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ジュレー、火が手になじむ前に

火があなたの手を覚える前に

Sidonie Morel 著

ラダックでは、台所は「通り抜ける部屋」ではない。そこは、入り込む“気候”だ。ドアが閉まった瞬間、世界は小さくなり、精度を増す。ストーブへ引き寄せられる力、温かさの届く半径の短さ、そして次に空気がどう動くかを知っている手の、ゆっくりした振り付け。外の谷は写真のように見えることがある。けれど内側では、谷は生き物のようにふるまう。

私は台所を「居心地がいい」と形容するのをやめることを覚えた。その言葉は、あまりに柔らかく、飾りに寄りすぎる。ここで温もりは“仕事”だ。生み出し、守り、配分し、分け合う。温もりは、その日の最初の約束であり、夜の最後の精算でもある。誰かがあなたにお茶を勧めるとき、差し出しているのは飲み物ではない。身体が一瞬だけ緊張をほどける、小さく守られた領域なのだ。

朝は音から始まる。ふたが持ち上がる音、鍋が置かれる音、焚き付けの乾いた裂ける音。燃料は決して抽象ではない。重さがあり、値があり、尽きるという境界がある。積まれているのが見え、束で量られているのが見え、そして“使われていく”音が聞こえる。薪と乾燥させた家畜糞、道が恵んでくれたならプロパンのボンベ、頑固な日に備えて取っておく段ボールの切れ端――冬は言い訳なしにやって来るのだから、すべてが数えられる。

多くの場所では、料理は“スタイル”になり得る。ここでは“仕組み”だ。沸かす水は運ばれてきたもの。粉には畑と灌漑用水路の物語がある。野菜が季節のものになるのは流行ではなく必然だ。家族に食べさせるまでにかかる時間でさえ、高度に形づくられる。生地の膨らみ方は違い、豆は柔らかくなるのが遅く、標高3,500メートルでは、あなた自身の集中力も薄くなる。

私は、台所が居間でもあり、作業場でもあり、寒い季節には会話がほどけたままでいられる唯一の場所でもある家で、その手順を見守る。人は用事を抱えて入り、ちいさな修繕を終えて出ていく。ほつれた縫い目、結び直された道具、角の取れた口論。台所の一日は、食べ物だけの話ではない。食べ物が“可能であり続ける条件”を保つことの話だ。

いちばん露わになるのは、無駄の少なさだ。水は仕事だから、器は丁寧にすすがれる。熱は仕事だから、ふたは素早く置かれる。残りものは思いつきではなく、次の食事の土台だ。茶葉を二度使うのも、けちではない。人の努力も、それ以外の努力も含めた――労の尊重なのだ。

正午、光が鋭くなり、台所は一瞬だけ別の季節から借りてきたもののように感じられる。誰かが扉を開け、パンくずを中庭に払う。冷気が、無視されることを拒む客のように一気に入り込む。扉が閉まる。ストーブが応える。空気はまた、一定のリズムへと落ち着く。一日は続く。劇的な出来事ではなく、むしろ反復が安心に変わるかたちで。

私は旅を“移動”だと思っていた。ラダックはその考えを何度も修正してくる。ここでより確かな動きは家の中にある。鍋からストーブへ、生地から板へ、水からやかんへ、器から手へ、手から火へ、そして火からまた手へ。夕方遅く、台所は私に実用的で、奇妙に親密なことを教えてくれた。次の一杯のお茶が温かいと信じられるとき、身体がどう緩むのか、ということを。
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LIFE レシート — 台所の一日(ラダック)
05:47  かまどを整える / 灰を缶へ移す
06:02  焚き付けを組む / 火は急がず、なだめて起こす
06:18  やかんに水 / 先に運んだ水を、いま使う
06:35  お茶を淹れる / 注ぐ前に器を温める
07:10  生地をこねる / はかりではなく手で粉を量る
08:06  チャパティを焼く / 鍋を回し、熱を守る
09:22  皿をすすぐ / たらい一つ、慎重に注ぐ
11:05  レンズ豆を煮る / ふたをして、時間は高度で伸びる
12:14  昼食 / 小さな輪の中で器が回る
14:03  残りものにふた / 砂埃にさらさない
16:20  バター茶をもう一度 / 二番煎じ、文句はない
18:11  夕食の鍋が戻る / 同じかまど、新しい忍耐
19:06  床を掃く / くずを集め、熱を逃がさない
20:02  熾火をならす / 明日の始まりを仕込む
合計  やかん3回 / お茶2巡 / かまど1つが一日をほどかず保つ

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このレシートには、いちばん大切なものが載っていない。動作と動作のあいだの間、会話を途切れさせずに子どもの袖口を確かめる仕草、ふたが少し開いたままなのを見つけた祖母のやさしい叱り、そしてパンの機嫌がようやく整ったときにこぼれる小さな笑い。けれどこのレシートには、その日の背骨がある――ほかのすべてが不確かでも、信じられる事実が。

そのあと外へ出ると、夜気は誇張され、ほとんど演劇的なくらいに冷たく澄んで感じられる。ここでは星がうるさい。中庭の石は最後の温もりを、すぐには明かさない秘密みたいに抱えている。けれど私の身体は、そうあるべき以上に落ち着いている。台所が私の時間感覚を調律し直したのだ。快適さという発想を、もっと頑丈なものに置き換えてくれた――連続性へ。

結局、台所の一日でいちばん記憶に残るのは、特定の料理ではない。ケアの規律だ。単純なものに注意を注ぐこと。単純なものほど、決して保証されないから。火が起こされる。水が沸く。パンがちょうどいい瞬間に返される。家族が食べる。熾火が覆われる。一日が前へ運ばれていく。

著者について

Sidonie Morel は、地理の厳しい土地で人がどのように日々の手順を保ち、温もりを分け合い、暮らしを可能にしているのか――そうした“遠い風景の人間の手触り”に焦点を当てる旅コラムニスト。スペクタクルよりも細部を、スローガンよりも実地の観察を好むヨーロッパの読者に向けて執筆している。