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消えゆく北インドの遊牧民たちの一瞬の姿

レンズを通して見る世界

何世紀もの間、カルナックの遊牧民たちは、地球上で最も息を呑むほど美しくも過酷な場所で家畜を育ててきた。彼らの伝統は、世代を超えた大移動の中で生き延びることができるのだろうか。

コロナウイルスのパンデミックが始まり、世界中で旅行が制限された時期に、私たちは「レンズを通して見る世界」という新しいシリーズを立ち上げた。このシリーズでは、フォトジャーナリストたちが、私たちの星の最も魅力的な場所へ、仮想の旅に連れて行ってくれる。今週は、ロナルド・パトリックが北インドのラダック地域からの一連の画像を共有している。

ツェリン・ストプダンがヤクの毛で作られたスリングに小石を収め、手首を振り下ろしてその物体を放った。乾燥した大地を横切って飛び去る様子を、彼は私に見せた。彼が言うには、これが彼の家畜を捕食者から守り、迷子の山羊を戻すための方法だという。彼がこの過酷な土地で動物を育てるために習得した無数の技のうちの一つに過ぎない。

その間、海抜約15,000フィートの高さで、私はただ呼吸しようとしていた。インド・ヒマラヤの辺鄙な地、チャンタン高原のここでは、高度が私をふらつかせ、息を切らせていた。

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ラダック地方の首都レーから遠いカルナックリングという集落。過去20年の間に、約120家族のカルナック遊牧民たちがこの集落に移り住んできた。

ツェリン・ストプダンはカルナックという遊牧民の一員で、何世紀もの間、インド北部のラダック高原でヤクや羊、山羊を育ててきた。ここは地球上で最も息を呑むほど美しく、かつ過酷で厳しい場所の一つである。

初めてこの地を訪れたのは2016年、カンボジアからベルリンへの長い陸路の旅の途中だった。インド北東部のナガランドを通り過ぎる際、ラダックの隣州であるヒマーチャル・プラデーシュ出身の男に出会った。彼はヒマラヤの美しさと、その地に住む遊牧民たちの生活について語ってくれた。その話を聞いて、私はバイクを借りて、ラダックの首都レーへ向かうことにした。

レーでは、カルナックの若いメンバーとつながり、彼がチャンタン高原に住む家族に連れて行ってくれた。そこで私は彼らの文化に対する興味と、日常生活を記録する意図を説明した。1ヶ月の滞在中、彼らは私を温かく迎え入れ、ほぼすべての生活の側面に参加させてくれた。

2019年には、3年前に出会った家族たちを訪れるために再びラダックに戻った。今回は6週間以上滞在し、コミュニティの遊牧キャンプとレの郊外の小さな町を行き来した。
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若いカルナックの騎手、リンチェンがヤガンの集落近くで行われる馬祭りで肩越しに振り返る。

かつては繁栄を誇った部族であったカルナックのコミュニティも、今や衰退の一途を辿っている。若い世代はより良い医療と教育の機会を求めて、近隣の都市に送られている。そして、ヒマラヤの山羊の腹から刈り取られる軽量のウール、パシュミナは利益をもたらす商品ではあるが、山の生活は極めて厳しく、特に冬の季節は過酷だ。

現在、7,000頭近くの羊と山羊、数百頭のヤクを世話する家族は20を切る。そして、ツェリン・ストプダンのように、残された者たちは年齢を重ね、日々の仕事の要求に応える力を失いつつある。
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ミパム・シャキャ、61歳が、遊牧の集落ヤガンの自宅でバター茶を準備している。

気候変動はカルナックの生活様式にも深刻な影響を及ぼしている。天候の予測が難しくなり、特に雨のパターンが読みにくくなった。気温の上昇と特定の牧草地の過剰利用により、かつては豊かな植生に覆われていた地域が今では荒れ果てている。何世紀も信頼できる水源を提供していた小さな氷河も、後退している。

その結果、カルナックの羊飼いたちは、家畜の群れを頻繁に、そして不確実な形で移動させざるを得なくなっている。
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ジグメット・ラモは、カルナックの遊牧集落ヤガンで生まれたばかりの赤ん坊に授乳している。赤ん坊は予定より一ヶ月早く生まれたため、母親はレーの病院ではなく、高地で出産した。

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カルナックの青年がカルナックリングを見下ろす仏教寺院の敷地に座っている。

これらの遊牧コミュニティでは、家族と動物たちは厳格な相互依存関係の中で暮らしている。羊、山羊、ヤクのミルクは、チーズ、ヨーグルト、バターに加工され、この乳製品が食生活の基盤を形成している。

カルナックの生活は年間を通して困難だ。春や夏の長い日々には、羊飼いたちは朝早くに動物たちを搾乳し、毛刈りを行った後に放牧へ出す。標高の高い場所では、1日12マイル(19キロメター)以上歩くこともある。夕方には再び搾乳と毛刈りが行われる。

だが、仕事はそれだけでは終わらない。食事を作り、納屋を維持し、カーペットを織り、ロープを作り、燃料用の糞を集めなければならない。

しかし、本当の試練は冬にやってくる。気温が摂氏-30度以下に下がると、道路はしばしば閉ざされ、食糧は不足する。この長い冬の月々、11月から4月にかけて、家畜はシェルターに閉じ込められ、政府から提供される動物飼料を食べることになる。
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タシ・ナムギャル、30歳が冬の間に暖房と調理に使うための糞のケーキとヤギの糞を整頓している。

冬の間、ほとんどのカルナックの人々は、高地の牧草地から約90マイル離れたレーの郊外にあるカルナックリングという町に一時的に移動する。その間、彼らは家畜を数人の家族や有料の羊飼いに託し、最も厳しい季節の間、動物たちの世話を任せる。

カルナックリングでの生活費を捻出するため、多くの遊牧民たちは家畜を売り、山の伝統的な石造りの家やテントを手放さなければならなかった。そして、ますます多くのコミュニティのメンバーが、古い生活様式を捨て、年間を通じてカルナックリングに留まるようになっている。
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ザラの遊牧集落で、仏教の語り手として知られる「マニパ」、ガタック・ソナムがコグポという馬頭琴を調整し、儀式の準備をしている。

カルナックリングの自宅で、カルナックの長老とその孫の一人と話をした。私が出会ったダワ・ツンドゥップは83歳で、より快適で医療のアクセスが良い都市近くに移り住み、遊牧生活を後にした。彼は高地での日々を懐かしみ、戻ることを夢見ていると語ったが、適切な学校の不足から、多くの若者にとってはその生活が持続不可能になってしまったことを認めていた。

その孫、カルマ・ツィリンは、南に約250マイル離れたチャンディーガルで学んだ。彼は自分の生活が祖父のものより多くの点で楽だと認める一方で、過去には家族が対処しなかった新たな圧力についても語った。

「この街ではすべてが金だ」と彼は嘆き、消費主義を中心とした都市の価値観が、彼の先祖が家で教えた価値観とは大きく異なると付け加えた。
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少年が遊牧の集落ザラで行われている仏教儀式の最中にカメラを覗き込む。

その後、山中で行われる一連の伝統的祭りに参加し、若者たちが先祖代々の放牧技術を披露するのを見守った。馬上から石を投げる技などが見られ、若い世代の先祖文化への関心がひしひしと伝わってきた。ほとんどの者がこの一度のイベントのために都市からわざわざやって来たのだ。

祭りには勝者も敗者もいなかった。代わりに、目標を達成するたびに、騎手たちはラダックの地元ビール「チャン」、そしてチベットの伝統的なスカーフ「カタ」を授与された。
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カルナックの若い世代は、今や近隣の都市に送られ、学校に通い、より現代的なライフスタイルに慣れ親しむようになっている。部族の長老たちが熱心な子孫たちに苦労して得た知恵を伝える、心温まる光景が広がっていた。

それでも、カルナックの人々の最大の懸念の一つは、膨大な遊牧の知恵が失われることだ。特定の動物が生き延びるために必要な草の種類、肉の乾燥と保存方法、わずかな材料で建てる仮設シェルターの作り方など、数千の例が失われることが心配されている。

世代交代と気候変動の脅威に直面し、何世紀にもわたって蓄積された豊かな文化が、一瞬のうちに消え去るかもしれない。
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カルナックの家族用テントが、遊牧集落ザラで天の川の下に佇んでいる。

参照記事 Glimpses of Northern India’s Vanishing Nomads