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ブロクパ回廊とラダックの村々をめぐる旅ガイド

川が古い物語を覚えている場所

By Declan P. O’Connor

I. 序章:ロウアー・インダスの静かなカーブに沿って

Lower Indus Brokpa Corridor

沈黙が文化を運ぶ回廊

ヒマラヤには、雪をいただく峰や祈祷旗で自らを派手に主張する場所もあれば、見る前に耳を澄ませなければならない場所もある。ロウアー・インダスのブロクパ回廊は、はっきりと後者に属している。レーから西へ走ると、道はまるでレールのように川に寄り添い、インダスが何千年もかけて岩と、そして人間側の思い込みを削ってきた深い峡谷をなぞっていく。ここは、訪れる者を即座のドラマで喜ばせるような風景ではない。代わりに、最初に目につくのは小さなものたちだ。岩の中へ消えていく用水路、奔流の上の段々にしがみつくように並ぶヤナギの列、ポケットチーフほどの大きさしかない大麦畑を囲む白塗りの家々の集まり。

アルプスやドロミーティのような山並みに慣れたヨーロッパの旅人にとって、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊の違和感は、もっと柔らかいかたちでやって来る。ここは標高は高いが、誇張的な劇場のようではなく、美しいが、ほとんど左右対称ということがない。山々は峰というより壁のようにそびえ、谷の暮らしは、薄く伸びた緑の文字のように川に寄り添っている。タクマチク、ドンカル、スクルブチャン、アチナタン、ダルチク、ガルコン、ビャマ、ダー、ハヌー、バタリク――それぞれの村は、自然から与えられたというより、岩から粘り強く「交渉して勝ち取った」場所のように見える。この回廊を進むということは、水と重力と人間の忍耐が静かに折り合いをつけてきた細長い世界を、一本の道が縫い合わせているのを辿ることだ。その道はときに仮のもののように感じられ、いつ川のほうへ滑り落ちていってもおかしくないように思える。そもそもこの道を生かしているのは、その川なのだ。

ブロクパの「らしさ」が畑と果樹園と顔に宿る場所

ロウアー・インダス・ブロクパ回廊の村々は、旅行記という断片的な語彙のなかでは、そこに暮らす人びとのことでよく知られている。ブロクパの人びとは、写真集や民族誌の本にも登場し、この川沿いで独自の衣装や言葉、儀礼のかたちを保ってきた共同体の象徴として語られてきた。それでも、ここに「珍しい民族ショー」を期待してやって来るなら、もっと深い物語を見逃すことになる。ブロクパのアイデンティティは、衣装や祭りだけに閉じ込められてはいない。それは段々畑やアンズの果樹園、石垣、そして用水の流れに合わせた暮らしのリズムに刻み込まれている。そこには水の分け方や、道が聖なる木を避けてカーブする様子、不可能に思える土の上に大麦やソバ、野菜を根づかせ続ける忍耐の仕事にその痕跡が見える。

ダルチクやガルコンの路地では、確かに顔と花飾りが、外から来た者の目を引く。しかしそれらは、山肌の細い縁に立つヤギや、用水路沿いを追いかけ合う子どもたち、鎌を腕にかけて畑から戻ってくる女性たちと同じ振り付けの一部にすぎない。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊は、「消えゆく部族」の博物館ではない。ここは、生きていて、ときに疲れ、ときにしぶとく持ちこたえる農村世界が変化と向き合っている場所だ。祈祷旗の隣にはソーラーパネルが光り、学校の制服は伝統的な被り物と肩をすり合わせている。ここで続いているのは、「途切れない過去」というより、外の世界が次々と「別の選択肢」の夢を運んでくるなかでも、年ごとの畝を絶やさず耕し続けるという、ねばり強い決意だ。

II. タクマチク ―― 閾(しきい)の村

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持続可能な農の暮らしが世界観になる場所

タクマチクはしばしば「サステナブルな観光のモデル」として語られるが、その前にまず、断崖と川にはさまれた狭い耕地でどうにか生き延びてきた村だった。ここに着いて最初に目に入るのは、ごく当たり前の光景だ。学校へ向かう子どもたち、ビスケットや携帯のチャージを売る小さな店、どこかへ向かう手に回されるのを待つマニ車。けれど、村がどれほど丁寧に「客」との距離を整えようとしてきたかに気づくまでには、少し時間がかかる。ホームステイは後から付け足したものではなく、家の暮らしの延長としてある。中庭ではアンズの種が割られ、天気や出稼ぎや教育の話が、できたてのパンとバター茶を前に自然に始まる。

タクマチクでは、「エコ」や「サステナブル」といった言葉は、ありきたりなトレッキングルートに貼り付けられたマーケティングのキャッチコピーとして降ってきたのではない。そこには、ごく単純な計算がある。村を養う畑と果樹園と放牧地には限りがあるが、外からの好奇心は際限なく膨らみうる、という計算だ。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊の人びとは、限界ぎりぎりまで生態系を追い詰めたときに何が起きるかを、誰よりよく知っている。だからこそタクマチクは、別の意味での「閾(しきい)」になっている。ヨーロッパからの旅人が、もっとゆっくりで、注意深い在り方を試せる場所であり、村の側も、自分たちのプライバシーをどこまでアンズジャムや自家菜園と一緒に「テーブルに出す」かを、慎重に探っている場所なのだ。

インダスが旅人をそっと迎え入れる場所

どの回廊にも入口が必要で、タクマチクは控えめな優雅さで、その役割を果たしている。レーから来た人にとって、この村は、道を離れて、アスファルトや旅程表とは無縁の小径に足を踏み入れられる最初の場所だ。インダスは下を流れ、ときどき姿を見せ、ときどき岩に隠れ、その音は隣の部屋で続く会話のように背景に流れ続ける。小径は家々のあいだを縫い、畑の中へ抜け、谷を見下ろす丘の祠へと登っていく。祠からは、どこか用心深く見守るようなまなざしで谷全体が見渡せる。標高は空気を薄くするのに十分高く、しかし大麦や野菜を育てるにはまだ許容範囲という絶妙なところで、そのバランスのおかげで、ラダックの高度に慣れ始めたばかりの旅人にも、タクマチクは意外なほど受け入れてくれるように感じられる。

空港の滑走路の向こうに雪山がそびえ、絵葉書のような僧院が分かりやすい尾根に乗っている――そんな劇的な導入に慣れたヨーロッパの旅人に対し、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊は、別の提案を差し出す。タクマチクには、注意をすべて吸い込む「一つの見どころ」はない。その代わり、村そのものが観察の対象になる。種まき前にいくつの石垣を補修しなければならないのか。共同の水場には、何人の女性が列をなし、どの畑が、乾いたあとに最初の潅漑を受けるのか。この村を歩くことは、一つの記念碑ではなく、バタリクへ続く道のあいだ中響き続ける「暮らしのパターン」との最初の出会いになる。回廊は、ごく静かに、農を誇りにしたい村から始まる。泊まれる部屋の数を誇りにするのではなく。

III. ドンカル ―― 石と光と人間のスケール

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断崖と記憶にしがみつく村々

タクマチクの西でも、道はインダスから離れるのをためらうように、川に沿って延びていく。ドンカルにたどり着くころには、山々はさらに迫り出し、インダスをより狭い溝へと押し込んでいる。村の家々は、岩に直接貼りついているように見え、ロバの荷を通すのがやっとの路地を歩くまでは理解しがたい、縦に積み重なった文法で並んでいる。車窓から眺めていると、ドンカルは崖に固定された石の段々に見えがちだが、足で歩いてみると、ここが重力と歓待と記憶との、三次元のやりとりであることに気づく。

ロウアー・インダス・ブロクパ回廊は、そんな「交渉」に満ちているが、ドンカルではそれがとりわけ目に見えやすい。石は至るところにある――擁壁に、階段に、小さな中庭に、マニ壁に、そして路地が畑に変わる境目を示す粗い境界石に。こうした近さを「根づき」や「永続性」の証しとしてロマンティックに語りたくなるかもしれない。だが、石に背を預ける年配の人と長く話してみると、違う響きが聞こえてくる。インダスの凍結が遅れた年、大麦が全滅した年、息子たちが軍隊や都会の仕事へ出て行き、二度と戻らなかった話。ドンカルがしがみついているのは、崖だけではない。地形が要求するだけの骨折りに見合う価値が、ここでの暮らしにまだあるのだと信じ続ける、その考えにも、しがみついているのだ。

ありえない岩山の下に広がる、大麦畑の親密さ

ドンカルでいちばん驚かされるのは、石そのものではなく、そのすぐそばにある柔らかさかもしれない。家々の密集した一角を抜けるとすぐ、少しでも地形が緩んで土がたまった場所には、きちんと敷物を広げるように大麦の畑が並ぶ。そのすぐ上では、岩山が奇妙な形に侵食され、塔や刃、棚のような影をつくっている。誰も見ていないあいだに、ひょいと立ち上がって歩き出しそうな形だ。この対比――親密な畑と、芝居じみた地質――こそが、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊の視覚的な特徴をかたちづくっている。耕作地はいつも圧倒されそうになりながら、それでも完全には飲み込まれない。その頑なな緑の主張があるからこそ、この風景の美しさは成り立っている。

午後遅く、上の尾根に太陽が隠れ、谷が柔らかく、どこか金属的な光に満たされるころ、用水路に沿って歩いてみると、ドンカルの「寸法」が自分の身体の中に入り込んでくる。道端から見れば取るに足らない距離が、登ってみるとしっかりとした行程になる。小さな祠への寄り道が、二十分の一定の呼吸に変わる。ヨーロッパでは、田園風景は駐車場や整備されたトレイルと一緒に理解されることが多いが、ここでは違う。「景色」としての田畑は、山の前景ではない。それ自体がすべてなのだ。岩山はカメラを惹きつけるかもしれないが、暦を動かしているのは大麦のほうである。

IV. スクルブチャン ―― 回廊のミドル・キングダム

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物語が集まり直すのに十分な大きさの村

スクルブチャンは、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊のほぼ中央に位置し、物語が一度立ち止まって、自分を整理し直すような場所の雰囲気をまとっている。タクマチクやドンカルよりも家々は多く、目に見えるインフラも増え、学校や小さな店、旅行記にはまず出てこないような行政の用事の拠点にもなっている。まさにそのスケールこそが、スクルブチャンを回廊の中で重要な一章にしている。ここでは、継続と変化のあいだの緊張は抽象ではない。子どもをレーの寄宿学校に出すかどうか、道路拡幅案を受け入れるかどうか、家の一部を、独立したバスルームとソーラー給湯器を備えたゲストルームに変えるかどうか――そんな決断として、日々かたちをとっている。

スクルブチャンの路地は、実際の築年数よりも古く見える家々のあいだを抜けている。厚い壁は何度も塗り直されてきた痕跡を持つ。村の斜面には、果樹園と畑が几帳面な幾何学模様のように並び、それぞれの段々はある家のものとして割り当てられ、一つひとつの木には接ぎ木や剪定、気長な手入れの歴史が刻まれている。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊はときに「僻地」と呼ばれるが、スクルブチャンにいると、その言葉が相対的なものでしかないことに気づく。携帯の電波は不安定ながら届き、若者たちは、他の場所と同じように映画やサッカーの話題を追いかけている。危ういのは情報ではなく、むしろ村の織物のようなつながりだ。誰がどの日にどの畑へ水を引いたか、祭で一つの家族がいないと、まだ村全体のリズムが乱れたように感じる――そんな感覚のほうなのである。

祭りの日常と、畑の幾何学

村の上の尾根に建つスクルブチャン僧院は、ヨーロッパの旅人が「ヒマラヤ」と聞いて思い描く景色そのもののような見晴らしを与えてくれる。その中庭から見下ろすと、村は人間の粘り強さの精密な図のように現れる。白い立方体の家々、緑の長方形の畑、灰色の帯のような道路、その向こうに、感傷とは無縁の落ち着いたインダスの流れ。ここでの祭りには、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊の周辺の村々から人びとが集まり、ブロクパの家々もそうでない家々も入り交じって、儀式と社交と静かな観察が重なり合う。仮面舞踏は、練習された通りでもあり、少し即興でもあるように進んでいく。その一方で、日陰に陣取った年配の女性たちは、観光客ではなく若者たちの踊りと歌がどれだけきちんと守られているかを見ている。

だが、祭りの日を過ぎても留まってみると、スクルブチャンにはもっとゆっくりした振り付けが現れてくる。夜明け前、牧童たちは家畜を高い放牧地へと連れて行き、日が高くなるころには、子どもたちが急な道を学校へと上っていく。肩にはランドセルが跳ねる。畑に立てば、僧院から見えた幾何学模様は、泥と石と時間きっかりの段取りになる。用水は、スマートフォンよりずっと前から続いてきた取り決めに従って分け合われ、その履行は記憶と噂話と、ときおり起こる口論によって支えられている。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊を進む旅人にとって、スクルブチャンは儀礼の時間と農の時間が重なりながらも決して完全には溶け合わない、そのあり方を目の当たりにできる場所だ。僧院の鐘が吉日のリズムを刻んでも、その日の本当の仕事の開始を告げるのは、段々畑の一番上に水が届く瞬間なのだ。

V. アチナタン ―― 川がかろうじて息をつける場所

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インダスが少しだけ緩む静かなカーブ

スクルブチャンが中心のように感じられるなら、アチナタンは括弧書きのように感じられる。道路はまだ川に寄り添いながら、岩を削った切り通しを上下にくねり抜けていく。道の存在自体が、どこか居心地悪そうに見える場所だ。やがて、少しだけ谷が広がり、畑が寄り集まり、斜面に張りつく数十軒の家が現れる。アチナタンには、僧院のシルエットも、特別に劇的なインダスのカーブもない。その存在感は、もっと控えめだ。ポプラの並木の連なり、古い物見塔の輪郭、乾いた土を削る鍬の音。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊を進む旅人にとって、ここは、物語の速度がふいに落とされる場所だ。風景のほうが「ここで一度段落を変えなさい」と促してくるような。

ここでは、川が少しだけ深く息をついているように感じられる。峡谷はほんの少しだけ緩み、そのわずかな緩みに、村は畑と果樹園をできる限り敷き詰めている。他の村の急な段々と比べると、ここはほとんど平らに見えるほどだ。ヨーロッパからの旅人にとって、アチナタンは、より「絵になる」村々のあいだの「休憩地点」のように映るかもしれない。だが、そう捉えてしまうと、この村がそっと差し出している議論を聞きそこねる。ここでの暮らしは、壮大でもなければ、取るに足らないわけでもない。単に、この谷間の、わずかな平地と、水路の届く範囲と、大きな市場からは遠く離れても、日々本当に必要なものには近くにいたい、そんな人びとの忍耐に合わせて、ちょうどよく整えられているのだ。

アンズの木々が語る、人の定住のアーカイブ

アチナタンを理解したいなら、まず家々ではなくアンズの木々を見てみるといい。木は、水と土に賭けてみる価値があると、誰かがかつて決めた場所に、ぴたりと根づいている。そこは、一つの家族が生きていけると信じた場所だ。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊では、アンズの果樹園は、ヨーロッパの町における街路図の役割を担っている。暮らしがどこに集まり、道がどこで交差し、リスクと報いが歴史的にどこで折り合ってきたのかを示しているのだ。空洞だらけの古い幹一本一本が、生きたアーカイブとなり、剪定や嵐、遅霜、そして豊かな収穫の何十年分もの記録を抱えている。

アチナタンでは、これらの木々は、野生と栽培の中間に位置している。確かに植えられたものだが、ひとたび根づけば、特定の家よりも、村全体に属しているように見える。子どもたちは断りなくよじ登り、旅人はその木陰で休み、鳥たちは枝を街道のように使う。収穫の季節になると、枝の下に青いシートが広げられ、村じゅうが果実が布を叩く音で満たされる。それは、現金収入と冬のカロリーを告げる柔らかな打楽器のようだ。温帯ヨーロッパからの訪問者にとって、この季節のリズムには、どこか馴染み深いところもあれば、その脆さゆえに全く違って感じられる部分もある。ここでは余裕の幅がずっと狭い。一度の遅霜が、何ヶ月もの慎重な期待を台無しにしかねない。アンズの木々のあいだを歩くということは、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊のどれほどの部分が、短い生育期の気まぐれな寛大さに支えられているかを、身体で感じることでもある。

VI. ダルチク ―― 顔と花の村

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ブロクパ遺産の鮮やかな心臓部

ダルチクに着く頃には、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊はすでに、尺度と忍耐と注意深さについていくつものレッスンを与えてくれている。それでも、ここで多くの旅人は、何か象徴的な中心にたどり着いたように感じる。そこでは、「ブロクパ文化」という抽象的な観念が、否応なく具体的なかたちを取る。ダルチクは川の上の斜面に貼りつくようにして、家々と小径と段々畑が密に絡み合っている。横より縦に広がる村だ。車を降りた瞬間から、村がこちらをじっと見ているのを感じる。それは疑いの目というより、この場所を家であり、同時に舞台でもある場所に変えた旅人たちが、ここでどう振る舞うのかを見極めようとするまなざしだ。

ダルチクを、花やコインや貝殻で飾られた華やかなヘッドドレスや、重厚な装身具、祭りの衣装――そうしたアイコンの集まりに還元してしまうのは簡単だ。それらは写真の中で遠くまで旅をしてきた。だが、そうした表層を異国趣味として眺めるだけなら、村はすっと身を引き、畑仕事や子育て、家事という日常の営みに閉じこもってしまうだろう。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊は、イメージだけでは理解できない。そこに隠れている物語に耳を澄ます必要がある。ダルチクでは、その多くが土地の境界争いや教育の選択、観光が可能性を開くと同時に内部の序列をどう複雑にしているかといった話になる。ここでの鮮やかな「遺産の演出」は、静的な陳列ではなく、何を残し、何を手放すのか、自分たちを他者にどう見せたいのかをめぐる、現在進行形の交渉なのだ。

装い、アイデンティティ、血筋の手触り

カメラを手放して一日ダルチクにいると、装いが「衣装」ではなく言語として機能していることに気づき始める。女性たちがヘッドドレスに挿す花は、適当なものではない。季節の移ろい、個人の好み、ときに身分や気分の微妙なコードに従って選ばれる。装身具には、結婚や相続、物々交換の物語が宿る。子どもたちは幼いうちから、これらをどう扱うべきか、いつ身につけ、いつ畑仕事のために外すべきかを学ぶ。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊はしばしば、「伝統が残る場所」として語られるが、その言葉は、意味を保ち続けるために必要な絶え間ない努力を、かえって見えなくしてしまうことがある。ここでの装いは遺物ではない。血筋と土地と現在をつなぐ、生きた電線のようなものなのだ。

博物館で、ガラスケースの中の展示物にラベルと解説が添えられている光景に慣れたヨーロッパの旅人にとって、この生きたアーカイブの即時性は、戸惑いを招くかもしれない。会話のあいだに褒めたネックレスが、別の日には別の親族の胸元で揺れていたり、祭りの光の中で写真を撮ったヘッドドレスが、翌朝には中庭の壁に掛けられて干されていたりする。ダルチクにおける血筋の「手触り」は、単なる系譜の図ではない。それは、重さがあり、ときに煩わしくもある物理的な存在だ。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊におけるアイデンティティは、固定された衣装ではなく、身体にのしかかる一連の責任だということを教えてくれる。「ここの出身」であるというのは、自分の家の歴史を知っているだけでなく、祖先の装身具をしまってある棚の場所や、それを一年のうちいつ取り出すべきかを、正確に知っているということでもある。

VII. ガルコン ―― 峡谷の中の庭

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用水路と記憶に導かれて歩く小径

ダルチクが円形劇場のように感じられるなら、ガルコンは、気長な水利技師が設計した庭のように感じられる。村を通る道は、枝分かれし、ねじれ、また合流しながら続く用水路に沿って延びている。それは、どこで文を終えるか決めかねている書き手の文章のようだ。ここでは、水は単なる資源ではなく、秩序を与える原理だ。どこに家を建てられるのか、畑はどこから始まるのか、道がどこを横切り、どこで遠慮しなければならないのかを教えてくれる。ガルコンを歩いていると、水の音がずっとつきまとう。ときには大きく主張し、ときには段々畑の端を流れる細く秘密めいた糸のように。

ロウアー・インダス・ブロクパ回廊はどこもこうした用水路に頼っているが、ガルコンではその存在が特別に親密に感じられる。人びとは言葉だけではなく、共同のインフラへの小さな手入れを通じても挨拶を交わす――石を一つ動かし、扉を開け、泥のひと握りで漏れを塞ぐ。訪問者にとっては、ニュースには決して載らない種類の政治を学ぶ機会になる。それは、静かに、誰が十分に食べ、誰が苦労するかを決める政治だ。ここで記憶が保存されるのは、公文書館ではなく、「あの年のあの用水路の工事に誰が労働を出したか」「潅漑の順番を守ったのは誰で、守らなかったのは誰か」といった覚え書きの中でである。ガルコンを歩いていると、どの小径も妥協の産物であり、どの近道も、かつて信頼が与えられたり、引き上げられたりした物語を背負っていると感じられてくる。

辺境の村が文化の中心になるとき

地図を描く人の視点では、ガルコンは辺境の村だ。峡谷の中の小さな集落で、大きな市場からは遠く、川と断崖にはさまれている。だが、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊の文化地図の上では、ここは重力の中心のような場所だ。祭りには周りの村々から人びとが集まり、歌や物語は遠くまで巡り、ガルコンの節回しを物理的な境界のはるか外まで運んでいく。レーやカルギルからだけでなく、ヨーロッパからも客がやってくる。遺産が強く守られつつも、どこかしぶしぶ外に見せられている村があるらしい――そんな噂を辿って。

ホームステイの数は増え、それとともに、「何が提供されているのか」「誰の条件で」という問いをめぐる会話も増えた。ガルコンの年配のひとりは、村のことを「訪問者が多すぎる庭」と、片方の口角だけを上げて表現していた。その言葉には、敵意というより診断の響きがあった。この場所を文化的な基準点にしてきた要素――織物のように重なる果樹園、精巧な水路、強い共同体意識――は、そのまま、この村を「他人の物語の背景」へと変えてしまうリスクでもある。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊は、「見られること」と「理解されること」のあいだの不安定な交差点に立ち、その緊張をガルコンほど鮮やかに体現している場所はない。ここは、旅人に、「文化の中心を訪れる」とは体験を消費することではなく、その共同体が自分たちを世界にどう見せたいかをめぐる、今進行中の議論の中に、短く不完全なかたちで入り込むことなのだと教えてくれる。

VIII. ビャマ ―― 世界と世界のあいだの小さな休止符

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回廊の文のなかに打たれたコンマのような場所

ダルチクとガルコンの濃密さのあとに訪れるビャマは、柔らかく、必要な休止のように現れる。道路は相変わらずインダスに沿って続いているが、谷は少しだけ開き、息をゆっくり吐き出す余裕が生まれる。家々は少なく、畑はまばらで、村全体の空気はどこか控えめで舞台じみていない。ビャマは、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊の物語から消えているわけではない。ただ、自分の重要さを声高に主張することを拒んでいるだけだ。その役割は、長い一文に打たれたコンマ――リズムを変える小さな息継ぎ――に近い。

旅人にとっては、それが安堵でもある。ここでは、写真を撮りたい衝動と、必ず挨拶を交わすべきだという義務感のあいだで常に折り合いをつける必要はない。小径は、ひたすら地元の心配事に貫かれた畑の中を通っていく。種の質、次の潅漑のタイミング、ある子牛の具合。ホームステイはあるが、小さなホテルというより、親戚の家に泊まりに来たような感覚に近い。ヨーロッパから来た旅人は、どの滞在地にも観光名所のリストで正当性を与えようとしがちだ。そんな人に、ビャマは静かな問いを投げかける。「ただ、この回廊のゆるやかな移ろいをよりはっきり感じられるから」という理由だけで、ある場所に時間をかけることは許されるのか、と。

夕方の光、静かな家々、ゆっくりとした地形

ビャマに「名物」があるとすれば、それは夕方の光だ。太陽が周囲の尾根の向こうに沈みかけると、斜面のあちこちが不規則なパッチワークのように最後の色を拾い、すでに影に沈んだ家もあれば、まだしばらく輝いている家もある。屋根からは台所の煙が立ち上り、家の戸口の前には小さな集まりができて、話の締めくくりをしていたり、ただ一緒に沈黙を共有していたりする。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊をずっと伴ってきたインダスは、ここでは音量を上げるのではなく、色を変える。明るい鋼のような色から、インクに近い深い色へと変わる。ここは、石垣に腰を下ろし、動きの遅いものに目を慣らしていくのにちょうどいい場所だ。

ここで地形は声高には語らない。ただ、ささやく。段々畑の線、二軒の家を結ぶ小径の角度、畑の端で川が曲がる特有のカーブ――それらが、過去にも未来にも伸びていく一つのパターンの一部として、ゆっくりと視界に入ってくる。ビャマでは、ダーやハヌーがすぐ先にある引力を感じながら、バタリクまでも、もうそう遠くない。そのため、「国境」という言葉も、抽象的な概念ではなくなり始める。それでも村自体は、この回廊の中で、自分の場所に穏やかに満足しているように見える。物語の中で大きなクライマックスではないが、なくてはならない音符として。ここは、すべての滞在が山場である必要はないのだということを、静かに教えてくれる。

IX. ダー ―― 訪問者がまず名前を挙げる村

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ブロクパ・アイデンティティの象徴的な拠点

レーやカルギルで、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊でいちばん印象に残った場所はどこかと旅人に尋ねると、「ダー」という名前が、しばしば早い段階で出てくる。この村は、その物理的な大きさを超える象徴的な重みを背負うようになっている。「アーリアン・バレー」「ブロクパ文化」「古い共同体」といった、一連のラベルの代名詞としてだ。そうしたラベルは正確ではなく、ときに誤解を招くが、それでも「どこか違う」という感覚を指し示している。ダーに向かう道すがら、旅人は、単に別の村に入ろうとしているのではなく、「見られること」に慣れた場所に入ろうとしていることを、うすうす感じ始める。

ダーの家々は、歩き始めて初めてその急さが分かる斜面に、ぎゅっと寄り集まっている。路地は急に折れ曲がり、思いがけないところに階段が現れ、きついカーブの先に突然段々畑が広がる。ここには、人の密度も、物語の密度も、期待の密度もある。訪問者にとっての誘惑は、「ブロクパ文化探し」の終着点としてダーを位置づけてしまうことだ。しかし村は、そんな完結を拒む。会話は、すぐに実務的な心配へ戻っていく。土地の細分化、教育の機会、軍への入隊、作付けのスケジュールを揺るがす気候変動。外からの想像の中でダーが背負わされてきた象徴的な重さは、この場所の現実の一層にすぎない。ここで歴史とは、大仰な物語ではなく、どこに畑を拓き、誰と結婚し、ここに残るかどうかを決める、一つひとつの選択でできている。

なぜダーは旅人や研究者、漂泊者を引き寄せ続けるのか

では、何がダーを、これほど多くの旅程や研究の中心に留めているのだろうか。その一部は、「見えやすさ」にある。この村は、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊に関心を持つ人びとにとって、記事や写真、分析の中で繰り返し参照されてきた。だから便利な出発点になっている。だが、ダーの内部のリズムには、観察者を惹きつける何かもある。路地はあまりに細く、他人と出会うのを避けて歩くことができない。段々畑は互いに近く、別の段から会話がふわりと聞こえてくる。暮らしは耳に届く距離の中で展開していて、その近さは、訪問者にとっても、村人にとっても、機会であると同時にリスクでもある。

研究者にとって、ダーは物質・非物質の文化遺産がぎゅっと詰まったアーカイブだ。気ままな旅人にとっては、旅行記の中で見慣れたはずの場所が、細部の予測不可能さゆえに全く違う顔を見せる、そのスリルがある。村人にとって、こうした重なり合う視線は、ときに疲れる。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊の人びとは、好奇心と付き合うすべを学んできた。歓待と境界線の引き方の両方を。お茶に誘うことはあっても、写真を許すことまでは求めていないかもしれない。血筋についての質問には答えても、すぐに話題をレーの野菜の値段に変えることもある。ダーが人を惹きつけ続けるのは、ここが凝縮されたかたちで回廊全体の問いを体現しているからだ。「違い」をショーにせずに保つにはどうしたらよいのか。見知らぬ人を迎えながら、自分たちの暮らしを商品化せずに済ませるにはどうしたらよいのか。

X. ハヌー ―― 道が細くなり、文化が深まる場所

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回廊の上端を見守る双子の集落

ダーの先で、道はハヌー・ヨグマとハヌー・ゴンマへと続いていく。双子のようなこの集落は、世界と世界のあいだの門のように感じられる。インダスはまだ流れているが、「一本の連続した回廊」という感覚はほつれ始める。村々は支流の谷や斜面の折れに身をひそめ、幹線から一歩引いた場所にある。ここでは地形の読み取りが、いっそう細やかに求められる。多くの訪問者にとって、ハヌーに着くことは、物理的にも概念的にも一つの折り返し地点になる。旅の長さは、最初の物珍しさを剥ぎ取るのに十分だが、疲れが好奇心を押し流してしまうほどではない。このロウアー・インダス・ブロクパ回廊の上端のように感じられる場所で、文化は広がるというより、むしろ深まっていく。

ハヌーが双子であるという事実は、「要約したい」という欲求をややこしくする。ハヌー・ヨグマとハヌー・ゴンマは、歴史も血縁も祭礼の暦も共有しているが、それぞれに日常の違う手触りがある。家の建て方、畑の並び方、子どもたちが遊びと手伝いのあいだを行き来する様子。片方からもう片方へ歩いて行くと、連続と違いの両方を身体で感じる。道は文字通り細くなっていくが、内部のバリエーションは広がる。村を、一つひとつの境界線がはっきりした「単位」として捉えがちなヨーロッパの旅人にとって、ハヌーは、アイデンティティが一つの集落の境界ではなく、空間と時間に分散しているモデルを示してくれる。

「文化保護区」に足を踏み入れるような感覚

ハヌーを「文化保護区」と呼びたくなる誘惑は強い。そう呼べば、自分が完全な姿で残された何かを「発見した」ような気持ちになれるからだ。しかし、保護区にはキュレーターが必要だ。ここには展示を並べる学芸員はいない。その代わりにあるのは、自分たちの世界のどれだけを外の人の手の届くところに置くのかを決めている、家族同士のネットワークだ。ゲストをホームステイに迎える家もあれば、距離を保とうとする家もある。子どもたちは地元の言葉と教科書のヒンディー語を行き来し、年配の人びとは、翻訳を拒むような古い言い回しや物語を握り続ける。

ロウアー・インダス・ブロクパ回廊の中で、ハヌーは、遺産が特に濃く凝縮されている場所として知られている。それはある意味で事実だ。儀礼は暦をしっかりと握り続け、人と家畜の季節移動も、週末旅行の都合など意に介さないパターンに従っている。だからといって、ハヌーが時間から切り離されて宙吊りになっていると考えるなら、それは大きな誤解だ。ここにもソーラーパネルやスクールバス、スマートフォンは届いている。ただ、その広がりは不均一だ。「文化保護区に足を踏み入れた」という感覚は、村の現実というより、訪問者自身の「そうであってほしい」という願望のほうを映していることも多い。ハヌーが実際に見せてくれるのは、近代性とどう向き合うかを、「全面的な受け入れ」でも「全面的な拒絶」でもない、もっと粒立った、慎重で、そしてある意味では自信に満ちたやり方で交渉している共同体の姿である。

XI. バタリク ―― 風景と歴史のフロンティア

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回廊の終わり――あるいは新しい回廊の始まり

バタリクは、この地域の心の地図の中で、特別な場所を占めている。多くの人にとって、その名は国境の検問所や軍事史のイメージと結びついている。生きている記憶の中で、これらの尾根に沿って展開してきた争いの記憶だ。タクマチク、ドンカル、スクルブチャン、アチナタン、ダルチク、ガルコン、ビャマ、ダー、ハヌーを抜けてここにたどり着くと、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊が一つの敷居に近づいていることを、すぐに感じ取る。谷は再び締まり、国家の存在を示すサインが目立ち、世界の緊張から遠く離れているという気楽な思い込みは、揺らぎ始める。

とはいえ、これらのイメージと並んで、バタリクには日常の暮らしもある。学校に向かう子どもたち、台所の畑を世話する女性たち、収穫や道路の状態について話し合う男性たち。インダスは、地図上の線引きには無関心なまま、いつものように流れていく。旅人にとって、この村が投げかける問いは、回廊の他の場所とは少し違う。「自分の好奇心をどこまで追いかけるのが倫理的か――あるいは望ましいのか。他の人の脆さが、より直接的なかたちで賭けられている空間にまで?」。「川に沿う旅が、いつの間にか境界に沿う旅に変わるのは、どの地点なのか」。バタリクがこうした問いに答えを与えてくれることはない。ただ、誰にとってかの「回廊の終わり」が、ここで暮らす人にとっては、日々、名指されることの少ない力と折り合いをつけ続けなければならない「始まり」でもあるのだという事実を認めざるをえないようにさせるだけだ。

断崖と流れと、静かな地政学にかたちづくられた暮らし

地面の上でのバタリクのリズムをつくっているのは、地政学と同じくらい、断崖と川の流れだ。段々畑は、農業に向いているとは半信半疑にしか見えない斜面を、じわじわと這い上がっていく。インダスは、冷たく深い独白を続け、ときには道路のはるか下を、ときにはほとんど同じ高さを流れる。村は、見える場所と見えない場所のあいだ、外の制度と関わらざるを得ない必然と、自分たちだけの内側の生活を、常に他人の視線にさらし続けないでおきたいという欲求のあいだを、細い線の上で歩いている。

ヨーロッパからの旅人にとって、バタリクは、美しいと讃えられる風景が、同時に、争いと不安の歴史の舞台でもあることを思い出させる場所になりうる。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊は真空の中にあるのではない。ここは、国家の物語や安全保障上の懸念、移ろいやすい同盟関係の網の目の中に置かれている。それでも、ここでの暮らしは、頑なにもっと近くの軸で回り続けている。冬の雪の深さ、夏の水の確かさ、若者たちが、都会が見せる別の未来のきらめきに惹かれながらも、農業に興味を持ち続けてくれるかどうか。バタリクで過ごす時間は、「静けさ」が単に「音のなさ」ではいられない場所があるのだということを教えてくれる。それは、当たり前に見える日々の営みが、もし失われればすぐさま不安定さが露わになるような現実の上で、かろうじて保たれている達成なのだ。

XII. 結び:ロウアー・インダスが旅人に差し出すもの

野心ではなく忍耐を報いる回廊

タクマチク、ドンカル、スクルブチャン、アチナタン、ダルチク、ガルコン、ビャマ、ダー、ハヌー、バタリク――これらの村々をまとめて眺めると、一つの旅程以上のものが見えてくる。それは、すでに行き先であふれかえっている世紀において、旅をどう行うかについての一つの提案だ。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊は、チェックリストや「制覇」という言葉にはうまく馴染まない。ここに名のついたピークはほとんどなく、「見どころ」は記念碑ではなく家々に分散している。この回廊を進むには、忍耐が要る。道に対しても、高度に対しても、「うまくいった一日」とは何かについての、自分自身の期待に対しても。

この忍耐は、旅人が荷物の中に持ち込んでくる美徳ではない。むしろ、回廊がゆっくりと身につけさせるものだ。日々のペースは、博物館の開館時間ではなく、潅漑のサイクルによって決まっていく。会話は中庭や台所で行われ、沈黙や寄り道に満ちていて、物語の効率のために整理されることを拒んでいる。そんな環境では、「何メートル登ったか」や「何ヶ国訪れたか」を数えるタイプの野心は、どこか場違いに感じられる。代わりに大事になるのは、「気づく力」だ。冬の朝、スクルブチャン僧院がどのように一番最初の光を受け止めるか。アチナタンのアンズの木々が、どこまでが人の住める世界で、どこからが危うさの領域なのかをどう示しているか。ガルコンの用水路が、インフラであると同時にどんな会話の場にもなっているか。

世界の多くの旅が、「場所を集めること」だとしたら、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊は、別の可能性を示している。川の一本の短い区間に、自分のほうが集められてしまうこと。時間やスケール、「何が自分にとって十分か」という感覚を、静かに組み替えられてしまうこと。

この誘いを受け入れる旅人にとって、回廊は「最後まで歩き切るべきルート」ではなく、「授業が終わることのない教師」に近い存在になる。少ない村々に長く滞在する人、同じ小径を違う時間帯に何度も歩く人、「ここで経験したことを、すぐにどこか別の場所で語る物語に変えなくてもいい」と理解している人を、この谷は報いてくれる。ここでの忍耐は、受け身ではない。この谷で、雪解け水と種と陽光が今も可能性の範囲を決めているという事実に、自分を少しのあいだ合わせてみるという、積極的な選択なのだ。

ブロクパの村々が、土地と意味とアイデンティティをゆっくりとひらいていく場所

結局のところ、ロウアー・インダス・ブロクパ回廊が差し出すのは、一つの啓示ではなく、ゆっくりとした展開だ。ここでのアイデンティティは幾重にも重なっている。ブロクパであり、ラダックであり、ヒマラヤであり、国家の一部でもある――そのすべてが、単純な分類を拒むやり方で共存している。土地は背景ではなく、手ごわい相棒だ。注意深く読み、根気よく手入れし、その気分を尊重することを迫ってくる。意味は、そのあいだの隙間で生まれる。スクルブチャン僧院と畑のあいだ、ダルチクの祭りの衣装と日常の労働のあいだ、ハヌーの連続性の感覚と、バタリクの外の世界へのさらされ方のあいだ。

「辺境の共同体」を、絶滅寸前かロマン化された存在として見がちなヨーロッパの旅人に対して、この回廊は第三の可能性を示している。ここにあるのは、どちらでもない共同体だ。時間から切り離されてもいなければ、一様な世界に向かって全速力で走っているわけでもない。人びとは即興し、適応し、議論している。ホームステイは開いたり閉じたりし、若者は出て行き、ときに戻ってくる。祭りは新しい要素を取り込みながらも、核となる部分を守ろうとしている。この展開を見つめることは、ブロクパ文化やインダス谷の農業の「専門家」になることではない。それは、文化というものが川に似ているのだと思い出すことだ。見た目には一瞬止まっているようでも、実はいつも動いているのだということ。

FAQ:ロウアー・インダス・ブロクパ回廊を旅するために

Q1. 回廊を旅するには、何日くらい必要ですか?
少なくとも五〜七日は欲しいところです。そうすれば、二つか三つの村にじっくり滞在し、高度やリズムに体を合わせながら、ただ通り過ぎるのではない時間を持てます。

Q2. 初めての訪問者に向いている村はどこですか?
タクマチク、スクルブチャン、ダルチク、ガルコン、ダーは、ホームステイの選択肢、アクセスのしやすさ、文化の奥行きのバランスが良く、「観光専用地」ではなく日常の村の空気が残っています。

Q3. ブロクパのコミュニティを尊重しながら旅をするにはどうすればよいですか?
人を撮る前には必ず許可を求め、服装は控えめにし、答えたくない質問には答えなくてもよいという相手の権利を尊重すること。そして、自分の好奇心が、家族のプライバシーや休息、誰にも見られずに行いたい儀礼より大事になることは決してない、ということを忘れないことです。

Q4. 訪れるのに最適な季節はいつですか?
晩春から初秋にかけては、道路事情が安定し、畑は忙しく、果樹園には葉や実がついています。とはいえ、ピークの時期を少し外すことで、ホームステイへの負荷を減らし、より落ち着いた会話の時間を持つこともできます。

Q5. すべてを事前に予約しておく必要がありますか?
特に小さな村では、最初の一〜二泊は手配しておくと安心です。ただし、いくつかの日程を空けておくことで、現地からの誘い、天候の変化、「この村でもう少し長く過ごしたい」という気持ちに柔軟に応えられるようになります。

こうしたすべてから一つの結論を引き出すとすれば、それは控えめなものかもしれない。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊は、旅や開発をめぐる世界的な議論を一変させることはないだろう。気候変動にさらされるヒマラヤの共同体が直面しているジレンマを解決することもないし、繊細な環境へ長距離フライトでやって来るヨーロッパの旅人を、その矛盾から救い出すこともない。それでもここには、そうした矛盾に気づきを与え、人びとが日々それと付き合っている具体的な例を、小さなスケールで示す力がある。タクマチクのサステナブル・ツーリズムの試み、スクルブチャン僧院が畑を静かに見守るまなざし、ダルチクとガルコンが可視性と向き合うやり方、ビャマのゆっくりとした夕べ、ダーとハヌーの重層的なアイデンティティ、国境と家のあいだの毎日のバランスを取るバタリク――そこには、「場所」と「時間」にもっと注意深く居るためのヒントが散らばっている。

耳を傾ける用意のある旅人に対して、この回廊は、別れの挨拶というより宿題のような締めくくりをささやく。「自分の川、自分の村、自分の静かな回廊に戻りなさい」と。水がどこから来るのか、食べ物がどうやって届くのか、隣人についてどんな物語を語り、どんな物語を語らないのかに、注意を払ってみなさいと。インダスのごく短い区間でさえ、これほどの複雑さを抱えられるのなら、「単純な場所」などどこにもないのだと認めざるをえない。ロウアー・インダス・ブロクパ回廊は、称賛されることを求めてはいない。静かだが執拗に、「理解されること」を求めている。そして、一度理解されれば、ここだけでなく、あなたがこれから歩くすべての場所での歩き方を変えてしまうことを、ひそかに期待している。

著者について

Declan P. O’Connor は、Life on the Planet Ladakh の語り手としての声を担っている、
ヒマラヤの静けさと文化、そしてたくましい暮らしを見つめるストーリーテリング・コレクティブの一員です。

彼のエッセイは、ゆっくりとした道、小さな村々、高地の風景が持つ控えめな美しさを辿りながら、
旅人と土地のあいだに生まれる静かなつながりを追いかけています。