々に反響するアザーン(イスラムの礼拝呼びかけ)が聞こえた。どこか近くのパン屋からは薪の香りが漂っていた。
そんな静かな時間のなかで、彼は語った。曾祖父が遺した奇妙な遺産を、なぜ家族が守ることにしたのか。
カルギルでシルクロードの記憶に触れるなら、その旅路自体が物語の一部だ。 レーやスリナガルから続く道を辿れば、かつての商人たちが歩いたのと同じルートを進むことになる。道は今も険しく、息をのむほど美しい。
町の中心にあるムンシ・アジズ・バット博物館には、シルクロードの遺物が収められている。ひとつひとつが失われた世界への手がかりだ。町のすぐ外には、5世紀のグレコ・ブディズム様式で彫られた石仏が残る。それは、この地がかつて中央アジアや地中海世界と結びついていた証でもある。
LIFE on the PLANET LADAKHは、カルギルやゾジ・ラを通るシルクロードの足跡を辿る10日間の旅を提供している。これは単なる観光ではない。時の狭間を旅する経験だ。レーマン自身が、自らの家族の歴史を理解するために辿った道でもある。
失われかけた宝物
最初、レーマンの家族は発見した遺物をどうすべきかわからなかった。何十年ものあいだ、沈黙のなかで眠っていた絹、銀、銅、ペルシャの絨毯。
2002年、フロリダ・アトランティック大学の人類学者、ジャクリーン・フュークス博士とナシール・カーン博士の耳にその話が届いた。彼らはカルギルへ向かい、レーマンの家族と対面した。そして、すぐに理解した。これは単なるコレクションではない。語られるべき歴史そのものだった。
彼らの助言のもと、家族は行動を起こした。レーマンの二人の叔父が博物館を設立し、一人が館長、もう一人が学芸員となった。そうして、ムンシ・アジズ・バット博物館が誕生した。
その館内には、今も古の交易路の息吹が残る。18世紀の羊角を使ったラダックの弓、19世紀の中国製銅製水パイプ。そこには、かつてラダックの冷たい空気のなかで呼吸していた世界の名残があった。
だが、本当の意味での遺産は、物そのものではなく、それらが運んできた物語にこそ宿る。
「ムンシ・アジズ・バット博物館は、大英博物館やスミソニアンのような場所である必要はないし、そうなるべきでもない」と、フュークス博士は私に語った。「この場所の価値は、個人のつながりや家族の歴史にある。ここでは交易の記録ではなく、実際に生きた人々の記憶を見ることができる。」
過去を未来へつなぐ道
博物館の運営は叔父たちが担うなか、レーマン自身は違う道を選んだ。彼にとって、この仕事は単なる保存ではなく、失われたものを再び見つけ出すことなのだ。
それは、家族の歴史を探ることだけではない。カルギルの過去を理解することができれば、現在を理解することもできるかもしれない。かつて交易がもたらした交流、移動、交換の記憶を取り戻すことで、分断されたコミュニティが再びつながるかもしれない。
レーマンにとって、シルクロードは単なる遺物ではない。いまだ歩まれるべき道なのだ。
忘れられた遺産と、それを蘇らせた男
「自分たちの家族の歴史を守ることは、誰にとっても重要なことだ。」
そう語ったのはファイサル・レーマンの叔父、アジャズ・ムンシだった。
「現代化が進む中で、私たちはどんどん自分のルーツから遠ざかっている。このまま何もしなければ、私たちの遺産は、跡形もなく消えてしまう。」
ムンシ・アジズ・バットは1866年、レーに生まれた。ラダックがまだシルクロードの潮流に深く結びついていた時代のことだ。スカルドゥ(現在はパキスタン領)で学業を終えた彼は、やがてカルギルへと向かった。そこは当時、「条約の道(トリーティー・ロード)」と呼ばれた交易路の要所だった。シルクロードの支脈のひとつであり、中国から中央アジアへと続く隠れた動脈だった。
「カルギルは昔から、さまざまな世界とつながっていた場所だ。」
レーマンは、薄暗い家族の博物館でチャイをすすりながら言った。
「名前の由来だってそうだ。カルギルという言葉には、『王国と王国の間で旅人が立ち寄る場所』という意味がある。」
バットは数字に強かった。その才覚を生かして優れた会計士としての名を上げたが、彼を本当に動かしたのは交易だった。カルギルのバザールで小さな交易所を開いたのが始まりだったが、1920年までにはそれが7軒の店にまで広がり、旅人を迎える宿と、遠方からの隊商のための厩舎をもつまでになった。
ラサやヤルカンドから、何カ月もかけてやってくるキャラバン。ヒマラヤを越えてゆく商人たちの中継地。
彼の作り上げた交易所は、中央アジア、インド、中国、ヨーロッパ、そして遠くアメリカにまでつながる生命線となっていった。
レーマンは椅子にもたれ、微笑んだ。
「この地域が、これほどまでにグローバルだったなんて、考えもしなかったよ。」
彼は言った。「カルギルは地図の上の単なる地点ではなかった。ここは、まぎれもなく国際都市だったんだ。」
カルギル最後の交易商
だが、どんな交易路も永遠には続かない。
1948年、インドとパキスタンの分離独立により、古の道は引き裂かれた。
国境は封鎖され、交易は崩壊した。キャラバンはもう、東からも西からも訪れなくなった。
シルクロード最後の商人のひとりであったムンシ・アジズ・バットは、生涯の仕事が終わりを迎えるのを見届けるしかなかった。
その年、彼は交易所の扉を最後に閉じ、鍵をかけた。
そして、それから50年近くもの間、その部屋は封印されたままだった。
戦争の記憶の残る谷で
翌朝、レーマンと私はムシュコー渓谷を見下ろす尾根を歩いた。
目の前に広がる風景には、戦争の名残が今も刻まれていた。
転がる石の間に、円を描くように並べられた岩。
風にさらされた、崩れかけの砂嚢。
1999年のカルギル戦争の痕跡だった。
この戦争がカルギルの名を地図に刻んだ。それと同時に、この地のイメージを決定づけた。
「危険な場所」「戦場」——外の世界にとって、それはもはや単なる地名ではなくなった。
「戦争に翻弄された場所では、人々はアイデンティティを失いがちだ。」
レーマンは言った。
「自分の故郷が戦場になったら、その場所をどう捉えればいい? どこに誇りを持てばいい?」
彼は足を止め、谷を見下ろした。
「だからこそ、観光が大切なんだ。
外から人が来て、この土地の歴史や文化を知り、価値を見出してくれる。
それが、自分たちの誇りを取り戻すきっかけになる。」
ルーツの再生
カルギルの、忘れられた遺産を蘇らせるために。
多くの旅行者がラダックを訪れるが、その大半はレーの町を拠点に仏教僧院を巡ったり、雪豹を探したりする。
だが、レーマンは違う道を見ていた。
「カルギルの過去を知ってほしい。
かつて商人たちが歩いた道を辿り、シルクやスパイスの取引が交わされたバザールに立つ。
ここが、戦争の地ではなく、世界と世界をつなぐ場所だったことを。」
彼は言った。「これが、僕たちの故郷だ。
そろそろ、人々にもその本当の姿を知ってもらうべきじゃないか?」
旅の記憶、語られる物語
「カルギルのイメージを変えたい。」
レーマンはそう言いながら、靴のつま先で新しい雪豹の足跡をつついた。
泥の上に残された跡は、まだくっきりとしていた。
「人々は『カルギル』と聞くと、戦争のことを思い浮かべる。
でも、本当はそれだけじゃない。
ここには歴史があり、文化があり、語るべき物語がある。」
僕らは、まだ旅を続けているんだ。
私たちは、かつてのシルクロードの道を辿り、スルー渓谷を抜け、ザンスカールの仏教王国へと向かっていた。
道は険しく、氷河が迫る谷に沿って続いていた。
そのとき、3人の老女が前方に見えた。
背中には、大きな干し草の束。
彼女たちは、黙々と歩いていた。
冬の訪れに備えながら、何キロも先の家へと向かっているのだった。
レーマンは車を止めた。
「外の世界の話を聞かせてくれないか?」
後部座席に座った老女のひとりが尋ねた。
レーマンは微笑んだ。
そして、かつてこの地を行き交った商人たちがそうしていたように、
彼は語りはじめた。
政治のこと。交易のこと。遠くの都市のこと。変わりゆく時代のこと。
道は、さらに先へと続いていた。
シルクロードは消えたかもしれない。だが、その記憶は、まだここに息づいている。