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7日間マルカ渓谷トレッキング:スキウからチョクドへの絶景旅

谷がもう一度、息のしかたを教えてくれる場所

文:Declan P. O’Connor

序章――加速する世界で、なぜマルカ谷は今も意味を持つのか

ゆっくりとした風景が静かに見せる反抗

飛行機がレーに着陸したとき、ふっと自分の上に降りてくるような、独特の静けさがあります。それは音の不在という意味での静寂ではありません。空港はそれなりに賑やかで、タクシーも並び、クラクションだって鳴っています。それでも、その喧騒の下には「この世界は、薄い空気が許す以上の速さでは動かない」という、かすかな減速の気配がはっきりと横たわっています。
多くのヨーロッパからの旅人にとって、ラダックへの旅は、パリ、フランクフルト、ミラノ、マドリードといった、おなじみのハブ空港から始まります。そこは効率とスピードのために設計された磨き上げられたターミナルです。ところがレーへの乗り継ぎは、まったく別の感触を持っています。フライト時間こそ短いものの、日々の大半を形作ってきた「論理」から、長い一歩を踏み出すような感覚があるのです。とりわけ、スキウからチョクドまでを歩く古典的な7日間のマルカ谷トレックは、その一歩を受け止め、歩くペースや注意の向け方、そして「当たり前」と思っていた期待を、まるごと組み替えていく旅になります。

これは、即時的な満足のために設計されたトレッキングではありません。目玉スポットを次々と駆け抜けて、デジタルなチェックリストを埋めていくような旅ではないのです。代わりに、レーの3,500メートルからコンマル・ラの5,200メートルの峠まで、ゆっくりと標高を上げていきます。その間、あなたは自分の肺の限界と同時に、自分の習慣の限界にも触れていくことになります。レーでの到着と順応の日々から始まり、スキウとサラを経て谷の奥のマルカ、ハンカル、ニマリンへ、そして最後にチョクドへと向かう行程は、単なるロジスティクス以上のものです。それはひとつの「カリキュラム」です。山々が縮小も圧縮も許さないこの風景の中で、自分の身体の居方を学んでいくための授業のような日々なのです。

多くの旅がスクリーンを通じて仲介され、通知音に彩られる時代にあって、マルカ谷トレックは別の提案を差し出します。人の歩くペースで、長い距離を歩くこと。胸の中の一メートル一メートルの高度差を、全身で感じること。時間を「最適化すべき資源」ではなく、「自分の足で横切っていく野原」として受け取ること。もちろん風景は美しく、柳に縁取られた川辺から、高く開けた草地まで、景色には事欠きません。けれどこの旅のいちばん深い贈り物は、その七日間をどう「生きるか」を問いかけてくるところにあります。ゆっくりと。意識的に。そして、覚醒したままで。

ラダックがスピードと効率の論理に抗うとき

ラダックはいつの時代も「境界」の土地でした。帝国と帝国のあいだ、言語と文化のあいだ、宗教的な系譜のあいだ、そして今は、加速する世界と「まだ違う生き方ができる」と静かに主張する小さな抵抗のポケットとのあいだに立っています。レーの町を上から眺める尾根道に立つと、新しい道路やゲストハウス、カフェが、レーと世界の観光回路を結びつけているのが見て取れます。しかし最後の家並みを過ぎると、その外側では土地が再び、頑ななまでの明瞭さを取り戻します。長い谷、まばらな集落、そして徒歩で何時間もかけなければ越えられない峠――スワイプで数分というわけにはいきません。

マルカ谷トレックは、まさにこの「境界」に位置しています。7日間で歩けて、ホームステイも利用でき、もっと大きな挑戦を求める人にはカン・ヤツェIIやゾ・ジョンゴ登頂への足がかりにもなります。その意味では「アクセスしやすい」ルートです。それでも、決して「飼い馴らされた」道ではありません。高度は、交渉の余地を与えてくれません。天候は、あなたの都合とは無関係に変わります。沢を渡る水は、トレッキングシューズが「速乾仕様」かどうかなど意に介さず、ただ冷たく流れています。この意味で、谷はあらゆる体験を「シームレスで便利」にしようとする発想そのものに抗っているのです。

ヨーロッパからやって来た多くの旅人――アルプスやピレネーの整備された登山道や鉄道ダイヤに慣れた人々にとって、この「抵抗」は戸惑いであると同時に解放でもあります。マルカ谷トレックは、二つの真実を同時に抱くよう迫ってきます。一つは、ここが繊細な高地生態系の中にある脆い場所であり、自分はそこで暮らす人々のもとを訪れる客にすぎないということ。もう一つは、何もかもを最大限に効率化しなくても、旅は十分に価値を持ち得るということです。むしろ、順応の日々やゆっくりとした歩み、長い登りと下りといった「非効率性」こそが、この旅を歩く価値の源になっているのかもしれません。この静かな風景の反抗の中で、多くの人が、都市生活の中でいつのまにか擦り減っていたような注意深さを、もう一度取り戻していきます。

高度という文法――薄い空気が見せるもの

markha valley trek skiu chokdo

高所が教える、まっすぐな感覚

レーの3,500メートルあたりで、まずそれを感じ始めます。胸の奥に、正直な抵抗のようなものが生まれ、身体が高度と小さく言い争いを始めるのです。マルカ谷トレックでは、その抵抗は攻略すべき「障害」ではなく、耳を傾けるべき「教師」になります。高い場所には、私たちの優先順位を、ほとんど道徳的とさえ言える厳しさで並べ替えてしまう力があります。日常では、カフェインと締め切りで疲労をごまかすことができるかもしれませんが、ここでは山々はそうした即興には動じてくれません。

高度という文法は、単純で妥協を許しません。スキウやサラに着いた最初の日に歩きすぎたり、「水はあとでいいや」と順応のアドバイスを無視すれば、すぐに訂正が入ります。鈍い頭痛、脚の重さ、どんな名言でも解決してくれない息切れ。反対に、一歩一歩をゆっくり進め、水を飲み、早く寝るなら、同じ山々は敵対者ではなく、厳しいけれど忍耐強い教師のように姿を変えます。ここで評価されるのは、虚勢ではなく謙虚さと継続なのです。

選択の結果がこれほどはっきりと現れる世界には、どこか澄んだ感覚があります。レーで二晩きちんと順応してから出発するかどうか、ニマリンに向かってゆっくり高度を上げるか、症状が悪化したら引き返す決断ができるか。そうした一つひとつの選択には、目に見える結果が伴います。限界を無視したり誰かに委ねたりすることを教え込まれがちな文化の中で、マルカ谷トレックは別の倫理を差し出します。それは苦しみを美化するものではありません。ただ、身体の声と土地の声に耳を傾けることは弱さではなく、知恵なのだと静かに教えてくれるのです。

なぜ3,500メートルでは「不快さ」が教師になるのか

現代生活において「不快さ」は、多くの場合、修正すべきエラーか、より良いデザインによって取り除かれるべき問題として扱われます。けれど、スキウからチョクドまでの7日間、特にニマリンの4,800メートル付近やコンマル・ラの5,200メートルを越えていくあいだに、不快さは避けて通れないものになります。空気は薄く、夜は思っていたより冷え、四日目五日目あたりには、なぜかザックが少し重く感じられる。どんなアプリも、肺の仕事の代わりはしてくれません。

しかし、もしそれを受け入れるなら、この不快さは教師にもなり得ます。まず見えてくるのは、自分たちの「強さ」のかなりの部分が、人工的な支えの上に築かれているという事実です。絶え間ない刺激、完全にコントロールされた室温、いつでもアクセスできる食べ物と娯楽――そうしたものを一週間脇に置いてみると、残るのは、静かな足のスタミナや、少しずつ適応していく呼吸、長い登りの後の簡素な食事がもたらす不思議な喜びです。

多くのトレッカーは、マルカとハンカルのあいだのどこかで、ある種の「転換」を感じると話します。朝の冷え込みが、もはや理不尽な敵ではなく、ただの事実として受け止められるようになる時。登りはきついものの、馬鹿げてはいないと感じられる時。身体が文句を言うのをやめ、協力し始める時。不快さは役目を終えたのです。いくつかの幻想を剥ぎ取り、より遅く、より真実味のある「自分の能力」へと導いてくれました。もちろんリスクへの敬意は残ります。高山病は常に現実的な懸念です。それでも、あらゆる困難を「不公平」とみなす必要はなくなります。その意味で、この谷はトレッキングが終わったあとも効き続ける教訓をそっと渡してくれます。価値ある成長の多くは、快適さの中ではなく、注意深く引き受けた適度な困難を通して訪れるのだという教訓を。

順応は医療行為である前に、一つの「修練」でもある

ガイドや医師は口をそろえて言うでしょう。ラダックでは順応が不可欠だ、と。レーの3,500メートルで最低一〜二日は過ごすこと。ゆっくり歩き、アルコールを避け、水をよく飲むこと。これらは医学的に見ても正しいアドバイスであり、マルカ谷トレックを計画する人は誰もが真剣に受け止めるべき指針です。ただ、順応にはもう一つ、あまり語られない側面があります。それは、私たちの「せっかちさ」に対する、ささやかな反逆でもあるということです。

順応するとは、自分以外のペースに身を委ねることです。体験をできるだけ短い時間に詰め込もうとする、いつもの誘惑に「ノー」と言うことでもあります。レーで過ごす一日目と二日目に、あなたはあくせく動き回ることもできるでしょう。すべてのゴンパを制覇し、ダウンヒルサイクリングを詰め込み、あらゆる時間を「有意義」に使おうとすることもできます。でも、あえてそうしないという選択もあり得ます。ティクセ寺の中庭に座って山々の光の移ろいを眺めたり、バザールをゆっくり歩いたりしながら、身体が旅程に追いつくのを待つ。そうした時間の使い方です。

そう考えると、順応は単なる高度への準備ではなく、別の生き方の「予行演習」でもあります。マルカ谷トレックは、トレイルを征服しようとする「支配」の発想には報いてくれません。耳を傾けようとする人――ガイドの声に、天気の変化に、自分自身の身体の小さなサインに――に対してこそ、静かに門戸を開いてくれます。順応とは、話す前に聴くことを、動く前に待つことを練習する時間なのです。格安航空券とタイトなスケジュールに慣れた旅人にとって、それはこの旅でもっとも「逆風」な部分かもしれません。けれど、これなしには、その後のトレック全体が、とても頼りない土台の上に乗ることになってしまうのです。

谷へ入る――レーからスキウで踏み出す最初の一歩

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都市のリズムから「山の時間」への文化的な境目

レーからスキウまでのドライブは、距離にしてみればそれほど長くはありません。およそ70キロ、数時間で到着します。それでも、そこで横切る「気配の距離」は、単なる数字以上に大きなものです。道はインダス川に沿い、シェイ、ティクセ、サンガムの合流点、ヘミスへと続く分岐といった、ラダック旅行の地図で見慣れた名前の脇を通り過ぎていきます。多くの旅人が、順応の日々にこうした場所のいくつかを訪れているかもしれません。しかし車がさらに先へと進むにつれ、家々の密度は薄れ、別の時間の「声」が聞こえ始めます。

レーはたとえ高地にあっても、どこか「小さな都市」として世界のリズムに追いつこうとしています。Wi-Fiのあるカフェ、ヨーロッパやデリーから届いたトレッキング用品を売る店、さまざまな言語が飛び交う会話。ですが、トレイルの起点であるスキウに着くころには、その世界はひとつ谷を隔てた遠い場所のように感じられます。マルカ川は別の道筋を刻み、その岸辺にしがみつくように広がる村々は、もっと古いリズムで動いています。畑は灌漑によって、時計ではなく雪解け水と季節に合わせて水を引かれ、家畜は週末ではなく放牧の周期に従って移動します。

この意味で、トレイルに踏み出す最初の一歩は、どこか儀式めいています。あなたは、道を後にするだけでなく、「緊急性」に対する一連の期待も置いていくのです。村の小径、マニの石積み、集落のはずれの祠――それらはあなたを楽しませるためにあるのではなく、あなたの締め切りに合わせてくれるわけでもありません。サラで迎えるトレイル一晩目、あなたは一日の幅がいくつかの要素に狭まっていくのを感じるでしょう。歩くこと、食べること、休むこと、そしてホストとの短い会話。その「単純さ」は空虚ではありません。むしろ、これまで見過ごしてきた小さなディテールで満たされていきます。

スキウへの道が、現代の「確かさ」からゆっくり切り離してくれる

とりわけヨーロッパで経験を積んだトレッカーにとって、レーからスキウまでの移動は、単なる「前段取り」として扱われがちです。本番のトレッキングが始まる前に、さっさと済ませてしまうべき移動時間。けれど、もしそう考えるなら、マルカ谷ルートが差し出している繊細な贈り物のひとつを見逃してしまうことになります。この道そのものが、なじみ深い現代の「確かさ」と、山のより曖昧な領域とのあいだの、減圧室のような役割を担っているからです。

レーを出るハイウェイでは、まだ携帯電話がかろうじて電波を拾っているかもしれません。最後のメッセージに返事をしたり、これからの天気予報を確認したりもできるでしょう。しかし車がスキウへ向かう細い道へと入っていくにつれ、そうしたか細い糸も少しずつほどけていきます。会話のテーマも、メールや旅程から、もっと素朴な問いへと変わっていきます。今の高度での体調はどうか。この七日間に何を期待しているのか。3,400メートルから5,000メートルを超える高度のあいだを歩くというのは、どういうことなのか。

どこかのタイミングで、「安全」の意味も変わります。家にいるとき、安全とは保険やバックアップ計画、緊急連絡先のことかもしれません。しかしここでは、ガイドの声に耳を傾けることや、野心と無謀の境界線を尊重すること、天候や自分の身体が計画を上書きする可能性を認めることが、安全の一部になります。スキウまでの道は劇的な風景ではないかもしれませんが、静かにこの新しい論理の側へとあなたを導いていきます。そしていよいよザックを背負い、一歩を踏み出すとき、あなたはもはやアトラクションを飛び回る観光客ではなく、「自分の足で、この土地の条件を受け入れながら進む歩行者」になっているのです。

トレック最初の動き――サラと「短い距離」が意味を持つ理由

なぜ初日の数キロメートルが、頂上の距離よりも大切なのか

マルカ谷トレックについて語られるとき、人々はよく大きな数字を強調します。コンマル・ラの5,200メートルの峠や、ニマリンへの長い登り、七日間で歩く総距離。しかし実際に体験をもっとも深く形作るのは、むしろ最初の数キロメートルです。スキウからサラまでの最初の11キロ、次いでマルカへ向かう10キロ。ここで習慣が形作られ、トレイルとの関係が決まっていきます。

紙の上では、スキウからサラまでの一日はそれほど威圧的には見えません。標高はおよそ3,400メートルから3,600メートルへとゆるやかに上がり、五〜六時間ほど谷沿いを歩きます。ところが、まさにこの区間こそ、あなたの身体が「この一週間をどう受け止めるか」を決める場所でもあります。この日をアスリートのような自己ベスト更新の舞台にしてしまえば、後になってツケが回ってくるかもしれません。逆に、ゆっくりと歩き、こまめに水を飲み、谷の下でほどけていく川の流れを眺めながら進むなら、自分のリズムを土地のリズムへと合わせていくことができます。

初日の数キロはまた、「達成感」の感覚を静かに組み替えもします。私たちの多くは、昇進や数値目標、完了したプロジェクトといった、目に見える「ピーク」を追いかけるよう訓練されてきました。けれどサラへ向かう道で感じる成功は、もっと小さく、控えめなものです。呼吸のリズムがつまずかなくなってきたこと。足取りが少しずつ軽くなり、脚が自分の役割を思い出していく感覚。出発前の不安が、澄んだ谷の空気の中で少しずつ薄れていくこと。ホームステイやキャンプ地にたどり着く頃、あなたは何かを「征服」したわけではありません。ただ、一つの旅を始め、その始まりがこれから向かうどんな峠の写真よりも大切なのだ、と静かに知ることになるのです。

谷のペースを学ぶ――忍耐、水分、呼吸

マルカ谷トレックを静かに支配している原則は三つあります。忍耐、水分、そして呼吸です。どれも華やかではありません。SNSに映えるようなものでもありません。けれど、これらがなければ、スキウからチョクドまでの旅は必要以上に苦しいものになってしまいます。トレイル初期のスキウ〜サラ、サラ〜マルカといった日は、これらを身につけるか、無視するかを決める場でもあります。

忍耐とは、風景があなたのペースには合わせてくれないことを受け入れることです。トレイルはときに、遠回りに見える緩やかなカーブを延々と続けます。川の向こうに「すぐそこ」に見える区間に、一時間かかることもあります。ずっと先に見えていた村が、歩いても歩いても同じ大きさに見えることだってあります。このとき、絶えず進捗を求めて苛立つか、それともその「ゆっくりさ」を受け入れるかで、旅の質は大きく変わります。進みの遅さに価値を見いだせるようになったとき、あなたは速度ではなく「在り方」で自分を測る自由を手にし始めるのです。

水分補給は、高地にいる自分の身体への、もっとも基本的な敬意の表現です。定期的に水を飲むことは、ドラマチックな高山の景色に比べれば退屈に見えるかもしれません。しかし、まさにこの「ロマンのない習慣」が頭痛を防ぎ、エネルギーを安定させてくれるのです。呼吸は、生理学的なものでもあり、象徴的なものでもあります。あなたは歩幅と吸う息・吐く息を合わせるようになっていきます。速く浅い呼吸よりも、ゆっくり深い呼吸の方が遠くへ運んでくれることを知ります。加速を称賛する世界において、こうしたレッスンこそが、谷が教えるもっともラディカルなことなのかもしれません。

マルカ村――「粘り強い共同体」のかたち

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伝統的な村が教えてくれる、欠乏と寛大さの関係

四日目にマルカ村へたどり着く頃には、あなたはもはや「谷を訪れている」だけではありません。その論理の内側に生き始めています。畑や石造りの家、ゴンパは、絵葉書の背景ではなく、高度と季節によってすべてが左右される場所で、人々が生き延びるための基盤そのものです。豊かさが前提で、欠乏が例外とされるヨーロッパの都市から来た旅人にとって、この現実との出会いは、静かに世界観を揺らすものになるかもしれません。

ここで水は「あるのが当たり前」のものではありません。水路によって導かれ、長年の取り決めに基づいて分け合われる資源です。食べ物は終わりのないビュッフェではなく、何ヶ月もの働きの結果です。台所の隅で火を焚く薪は、プラスチックに包まれて運ばれてきたわけではありません。集められ、背負われ、蓄えられたものです。こうした文脈の中で、「寛大さ」はまったく別の重みを帯びてきます。ホストがもう一杯お茶を注いでくれたり、ダルとライスをおかわりしてくれたりするとき、それは経費で処理される「ホスピタリティの演出」ではありません。ごく現実的な限界を背景にした、一つの決断なのです。

高地の優しさは、感傷的なものではない――そう気づき始めます。それは、明日の豊かさが保証されていない世界で、それでもなお「分け合う」ことを何度も選び続ける、意識的な態度なのです。

マルカのホームステイに泊まるとは、この選択を間近で目にすることでもあります。トレッカーからの収入と、自分たちの暮らしの要求とをどう両立させるか。子どもたちが畑仕事を手伝いながら、遠い都市からやってきたゲストを好奇心いっぱいに見つめていること。そのどれもが、「欠乏」と「寛大さ」を対立させるのではなく、一つの織物のように編み上げている共同体の姿を映し出しています。マルカ谷トレックにはたくさんの美しい景色がありますが、おそらく最も重要な「眺め」はここにあるのかもしれません。高地という条件の中で、欠乏と寛大さを両立させながら生きる共同体の姿です。

マニの石積み、麦畑、川を渡りながら歩くということ

マルカで過ごす一日は、質感に満ちています。長い時間をかけて刻まれたマニの石積みの脇を歩きます。それらに刻まれた祈りの言葉は、かつてこの谷を自らのものと主張した帝国たちよりも、ずっと長くここに存在し続けてきました。高地の風に揺れる大麦の畑は、この土地が決して「荒涼とした不毛の地」ではないことを、静かに反証してくれます。川は、ときに簡素な橋で渡り、ときに水量が少ないときには裸足で渡りながら、道を儀式のような一連の横断へと編み上げていきます。

アルプスのように標識が整った登山道や、頑丈なインフラに慣れたヨーロッパの歩き手にとって、これらの渡渉は別種の関わり方を要求します。流れの強さ、足場の選び方、ブーツの状態に注意を払わなければなりません。ここでは、「歩く」という行為が、当たり前ではなく「交渉」の結果なのだと改めて思い出させてくれます。同時に、道沿いに並ぶマニの石やチョルテンは、この風景が「トレッキングシーズン」という発想が生まれるずっと前から、敬意をもって歩かれてきた場所なのだということを物語っています。

祈りの石と灌漑用水路、畑と小径――聖なるものと実務的なもののあいだを行き来しているうちに、「風景」という言葉はどこか物足りなく感じられてきます。スキウからチョクドまでのマルカ谷トレックは、単なる美しい眺めの連続ではなく、「土地との付き合い方」を学ぶ導入でもあるのです。遠くへ歩けば歩くほど、「風景は私たちに消費されるために存在している」という幻想を保ち続けるのが難しくなっていきます。ここはまず何よりも、働き、祈り、暮らしている人々の空間であり、私たちはそこを通させてもらう客に過ぎない――そう実感するようになっていきます。

ハンカルからニマリンへ――高地の広がりと向き合う

風景が倫理的な「招き」となるとき

マルカからハンカル、そしてニマリンへと進むルートでは、谷が本格的に開けていきます。村は少なくなり、川を渡る回数も減り、道はより急になっていきます。ハンカルで、あなたはすでに「別の種類の高度」へ近づいていることを感じるでしょう。そして標高およそ4,800メートルのニマリンに到着する頃には、岩と空と風に囲まれた、広く開けた高地の円形劇場のような空間を歩いている自分に気づきます。

こうした場所では、風景はもはや背景として存在するのではありません。むしろ一つの「招き」――ときには「問いかけ」にも似たものとして感じられます。その広大さは、私たちが日常の中で自分の生活を考えるときの、小さく整った枠組みを押し広げてきます。ニマリンに立ち、近くにそびえるカン・ヤツェの峰々や、岩屑の斜面のどこかに刻まれたコンマル・ラへの道筋を見つめていると、普段オフィスや通勤電車の中で頭を占めていた心配事や雑事が、この稜線のスケールの前では不釣り合いなほど小さく感じられるかもしれません。

これは「山には生まれつき崇高な道徳性がある」とロマン化する話ではありません。岩や氷に倫理的な意図があるわけではありません。ただ、そこに立つことで、ある種の省察を避けるのが難しくなる条件が作り出されるということです。自分は時間をどう使っているのか。責任をどう引き受けているのか。訪れる場所や、そこに暮らす人々に対して、自分はどんな義務を負っているのか。こうした問いは、高地の広がりの中で、いつもよりもくっきりと浮かび上がってきます。マルカ谷トレックは、その中盤に差しかかる頃、次のキャンプ地に着くこと以上の意味を帯び始めます。「この場所に必要とされているわけではないけれど、通ることを許されている」自分が、どんな人間でありたいのかを決める時間になるのです。

4,800メートルへ登るときの心理

心理的な側面から見ると、ニマリンへ向かう登りは、期待値の再調整のプロセスだと言えるかもしれません。頭では、低い村々から高地キャンプへ移動していることは理解しています。行程表の数字も見ています。ハンカルの4,100メートルから、ニマリンの4,800メートルへ――。けれど数字は、実際に一歩ごとに必要な努力が増し、会話が息切れで短くなり始めるまでは、どこか抽象的なものです。

多くのトレッカーがこの区間で経験するのは、脆さと強さが入り混じった不思議な感覚です。一方で、自分の限界をこれまでになく意識します。眠りは浅くなり、食欲が揺らぐこともあります。天候の変化一つひとつに、都市生活では感じなかった重みを感じます。他方で、すでに数日間歩き続けてきた自分の足は、レーにいた頃よりも頼もしくなっています。荷物の詰め方も、風が強くなったときのレイヤリングの調整も、ガイドの表情の読み取り方も、少しずつ上手くなっています。

この「自分の脆さを認めつつ、同時に積み重ねた力も感じている」という状態は、じつに多くを教えてくれます。「強さとは傷つかないことだ」という幻想を静かに崩してくれるからです。むしろ本当のレジリエンスとは、こういう姿に近いのかもしれません。リスクを十分に認識しながら、それでも準備を整え、仲間と共に注意深く進んでいくこと。ニマリンへ向かう道を歩きながら、あなたはザックと同じくらい確かなものとして、このレッスンを背負っているのです。

コンマル・ラ――意図を測る峠

なぜどの峠も、意思と謙虚さの対話なのか

ニマリンを出てコンマル・ラへ向かう朝には、それまでと違う空気が流れます。アルプスやコーカサスで高い峠を越えたことがある人にとっても、この日の朝には独特の静けさが漂います。標高5,200メートルのコンマル・ラは、技術的なクライミングではありませんが、一歩ごとに呼吸との小さな交渉が必要な高さです。目の前の道筋はたいてい明瞭で、ジグザグの登りが続いていきますが、「ついでに登ってしまう」ような軽い気持ちで取り組む相手ではありません。

峠は、あなたの履歴書にも、使っているギアのブランドにも興味を示しません。そこで意味を持つのはもっと単純な要素です。どれだけ順応に時間をかけたか。これまでの日々を、どれだけ正直に歩いてきたか。そして、身体が抗議のサインを出したときに、計画を修正する覚悟があるかどうか。そういう意味で、コンマル・ラへの登りは、あなたの意思と謙虚さとの対話になります。決意は必要です。そうでなければ、冷え込む夜明け前に起きて、歩き始めることもないでしょう。しかし、謙虚さの伴わない決意――症状を無視し、仲間を自分のペースに引きずり込もうとするような意志――は、ここでは危険なものになり得ます。

登っているあいだ、世界はやがて小さな目標の連続へと凝縮されていきます。次のカーブ、目印の岩、グループが休憩している場所。その「狭まり」は失敗ではありません。むしろ、こうした登りにとっては最適な戦略です。やがて峠にたどり着き、風にはためくタルチョと、向こうの谷や遠くの稜線の眺めが開けたとき、偉そうな宣言をする必要はありません。峠はすでに、もっと正直な方法であなたの意図を測り終えています。あなたは敬意をもって歩いたか。自分と仲間の限界に耳を傾けたか。この土地を「征服する対象」としてではなく、「受け取るべき場所」として扱えたか――という問いに対して。

チョクドへの長い下りが教える、「手放す」ということ

多くのトレッキングでは、頂や峠が物語のクライマックスとして描かれ、そのあとの下りはおまけのように扱われがちです。しかしマルカ谷トレックは、コンマル・ラからチョクドへ、そして最終的にレーへ戻るまでの下り道を、ひとつの重要な章として差し出してきます。峡谷のような区間を抜け、崩れやすい斜面や沢を渡りながら続く長い下りは、別の種類の「修練」を求めてきます。

下るには、下りなりの自制心がいります。呼吸が楽になった分、今度は膝と足首が、何時間にもわたる一歩ごとの衝撃を引き受けることになります。低地の温かさやシャワー、柔らかいベッドを思い浮かべながら、つい足を急がせたくなるかもしれません。それでも、地形は変わらず注意を要求します。浮き石で足を滑らせたり、一瞬の気の緩みで沢を渡りそこねたりすれば、これまでの日々の積み重ねが簡単に台無しになってしまうからです。

心理的にも、チョクドへの下りは「手放し」の始まりです。ニマリンの高い草地や峠の澄んだ集中の時間を後にして、選択肢と雑音の多い世界へ戻っていきます。村の小径はやがて道幅を広げ、最後には車がレーまで運んでくれるでしょう。そのあいだ、ただ「達成」を反芻するだけでなく、もっと静かな問いを投げかけてみることもできます。この谷から、自分は何を持って帰りたいのか。答えは、壮大な言葉として降ってくるわけではありません。むしろ、「時間との付き合い方が少し変わった」「困難との距離感が少し穏やかになった」といった、新しい感受性として静かに沈殿していきます。

谷のあとに残る谷――レーへ戻るということ

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なぜ下り道の方が、人を大きく変えることがあるのか

チョクドからのドライブでレーに戻ってくると、町は以前と同じでありながら、どこか違って見えます。カフェも、ベーカリーも、土産物屋もそこにあります。けれど、町を歩くあなた自身が変わっています。マルカ谷トレックは、あなたの内側の地形を少し組み替えており、その組み替えは、多くの場合「下り」の時間の中で進んでいたのです。

登りは、多くの場合、未来志向です。視線は上へ向かい、峠や次の村のことを考え、そこから見える景色を想像します。対して下りは、不思議と過去に開かれています。コンマル・ラから一歩ずつ高度を下げ、チョクドへと近づいていくあいだは、この一週間で辿ってきた道だけでなく、もっと長い年月の歩みを振り返る時間にもなります。多くの歩き手が、一番はっきりした洞察を得たのは登りではなく下りだった、と語ります。「着かなければ」というプレッシャーがほどけ、心が自由に彷徨えるようになったときにこそ。

レーの町に戻り、再び会話やメニュー、Wi-Fiの波に囲まれるようになると、その洞察のいくつかは、日常生活には少し大きすぎるようにも感じられるかもしれません。些細な愚痴への耐性が、以前より低くなっていることに気づく人もいます。あるいは、家にいるときの一日の多くが、小さな不快さを避けるために使われているのだと、改めて意識する人もいます。その変化は劇的な革命ではありません。マルカ谷は、一週間であなたを別人に変えてしまうわけではないのです。ただ、「こういうふうに動くこともできる」と知ってしまった以上、そのまえとまったく同じには戻りづらくしてしまう――そのくらいの小さなずれを、確かに残してくれます。

非日常の高さから、ふつうの生活へそっと戻るとき

トレッキングのパンフレットであまり語られることのない技術に、「再突入」があります。一週間にわたって「歩く・食べる・休む」を中心に組み立てられた生活から、雑多でゆるい日常へ戻るのは、ときに登りより難しく感じられます。メール、締め切り、家の用事、社会生活――それらが一気に戻ってきて、以前の居場所を取り戻そうとします。マルカ谷トレックを、思い出のフォルダにしまわれた写真や、数回語って終わりの「エピソード」として扱ってしまいたくなるのも、このときかもしれません。

けれど、別の選択もあります。このトレックを「現実逃避」としてではなく、「基準」として扱うことです。一週間の予定がとても詰まって見えるとき、あなたはニマリンへの長い登りを思い出すかもしれません。そこでは、道のりを小さな区間に分けて進むしかありませんでした。ちょっとした不便が耐え難く感じられるとき、マルカの冷え込む夕暮れに、簡素な食事と暖かい部屋だけで心から満たされた夜のことを思い出すかもしれません。それらは感傷的な比較ではなく、日々の感覚を「調整し直す」ための、実務的な参照点です。

非日常の旅のあとに続く静かな再突入こそ、その旅の本当の意味が形を取る場所なのかもしれません。もしあなたがそれを許すなら、スキウからチョクドまでのマルカ谷トレックは、ヨーロッパで送る日々のペースや優先順位を見直すレンズになってくれます。答えを押しつけてくることはありません。ただ、別のリズム――呼吸と注意、共同体が「おまけ」ではなく、土台として置かれているリズム――が現実に存在しているのだと、思い出させてくれるのです。

実務的なメモ(物語を壊さない範囲で)

高度の目安:3,500m〜5,200m

マルカ谷トレックはよく「中級レベル」と表現されますが、このラベルは高度を過小評価してしまう人にとっては誤解を生むことがあります。ヨーロッパの多くの山域では、すでに2,500〜3,000メートルで「かなり高い」と感じられるでしょう。そうした感覚から見ると、ラダックの数字はそれだけで十分な敬意を要求してきます。レーはおよそ3,500メートルに位置し、スキウやサラも大きくは変わりません。マルカやハンカルを経て、ニマリンの4,800メートルへ、そしてコンマル・ラの5,200メートルへと登っていくあいだ、あなたはずっと、慎重な準備を必要とする環境の中にいることになります。

最高地点である標高5,200メートル前後のコンマル・ラは、技術的には難しくありませんが、生理的には大きな負荷がかかります。出発前に、レーで最低二晩は過ごして身体を慣らす計画を立てましょう。スキウからサラ、サラからマルカへの最初の数日は、歩くペースを抑えめに。こまめに水を飲み、最初のうちはアルコールや重い食事を避け、頭痛やめまい、吐き気といった症状には正直でいること。大げさな心配ではなく、高度の現実に対する敬意です。

こうした高度でも比較的楽に動けると感じ、さらに大きな挑戦を求めている人には、カン・ヤツェIIやゾ・ジョンゴなど、周辺のピークと組み合わせる選択肢もあります。これらは追加の日数と専門装備、資格を持ったガイドを必要としますが、その際にもマルカ谷ルートは心強い土台になります。谷をじっくり歩きながら順応を進められるため、ラダックでもっとも物語性のある谷のひとつを味わいながら、次のステップへの準備ができるからです。

順応にあてたい日数の目安

よく組み立てられたマルカ谷トレックは、スキウで最初の一歩を踏み出す前から始まっています。最低でも、レーで丸二日を順応用に確保しましょう。初日は、移動の疲れを癒やし、町をゆっくり歩きながら、新しい高度を身体に認識させる時間に。二日目には、シェイやティクセ、ヘミス、サンガムの合流点といった周辺のゴンパを訪ねることもできますが、負荷はほどほどに抑えること。目的は「全部見ること」ではなく、「自分の身体でここに到着すること」です。

アムステルダム、コペンハーゲン、リスボンといった海抜の低い都市から、ほぼ一気にやって来る人は、もう一日余分にとることで大きな違いを感じるかもしれません。この時間は、決して無駄ではありません。たいていの場合、「楽しめるトレック」と「耐え抜くだけのトレック」の違いを生む投資です。この日々を使って装備の最終チェックをしたり、ザックの詰め方を調整したり、「七日間歩き続ける生活」を頭の中で予行演習しておくのも良いでしょう。早寝早起きのリズムや、少ない荷物で「より多くを感じる」感覚に、すこしずつ慣れていく時間です。

もしスケジュールや予算が許すなら、レーの上に広がるなだらかな丘を短時間歩いたり、身体に負担の少ないダウンヒルサイクリングを組み合わせたりすることもできます。大切なのは、動くこと、呼吸すること、休むことを、疲れ果ててしまわない範囲で続けることです。順応は「義務的な関門」ではありません。あなたがマルカ谷で書き始める物語の、最初の章なのです。

なぜマルカ谷は、カン・ヤツェIIやゾ・ジョンゴと相性が良いのか

経験豊富なトレッカーや、これから本格的な登山へ踏み出したい人にとって、スキウからチョクドまでのマルカ谷ルートは、それ自体で完結した旅であると同時に、周辺のピークへの導入にもなり得ます。レーの3,500メートルから始まり、ニマリンの4,800メートル、コンマル・ラの5,200メートルへと至る高度の流れは、カン・ヤツェIIやゾ・ジョンゴのような山々に挑戦するための、理想的な順応のステップとも重なっているからです。これらの山は、追加の日数と専門装備、資格あるガイドを要しますが、その体力と順応は、谷を歩くあいだにじっくりと育まれていきます。

この組み合わせの利点は二つあります。一つは、身体的な側面です。谷を歩き終える頃には、あなたの身体はすでに高地の環境に慣れ、登頂の成功と安全性の可能性が高まっています。もう一つは、心理的な側面です。一週間を通して、疲労や天候の変化、薄い空気のプレッシャーに自分がどう反応するかを、具体的に学んでいることです。想像ではなく、実際のコンディションの中で、自分のキャパシティを試しています。そのため、「トレッキングからノンテクニカルな登山へ」というステップが、衝動的ではなく、地に足のついたものになりやすいのです。

同時に、ここで大切なのは、頂上への野心が谷そのものを覆い隠してしまわないことです。マルカ谷ルートは、決して「ウォームアップ」だけの存在ではありません。村々や畑、峠そのものが、十分に注意を払う価値のある、豊かな章です。もしカン・ヤツェIIやゾ・ジョンゴと旅を組み合わせるなら、谷の部分を「序章」として消費してしまうのではなく、それ自体を一冊の本として読み切るように味わってほしいのです。山々はそこにあり続けます。問題は、あなたがどのように彼らと出会いたいのか、ということです。

結論――加速する時代に、マルカ谷が旅人に求めること

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加速の時代における「ゆっくりさ」の倫理

スキウからチョクドへ歩き、コンマル・ラを越え、レーに戻ってくるまでのあいだに、マルカ谷トレックは高度と距離、時間という言葉で、多くの問いを投げかけてきます。そのどれもが複雑ではありませんが、簡単な抜け道を許してはくれません。その核心にあるのは、現代の旅人へのシンプルな挑戦です。価値と速度が結びつけられがちな時代に、一週間の「ゆっくりさ」を受け入れられるか――という問いです。

ここで言う「ゆっくりさ」は、受け身の停滞ではありません。何もしないで惰性で過ごすこととも違います。それは、長い登りで一歩一歩を積み重ねること、時間を気にしすぎずに交わす会話、日が沈むまで大麦畑の上を移ろう光を眺め、スクロールではなく空の変化を追う夕暮れといった具体的な姿をしています。天気と自分の身体に合わせて一日を組み立てることであり、会議の招待状に合わせてではありません。それは確かに「大変な仕事」でもありますが、多くの場合、私たちが家でこなしている仕事とは別の種類の難しさを伴うものです。

もしあなたがそれを受け入れるなら、マルカ谷トレックは「速さがいつも良いとは限らない」という、ごく身体的な反論になっていきます。スキウからチョクドまでの眺めの豊かな道のりは、誰もが認めるように美しいものです。ニマリンの広がりやコンマル・ラの眺めを前にして、それを否定する人はいないでしょう。しかし、この旅のいちばん深い美しさは、時間との関係を静かに組み替えてくれるところにこそあります。七日間は、人生のスケールから見れば決して長くはありません。それでも、その七日間を意識的に生きるなら、ブーツを洗い、ザックをしまった後も、その余韻は長く残り、あなたの日々の選択をそっと変えていくかもしれません。

風景に「楽しませる役割」を求めるのをやめたとき、何が見えてくるか

マルカ谷トレックの途中で、もしあなたが「風景は自分を楽しませるために存在している」という前提を手放すことができたなら、そこで起こる変化は静かですが重要です。谷は、基本的にあなたの存在に無関心です。あなたがローマやブリュッセルから飛んできたところで、川の流れが変わるわけではありません。山々も、あなたのフィットネスアプリに合わせて勾配を調整してくれたりはしません。

風景に「パフォーマンス」を求めるのをやめたとき、もっと穏やかな何かが開かれます。あなたは、道や家々、畑の配置そのものの中に、どれほど多くの知恵が織り込まれているかに気づき始めます。マニの石積みは、宗教的な信心を示すだけでなく、「ぞんざいな仕事はすぐ風と時間に消されてしまう土地で、人々が長い時間をかけて石と向き合ってきた」という歴史を物語っています。灌漑用水路は、協力と計画の具体的な表現です。畑と放牧地の配置を見れば、高地の農業がいかに綱渡りのようでありながら、同時にどれほど工夫に満ちているかが見えてきます。

そうした意味で、マルカ谷は「舞台セット」というより、むしろ「教師たち」の集まりのように見えてきます。彼らは声高には語りません。レッスンは、筋肉痛や、分け合う食事、冷え込んだ朝の鋭い空気や、ホームステイのストーブの柔らかな温もりといったかたちで届きます。そのメッセージは、決して神秘的なものではありません。むしろごく現実的で、要求の多いものです。もっと意識的に生きること。自分の限界を尊重すること。通らせてもらっている共同体と生態系に敬意を払うこと。トレックはいつか終わります。しかしこの「招き」は、終わりません。

FAQ――マルカ谷トレックに関する実務的な質問

Q1:7日間のマルカ谷トレックは、初心者にも向いていますか?
適切なトレーニングと順応を行う意欲のある、ある程度体力のある初心者であれば、7日間のマルカ谷トレックに挑むことは可能です。道自体は技術的には難しくありませんが、高度は真剣な注意を要します。そのため、長めの一日ハイキングや、起伏のある地形で歩いた経験があると心強いでしょう。極端な遠征というより、「しっかり準備したうえで楽しむ高地の旅」としてイメージするのが近いかもしれません。大切なのは、忍耐と順応、そして自分の限界に正直でいる姿勢です。

Q2:スキウからチョクドまでのマルカ谷トレックに最適なシーズンはいつですか?
多くの旅人がマルカ谷を歩くのは、主に6月下旬から9月にかけてです。この時期は峠が概ね開いており、ホームステイやキャンプも営業しています。シーズン初めには、コンマル・ラ周辺に残雪が見られることもあり、シーズン終盤の夜は冷え込みますが、足元が安定していることが多くなります。いずれの月でも、日中は強い日差し、夜は冷え込みを想定し、「一枚で万能」なウェアに頼るのではなく、重ね着で調整できる装備が必要です。

Q3:ガイドは必要ですか?それとも個人で歩けますか?
地図やGPSのデータは存在しており、高地の経験が豊富なハイカーであれば、個人で歩いてみたいと思うかもしれません。ただ、現地ガイドは道案内以上の価値をもたらしてくれます。村の慣習についての理解を深めてくれたり、ホームステイの手配を助けてくれたり、高度に対する自分やグループの反応を見守ってくれます。とりわけヨーロッパから限られた休暇で訪れる多くの人にとっては、信頼できるローカルオペレーターと歩くことが、安全面でも、旅の豊かさの面でも、大きな意味を持つはずです。

Q4:マルカ谷は、アルプスやピレネーのトレッキングとどう違いますか?
一日の歩行距離だけを見れば、アルプスやピレネーと大きく変わらない日もあるでしょう。しかし多くの場合、こちらの方が高度ははるかに高く、インフラもずっとまばらです。マルカ谷は、より人里離れた印象が強く、峠も高く、集落の密度も低くなります。そして何より、レクリエーションを主目的とした山岳地帯というより、「今も人々が暮らし続けている谷の中を歩いている」という感覚が強い場所です。要求されるのは、技術というより、高度と文化への感性です。自分の身体の声に耳を傾け、この土地を遊び場ではなく「誰かの暮らしの場」として尊重することが求められます。

Q5:マルカ谷で、責任あるトレッキングをするために気をつけるべきことは?
ここでの責任ある歩き方は、何よりも謙虚さから始まります。荷物は必要最小限にし、ごみは必ず持ち帰り、できる限りプラスチックの使用を減らしましょう。ホームステイのルールを尊重し、村では控えめな服装を心がけ、ゴンパの内外では騒がしく振る舞わないこと。スタッフを公平に扱い、安全を優先するローカルオペレーターを選ぶことも重要です。そして何より、自分の旅が、繊細な高地の生態系と粘り強い共同体に支えられているのだと理解すること。感謝こそ、この谷に持ち込むべき、もっともふさわしい態度なのだと思っていてください。
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締めくくりの一言――谷を「持ち帰る」ということ

マルカ谷トレックは、やがて帰りの航空券と、ヨーロッパの見慣れた街並みとともに終わりを迎えます。それでも、あなたの注意の一部はどこかに留まり続けます。サラ近くの川のカーブ、マルカの畑が夕日に染まる静けさ、コンマル・ラの薄く冷たい朝の空気――。大変な一週間を過ごしたあとの難しい時期に、心がそこへ戻っていくのは、現実逃避というより、「自分はあのとき、足と呼吸だけであれだけのことを成し遂げた」という事実を思い出すためなのかもしれません。

谷を「持ち帰る」とは、マルカ谷を理想化したり、「常に4,800メートルで生きるべきだ」と考えたりすることではありません。そうではなく、「世界には、時間がゆっくり伸び、共同体が互いを支え合い、努力と報いがいまも密接につながっている場所がある」ということを忘れない、という意味です。スキウからチョクドまでの七日間は、人生のすべての問いに答えてくれるわけではありません。けれど、より良い問いへとあなたをそっと押し出してくれるかもしれません。そして、日常の雑音が再び大きくなりすぎたときには、あの薄い空気の朝の記憶が、こう思い出させてくれるかもしれません。「あなたはかつて、もっとゆっくりと、もっと注意深く歩いたことがある。そして世界は壊れなかった。むしろ、少しだけ澄んで見えたのだ」と。

著者について

Declan P. O’Connor は「Life on the Planet Ladakh」の語り手として、ヒマラヤの静けさ、文化、そしてレジリエンスをテーマに物語を紡いでいるライターです。彼のコラムは、高地の旅の記憶と、責任やつながり、そして私たちがこの壊れやすい世界の中をどのように歩くかという問いを織り合わせながら、山から遠く離れた場所に暮らす読者にも、自分の日常を見つめ直すきっかけを届けています。

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スキウからチョクドへと続く古典的な7日間のマルカ谷トレックへ出かけましょう。風景豊かなルートに沿って歩きながら、高地の時間とリズムに身を委ねていく旅です。