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ラダックの魂を映し出すチャンタン高原の秘境10集落

高原がもう一度「見ること」を教えてくれる場所

ライフ・オン・ザ・プラネット・ラダック 文:ディクラン・P・オコナー

1. プロローグ:薄い空気の中で「聞くこと」を学ぶ

Changthang Plateau Villages

なぜチャンタン高原は単純な物語を拒むのか

地図の上では、ここは「高原」と呼ばれている。まるでラダックとチベットの間に、きちんと整えられたテーブルをすっと差し込んだかのように。しかし実際に地面に立ってみると、チャンタン高原は「場所」というより、長くゆっくりと続く問いそのもののように感じられる。道は標高を上げ、酸素は薄くなり、あなたはまず目に入るものを手早くまとめようとする――高地の砂漠、広い谷、遠くの稜線、そして巨大な空の下に、あとから置き足したように散らばるいくつかの村。けれど、ここに長くとどまるほど、その安易なラベルは音を立てて崩れ始める。チャンタン高原は、キャッチコピーに押し込められることも、便利な旅行カテゴリーに回収されることも拒むのだ。ここが求めてくるのは、ふだん自分がいかにせわしなく世界を通り過ぎているかを認めざるを得なくなるような、もっと遅い種類のまなざしである。

通りすがりの旅人にとって、これらの辺境のチャンタン高原の村々は、どれも同じに見えるかもしれない。白く塗られた家々が集まっていること、少しの家畜、小さな僧院が尾根の上にとり残されたように立っていること――そして道がカーブすれば、もう別の場所にいる。しかし腰を据える者にとっては、村ごとの違いは見間違えようがないほどはっきりしてくる。それぞれの集落には、それぞれの小さな気候があり、仕事と祈りのリズムがあり、国家や軍隊や天候との折り合いの歴史がある。なぜこれらの村が重要なのかを理解するには、旅程にチェックを入れていくだけでは足りない。耳を澄ませなければならないのだ。午後になると風向きがどう変わるのか、年配の人々がどのタイミングでさりげなく言語を切り替えるのか、チャンパの遊牧民たちが牧草地のことを、まるで家族の一員であるかのように語る様子に。

ラダックの谷が「ゆっくり歩くこと」を教えてくれるのだとしたら、チャンタン高原は「もう一度、ちゃんと見ること」を教えてくれる。光は容赦なく、風景の一本一本の線がくっきりと刻まれると同時に、自分自身の思い込みの綻びも同じように露わになる。人は「辺境」を求めてここへやって来るが、そこで出会うのは、もっと落ち着かない何か――鏡だ。果てしない空白の距離は、あなた自身の落ち着きのなさをそのまま映し返し、「絶え間ない移動」は本当に自由をもたらしてきたのかと問いかけてくる。だからこそ、この村々は単純な物語を拒む。彼らは、旅という物語の大半が旅人自身のことばかりを語っていること、そしてここに暮らし続ける人々について語られないままのことがどれほど多いかを、静かに暴き出すのだ。

ラダックとチベットのあいだにある文化的・生態的な「しきい値」

チャンタン高原は、遠い首都で引かれた国境線をまたぐように広がっている。しかしこの地域の文化は、その線が引かれるよりずっと前から続いてきた。西には、よりなじみのあるレーとインダス川流域の世界があり、東には、より広い意味でのチベット世界が広がる。チャンタン高原の村々は、その中間、つまり国家の境界は新しいが、遊牧の記憶は古くから続いてきた「しきい値」に身を置いている。ここでは、石造りの家とヤクの毛で織られたテントが共存し、僧院の読経と軍の無線が交錯し、衛星アンテナのある屋根の下で「まだ道のなかった頃の冬の徒歩行」についての昔話が語られる。パスポートの上ではインドだが、言葉と儀礼はチベットであり、スケール感と時間感覚においてはどうしようもなくチャンタンなのだ。

生態系としても、この高地の世界はやはり「混成」だ。一見、何もない砂漠の真ん中に突然湿地が現れ、渡り鳥たちは短い季節をここで過ごす。塩湖が茶色い山々のあいだで銀や白にきらめき、地熱の温泉が不毛に見える谷の底で静かに息を吐く。牧畜を基盤とする経済は、きわめて繊細なバランスに支えられている。雪が少なければ草は育たず、多すぎれば峠は予定より早く閉ざされる。ここでの気候変動は、遠い抽象概念ではない。毎年、どうやって生き延びるかの計算をいちからやり直させる現実だ。チャンタンの村人や遊牧民たちは、即興性と受け継いだ知恵をないまぜにしながら、その不確実さを渡っていく――キャンプの位置を変え、家畜の移動ルートを組み替え、群れの頭数を調整する。そんな姿は、光沢のあるパンフレットにはまず載らない。

こうした国境地帯の集落に立っていると、不思議な感覚が胸に同居する――「近さ」と「遠さ」である。文化的にはラサの方がデリーよりも近く感じられるのに、道路、通信塔、学校教育を左右するのはデリーで決まる政策だ。チャンタン高原の村々は、地政学的な不安とローカルな暮らしの連続性との蝶番の位置に座っている。山の尾根には兵士たちが巡回し、子どもたちはマニ車の列を通り抜けて学校へ行き、年長者たちは幾つもの政権交代をやり過ごしてきた儀礼に慰めを見いだす。ヨーロッパからの旅人にとって、この「しきい値」は、近代化が「伝統」から「発展」へと一直線に進むという考え方に対して、静かな異議申し立てになる。チャンタン高原では、その線は曲がりくねり、輪を描き、ときには雪の中に消えてしまうのだ。

2. なぜ、この村々は地図が示す以上の意味を持つのか

距離の哲学――「遠さ」が人の性格をどう形作るか

現代のヨーロッパで「距離」は、多くの場合「解決すべき問題」である。高速鉄道、LCC、ハイウェイ――そのどれもが、「ここ」と「あそこ」のあいだの時間を縮めるために存在している。チャンタン高原では、距離は迷惑なものではない。むしろ人の性格を形作る、もっとも根本的な素材だ。最寄りの病院が何時間もかかる場所にあり、冬の道は前触れなく閉ざされうる。そんな環境では、人々は「予測できないもの」に備える術を身につける。辺境のチャンタン高原の村々では、距離の哲学が、日々の些細な営みにまで刻み込まれている。物資をどのように配分するか、どんなふうに修理を工夫するか、そして隣人同士が、失敗に備える非公式の保険のような関係をどう編み上げるかといったことのなかに。

訪れる側にとって、この「遠さ」は、最初の20分ほどはロマンチックに感じられるかもしれない。だがじきに、静かに不安を呼び起こすようになる。自分の自信の大半が、「いざとなれば電話一本でどうにかなる」という前提に、いかに依存してきたかを思い知らされるからだ。ここでは、携帯の電波はついたり消えたりを繰り返し、燃料の配達は当たり前のものではなく、冬の嵐は天気予報を確認してからやって来たりはしない。それでも村の人々は、自分たちの状況をドラマチックに語り立てたりしない。距離は、ただ与えられた条件であって、英雄的な障害物ではないのだ。子どもたちは、長い通学路を文句も言わず歩いていく。家族は、地区本部への用事が一泊、あるいは二泊、三泊になるかもしれないことを織り込んで暮らす。人生は小さく縮こまるどころか、むしろ引き伸ばされる。1日は、アポイントではなく、羊を移動させ、水を汲みに行き、隣の谷にいる親類を訪ねるのにかかる時間で測られるのだ。

ヨーロッパの読者にとって、ここには静かな教訓がある。チャンタンの村々は、「遠さ」が地理であるだけでなく、倫理でもありうることを思い出させてくれる。レジリエンスをサプライチェーンや宅配サービスに外部委託できない場所では、それを人との関係そのもののなかに組み込むほかないのだ。抽象的な「連帯」ではなく、もっと具体的なやり方で互いに頼り合う――道具を貸し借りし、飼料を分け合い、誰かが病気になったときにはその家の家畜を預かる。距離は、約束に対して一定の「重み」を与える。ドタキャンは、単なる迷惑では済まない結果を招きうるからだ。言い換えれば、この「遠さ」は、過剰に接続された世界が取りこぼしがちな一種の「道徳的な持久力」を、人々に自然と身につけさせている。

遊牧の記憶・高地への適応・そして「そこにいること」の倫理

いまは定住しているように見える村であっても、「移動」の記憶は濃く残っている。チャンタン高原の多くの家族は、もともと季節ごとに移動する牧畜キャンプにルーツを持つ。彼らの行き先を決めていたのは、土地の境界線ではなく、草と雪だった。この遊牧の記憶は、「空間の使い方」に影響を与え続けている。家はもちろん大切だが、冬と夏の放牧地を結ぶ道も同じように重要だ。村の境界線は意味を持つが、嵐に突然襲われたとき、どこへ逃げ込めば身を守れるかという知識も同じくらい重い。ここで暮らすということは、「人間の計画は、天候や家畜や大地が『今日は違う』と言えば、いつでも交渉し直さなければならない」という事実を受け入れることでもある。

高地への適応は、身体にもはっきり現れる。4,500メートルの空気の薄さの中でも安定した足取りで砂利道を歩き、一定の呼吸で坂を登ってしまう。子どもたちは、訪問者なら息を切らしてしまうような場所を、平然と走り回る。だが適応は、ある種の「そこにいることの倫理」としても表れている。チャンタン高原の村々では、同時に二つの場所にいられるふりをする人はほとんどいない。距離はあまりに現実的で、仕事はあまりに身体的だからだ。誰かが訪ねてくれば、その人のために数時間を使う覚悟が生まれる。客を迎える側も、その日の仕事の優先順位が変わることを受け入れる。ここに「瞬間的な同時多発の自分」はいない。どこか一カ所にいるということは、別のどこかにはいないということであり、その選択には確かな重さがある。

オンラインとオフラインのあいだを行き来して暮らすことに慣れた旅人にとって、この「そこにいることの倫理」は、戸惑いと同時に解放でもある。寒さのなかではスマートフォンの電池はすぐに消耗し、次のカーブを曲がれば電波は消え、画面はカメラ以外の役割をほとんど果たさなくなる。残るのは、目の前にいる人と土地だけだ。チャンパの牧夫と一緒に家畜の見回りをすれば、スマホではダウンロードできない「地形との親密さ」を垣間見ることができる。彼は斜面の角度や雲の動き、家畜の様子を読み取り、「ここに留まるべきか、移動すべきか」を判断する。ここでの「プレゼンス」は、流行りのマインドフルネスのスローガンではない。それなしには生き残れない、日々の実践なのだ。

高原が「アドベンチャー」の意味をどう塗り替えるか

多くの旅行パンフレットにおいて、「アドベンチャー」はパッケージ化された体験だ。適度なリスクに、安心と快適さの保証が枠として添えられている。チャンタン高原での「冒険」は、写真映えはしないかもしれないが、そのぶん誠実だ。道路は閉ざされるかもしれないし、ホームステイは満室かもしれない。その日の食事は、ツァンパとバター茶といったごく素朴なものしかないこともある。辺境のチャンタン高原の村々は、訪問者の「ワイルドでいたい」という願望を満たすために存在しているわけではない。村は、あくまで自分たちの条件で動いており、ときにはそれがよそ者にとって不便なものにもなる。それでもだからこそ、ここで起こる出会いは、計画された「穴場体験」よりもずっと真実味のあるものになる。

高原は、私たちの期待に対して気まずい質問を投げかけてくる。欲しいのは、「本物の出会い」なのか、それとも自分たちのスケジュールに沿って運営される「本物らしく見える演出」なのか。村の祭りや家畜のトラブル、突然の嵐が、せっかく完璧に組み立てた旅程を組み替えてしまっても構わないのか。コルゾクやハンレでは、よそ者の到着は必ずしも大事件ではない。人々は礼儀正しいが、忙しい。子どもたちは好奇心を見せるが、やるべき手伝いがある。旅人は、そっと「主役」の座を外され、物語の中心は彼らではなくなる。この小さな移動――「自分の物語の主人公」から「誰かの物語に招かれた客」へ――こそ、チャンタン高原が提供してくれる、もっとも意味のある「アドベンチャー」なのかもしれない。

そういう意味で、この高原は、現代特有の病を密かに治療してくれる。あらゆる旅が劇的な変容で正当化されなければならないという思い込みだ。多くの訪問者は、チャンタン高原の村々を後にするとき、静かに変わっている。しかしそれは見出しになるほど派手な変化ではない。ピントの微調整のようなもの、何を「十分」と見なすかの基準の再調整である。十分な快適さ、十分なつながり、状況を「十分」コントロールできているという感覚――そのどれにどれだけ重みを置くのか。ヨーロッパに戻れば、列車や暖房のありがたさを前より強く感じるだろう。それでも心のどこかは、異なる周波数にチューニングされたままだ。効率ではなく、注意深さによって「良い一日」を測るような周波数に。

3. チャンタンの魂が今も息づく10の辺境の村

コルゾク:空の縁に立つ僧院の村

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コルゾクは、長く続く道と沈黙の果てに置かれた句読点のように、ツォ・モリリのほとりに寄り添っている。初めてここを訪れたとき、目に入るのはきっとわかりやすいものだろう。岩山の上に張り付くようにたたずむ僧院、斜面に段々と重なる白い家々、そして現実味を疑うほど鮮やかな色彩で輝く湖の水面。しかし、少し長く目を凝らせば、コルゾクがチャンタン高原の村々のなかでも重要な場所であることが見えてくる。ここでは、精神的な持久力と現実的なサバイバルが、一本の糸のように織り合わさっているのだ。僧たちはつながれたヤクの横を通り過ぎ、牧夫は放牧地へ向かう前にマニ車を回し、子どもたちは標高をものともせず狭い路地をすり抜けて学校へ向かっていく。

コルゾクを特別な場所にしているのは、絵葉書のような美しさだけではない。「聖なるもの」と「日常」が、ここでは切り離せないからだ。夜明けには僧院の読経が家々の上を流れていくが、その空気には、牛糞の火と沸き立つお茶の匂いも混じっている。巡礼者たちは、湖の水が加持されたものだと信じてコルラに訪れ、その一方で村人たちは放牧地の権利、降雪量、そして気候変動が周囲の生態系に与える長期的な影響に頭を悩ませる。旅人にとっては、湖の静けさや山々の劇的な景観だけが目に映りやすい。だがコルゾクが最も教えてくれるのは、もっとささやかな光景だ。レーから戻る孫を待ちながらロザリオをゆっくり指で繰る年配の人の忍耐や、観光による収入のありがたさと、押し寄せる人の波への戸惑いを同時に抱えながら話す若い女性の複雑な感情。僧院と湖岸のあいだに立っていると、ラダックの「魂」はコピーライティングのなかではなく、一日のささいな交渉の積み重ねのなかにこそ鼓動しているのだとわかる。

スムド:世界と世界のあいだにある静かなしきい値

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スムドは、見過ごされてしまうのがあまりに簡単な場所だ。だからこそ、ここは大切でもある。多くの旅人は、有名な湖や峠へ向かう途中に、この小さな集落を通り過ぎる。目に入るのはせいぜい、いくつかの家と小川、そしてお決まりのお茶屋くらいだろう。だがスムドは、ただの通過点ではない。インダス川沿いの、よりにぎやかな世界から、より厳しい高原の内側へと切り替わる「しきい値」なのだ。谷は狭まり、丘は高くなり、世界からそっと切り離されていく感覚が、1キロごとに少しずつ強くなっていく。

スムドでの暮らしは、より名の知られた村々よりもずっと静かな音量で営まれている。川沿いのわずかな平地には大麦やエンドウが植えられ、その上の斜面では羊やヤギが草をはむ。ここには派手な見どころやカメラを向けたくなるランドマークは少ない。だからといって、この場所が「空っぽ」なわけではない。むしろこの村は、もっとゆっくりとした観察を旅人に求めてくる。家族が家畜をより高い放牧地へ移す段取りを話し合う様子、天候について語るときの、諦めと現実的な計算とが入り混じった口ぶり、そして、午後の風が10分もしないうちに心地よさから冷たさへと変わっていく繊細な変化。スムドは、目的地と目的地のあいだに広がる「境界」にも耳を傾けるべきだと教えてくれる。チャンタン高原では、そうした端っこの場所にこそ、もっとも率直な物語が潜んでいるのだ。

プガ:大地が息をしていることを思い出させる場所

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プガは、初めて訪れたとき、「地球がひそかに続けてきた癖」の一つを露わにした場所のように感じられる。地面からは蒸気が立ち上り、鉱物の沈着が信じ難い色で土を染め、空気には、飛行機の窓から見ているだけでは決して感じられないような、かすかな刺激臭が漂う。チャンタン高原の村々のなかでも、プガは地熱活動と、それが呼び寄せる科学的関心で知られている。研究者たちは機材を抱えてやって来て、旅人はカメラを手に訪れる。しかし大地は、そんな人間の視線など気にも留めないというふうに、もう一つ小さな蒸気の雲を吐き出すだけだ。

とはいえ、プガは調査地でも面白スポットでも終わらない。ここで暮らす家族は、大地からの贈り物と負担を、両方とも抱えて生きている。温かい湧き水は厳しい冬をいくぶん和らげるが、同じ地下の力が、水質を変えたり、農業や建設を難しくするような地盤の変化をもたらしたりもする。子どもたちは、ぶくぶくと泡立つ池を、親しみと同時に少しの危険を含んだ存在として見て育つ。それは気分屋の親戚のような、いつもそばにいる背景の一部だ。地熱エネルギーを、政策文書や都市の実証プロジェクトのなかで語られる抽象概念として見てきたヨーロッパの訪問者にとって、プガはもっと生々しい導入編になる。ここでのエネルギーは、整然とした理論ではない。岩や泥から沁み出しながら、地球の内側が決して遠い存在ではないことを思い出させる、ご近所さんなのだ。

夕暮れどき、蒸気が柔らかい光に包まれはじめると、村はふたたびごく当たり前の姿を取り戻していく。家から立ち上る煙と地面から立つ蒸気が混ざり合い、しばらくのあいだ、惑星の息と人間の息とが見分けのつかないものになる。そのとき、プガの本当のメッセージが静かに浮かび上がる。チャンタン高原の村々は、「地質」という言葉で片づけられてしまいがちなものと、あまりにも親密な距離で生きている。ここで少しでも長く過ごせば、安定とは常に仮のものであり、完全には理解しきれない力から借りているにすぎないのだと、身をもって知ることになる。

トゥクジェ:湿地が静けさの聖域になる場所

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トゥクジェは、遠目にはただの青と白の斑点のように見える、ツォ・カルという塩水と淡水の混ざり合う湖沼地帯の「引力圏」に位置している。近づいてみると、そこは季節とともに姿を変える湿地、沼地、岸辺のモザイクであることがわかる。チャンタン高原の村々のなかでも、とりわけこの水の世界に敏感なのがトゥクジェだ。村人たちは周囲の草地に家畜の命運を預けているが、それと同時に、この繊細な生態系が、はるか遠くから渡ってきた鳥たちにとって大切な休息地であることも知っている。湖の縁で感じる静けさは、空虚ではない。羽音と葦と、辛抱強いまなざしに満ちた「混み合った沈黙」なのだ。

風がやむと、ツォ・カルはガラスのような湖面を見せ、トゥクジェの村は、まるで大地と空のあいだに浮かんでいるかのように感じられる。そんな日、搾乳や壁の修理、燃料となる牛糞集めといった日常の作業は、詩的に誇張したくなるような背景のなかで行われる。だがトゥクジェの人々は、自分たちの風景をいたずらにロマンチックに捉えてはいない。彼らは水位の変化を見つめ、その揺らぎを案じる。鳥の姿ぶりの変化を、科学的な訓練からではなく、日々の近さから生まれた注意深さによって捉えている。気候変動がこの湿地の輪郭を少しずつ書き換えているのだとしたら、そのことに最初に気づくのは、環境レポートにせいぜい数行しか登場しない、トゥクジェの人々だろう。

旅人にとって、トゥクジェの「見どころ」は高い峠や劇的な僧院の風景とは別種のものだ。ここでのドラマは、ゆっくり進んでいく。夕暮れに一斉に飛び立つ鳥の群れ、遠くの尾根を横切る家畜の列、浅い水面に映り込む雲――どれも急かすことも、予約することもできない。こうした風景は、「ざっと見て次へ行く」ことに慣れてしまった私たちの目には、最初は物足りなく映るかもしれない。だがチャンタン高原の村々のなかで、トゥクジェは静かな教師だ。生態系に耳を傾けるには、ちらりと道路から眺める以上の時間が必要なのだと教えてくれる。

ツァガ:最前線の縁にある人間の物語

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ツァガは、国境にあまりにも近い場所にある。だから、地図や国旗は日常の会話から完全に消えることがない。それでも、村の路地を歩いてまず出会うのはスローガンではなく、ごく普通の生活の場面だ。ふざけあう子どもたち、水場で情報を交換する女性たち、家畜や柵の様子を確かめる男たち。チャンタン高原の村々のなかでも、ツァガは特別な重さを背負っている。文字通りの「フロンティア・コミュニティ」として、軍事インフラや地政学的な不安感の只中に暮らしながら、それ以前から続いてきた日常生活の筋道を何とか保とうとしているのだ。

ここでの風景は広く開けていて、圧力も同じように露わだ。道路や検問所は、つながりと制約の両方をもたらす。若者たちは、ここにとどまるべきか、出ていくべきかを議論する。そのとき彼らが問いにかけているのは、経済的な将来だけではない。常に監視の影がつきまとう場所で暮らすことの、心の負担についても考えている。同時に、ここを守ることへの誇りもある。牧畜とコミュニティのリズムを、国境線が「概念」でしかない人々ではなく、それを「現実」として生きる人々の側から保とうとする誇りだ。チャンタン高原の村々は、国家安全保障の戦略が、最終的には家族や畑や家畜のレベルで経験されるものなのだという事実を思い出させてくれる。

ヨーロッパから来た旅人は、「遠い国境地帯」という漠然としたイメージを抱いてツァガにやって来るかもしれない。だが帰る頃には、その言葉がいかに複雑な現実を含んでいたかを、より具体的に理解するようになる。ツァガは、ロマンチックな辺境の砦でも、悲劇に沈む犠牲者でもない。土埃の道を行き来しながら、祭りを祝い、恋をし、日々の儀式を繰り返す場所だ。そのすべてが、監視塔や巡回の陰のなかで営まれている。もしあなたが運よくここで誰かの家に招かれれば、お茶とパンを分け合いながら、放牧の心配と国家ニュースが自然に行き交う会話に参加することになるだろう。ツァガのギフトは、「フロンティア」という言葉を、再び人間の顔を持ったものに戻してくれることだ。

ニョマ:高原を支える行政の前線基地

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ニョマの第一印象は、村というより小さな町に近い。行政のオフィスが並び、軍の存在もよりはっきり見えてくる。ここは「紙に記され、押印され、実行される」地域の決定が集まる場所だ。チャンタン高原の村々のなかで、ニョマはどこか不本意そうなハブの役割を担っている。周囲の小さな集落から、人々はニョマへやって来て、書類仕事や医療、教育、生活物資の用事を済ませる。街路には、やはり砂埃が舞い、空気は相変わらず薄いが、そこには静かな官僚主義のざわめきが漂い、より牧歌的な村々とは違うテンポが感じられる。

それでも、高原はここでも背景に退くことはない。尾根は集落のすぐそばまで迫り、川は、人々の生活の条件を最終的に決めるのは書類ではなく水なのだと、日々思い出させる場所を流れている。ニョマは二つのテンポが交差する地点にある。一つは、牧畜の暮らしに固有の、ゆっくりと循環する時間。そしてもう一つは、行政や開発計画が前提にする、直線的でせっかちな時間だ。教師たちは、家族が季節ごとに移動する子どもたちにとって意味をなすのかどうか分からないカリキュラムと向き合い、医療従事者は、厳しい冬に遠く離れたチャンタン高原の村々へどうやってたどり着くかという現実と、マニュアルに書かれた手順とのあいだを行き来している。

旅人にとって、ニョマは高地の暮らしの「制度的な側面」を覗き見る窓だ。高原の未来が論じられる場面の多くはここにある。決定がどれほど実効性を持つかは別として、議論はここで行われる。より多くの若者たちはレーやさらに遠くへ出ていくことになるのだろうか。インフラを整備しながら、この土地の文化的・生態的な織物を壊さずに済ませることはできるのか。そうした問いが、午後の埃っぽい空気のなかをふわふわと漂っている。チャンタンを旅する途中で、ニョマは最もフォトジェニックな場所ではないかもしれない。だが、もっとも多くを物語る場所の一つであることは確かだ。

マヘ:インダス川が「待つこと」を覚える曲がり角

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マヘでは、インダス川がふと歩みを緩めたかのように見える。谷は少し広がり、水はゆっくりと流れ、村は長年の約束ごとのように、川岸に沿って集まっている。チャンタン高原の村々のなかで、マヘを特徴づけているのは、この川のカーブと、道路の分岐点としての位置だ。ツォ・モリリやニョマ、さらに高原の奥へ向かう車両はみなここを通り、マヘを「ルートが交わり、噂が行き交う場所」にしている。

村の空気には、静かな交差点のエネルギーが漂っている。店先には少しずついろいろなものが並び、ホームステイにはドライバーや商人、放浪者たちが泊まり、会話には「この場所の心配ごと」と、「レーやデリー、もっと遠くからやってきたニュース」が混ざり合う。しかしマヘは、単なる便利な休憩ポイントにとどまらない。川岸の畑は丁寧に手入れされており、周囲の斜面は、急峻な地形と通り過ぎる車の騒音の両方に慣れた家畜に、放牧地を提供している。夕暮れ時になると、インダス川の音がトラックの衝突音やクラクションをやんわりと吸い込み、ふたたび物事の尺度を整えてくれる。チャンタン高原の村々にとって、水はどこでも命綱だが、マヘほど川との親密さがはっきり感じられる場所はそう多くない。

インダス川をさかのぼる旅人にとって、マヘは、川が人の動きをどれほど左右してきたかを考えるきっかけをくれる。川は、検問所や舗装道路よりずっと前からここにあり、ずっと後まで流れ続ける。マヘの人々は、そのことを直感的に知っている。彼らは流量や土砂、魚の変化を見つめている。上流で起きること――天候や氷河や政策の決定――は、いずれここへ水となって流れ込んでくるからだ。夕暮れに川べりで立ち止まれば、その長い物語の一部に、ほんの一瞬だけ自分も組み込まれたように感じられる。

ハンレ:地上でも数少ない「暗黒の聖域」で迎える夜

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ハンレでは、空がすべてを支配する。日中の村は、魅力的ではあるが、特別に華やかなわけではない。丘の上には僧院があり、家々がかたまり、畑が川へ向かって緩やかに傾いている。だが夜になると、ハンレはまったく別の姿を見せる。ここがチャンタン高原の村々のなかでも特別な場所である理由は、ここに何かが「ある」からではなく、何かが「ほとんどない」からだ――人工の光である。光のにじみもまぶしさもない夜空は、圧迫感さえ覚えるほど星々で満たされる。星は闇を埋め尽くし、天の川は「帯」というより、光の河として流れ、衛星は、ささやかな付け足しのように地平線の上をゆっくりと這っていく。

ここに大きな天文台があるのは偶然ではない。科学者たちは、ヨーロッパの多くの地域で当たり前になってしまった光害から空を守るために、この「何もない」周囲を求めてハンレへやってくる。一方、村人にとって天文台は、重要ではあるが、村のすべてを規定するわけではない「隣人」の一人だ。彼らはこの壮麗な星空の下で、あまり感傷的になることなく暮らしている。農作業や放牧のタイミングを太陽と月で測り、夜空に自分たちの関心ごとを重ねる物語を子どもたちに語る。チャンタン高原の村々はそれぞれ、自然の要素と独自の親密さを持っている。ハンレにとってのそれは、「垂直方向」だ。

旅人にとって、ハンレで迎える晴れた夜は、ものごとのスケール感を静かに組み替える。レーで大きな問題に思えたこと――Wi-Fi の速度や旅程の微調整、ちょっとした不快さ――は、数え切れない星々の視線の下で、自然と小さくなっていく。ここでは、「自分のちっぽけさ」と「宇宙の神秘」について大げさに語る言葉をいくらでも紡げるだろう。しかし最後に残る印象は、もっと控えめなものかもしれない。地球上にはまだ、「暗さ」が解決すべき問題ではなく、守るべき宝物として扱われている場所があるのだという実感だ。ハンレは、「進歩」とは常に光を増やすことではない、と静かに主張している。

サマド・ロクチェン:消えることを拒む遊牧のリズム

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サマド・ロクチェンは、地図の上では一点で示されているが、実際には、道と放牧地と季節ごとのキャンプの集合体だ。チャンタン高原の村々のなかで、ここは何十年にもわたって圧力に晒され続けてきた遊牧のリズムが、なお粘り強く息づいている場所である。制度や市場、教育の仕組みは、どれも定住を好む傾向がある。それでもサマド・ロクチェンでは、多くの家族がいまも家畜とともに移動している。彼らのカレンダーは、デジタルの予定表ではなく、放牧地のサイクルと天候に刻まれている。

サマド・ロクチェンを訪ねると、「辺境=静止している」というイメージがすぐに覆される。テントは移動し、群れは分けられたり再びまとめられたりし、ルートは草と雪と氷の状態に合わせて調整される。判断は共同で、そして実務的になされる。受け継いだ知識は、変わり続ける条件に照らし合わせられながら、日々試されている。子どもたちは、年の一部を寄宿学校で、別の期間を高地のキャンプで過ごすこともある。理解し合うのが簡単ではない二つの世界を、彼らは行き来しているのだ。サマド・ロクチェンのようなチャンタン高原の村々は、「継続」と「変化」の緊張を、政策文書よりもはるかに具体的なかたちで体現している。

ヨーロッパの旅人は、「移動=自由な選択」というイメージを抱いてここへやって来るかもしれない。だがここでの移動は、ライフスタイルブランドではない。仕事であり、責任であり、家畜と大地へのコミットメントだ。家族と一緒にキャンプを移す道のりを歩けば、ロジスティクスがどれほど徹底的に「必要なものだけ」にそぎ落とされているかが見えてくる。何を運び、何を置いていくか、そして最も弱い動物をどう守るか。リズムは厳しいが、その内側には深い帰属感がある。ここでは、大地は背景ではなく、長期にわたる交渉相手なのだ。

カルナク:移動と定住のあいだで揺れる共同体

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カルナクは、ここ数年、難しい移行の象徴として語られることが多くなった。かつては完全に遊牧だったこの共同体は、国家の政策や教育、都市への憧れに押されて、徐々に定住と新しい生業へと舵を切りつつある。とはいえ、古いルートやキャンプが完全に放棄されたわけではない。チャンタン高原の村々のなかでも、カルナクは二つのあり方――「移動に軸足を置く生き方」と「場所に根を下ろす生き方」――のあいだで交渉していることを、もっとも露骨に見せている場所かもしれない。

新しい定住地を歩けば、コンクリートの家やソーラーパネル、衛星アンテナといった、「現代的な希望」のインフラが目につく。一方で年配の人々は、ヤクの毛のテントだけで過ごした冬のことや、遠く離れた放牧地への長旅、ほとんど重ね着と頑固さだけで吹雪を乗り切った日のことを語ってくれる。若い世代は、試験や仕事、レーやさらに遠くへの移住といった言葉を口にしながらも、自分たちがかろうじて触れたに過ぎない暮らし方への複雑なノスタルジアをにじませる。チャンタン高原の村々は多かれ少なかれ同じ岐路に立たされているが、カルナクほど、その選択が目に見える形で表に出ている場所は多くない。

訪問者にとって、過去をロマンチックに、美化された現在を批判的に見る誘惑は強い。だが現実はそのどちらよりも複雑だ。定住の家は、安定や医療、教育へのアクセスといった、ヨーロッパの読者なら「当然の権利」と見なすものをもたらしてくれる。その一方で、雪や風や草についての膨大な知識――教科書には書ききれない種類の知恵――が失われつつある危険もある。カルナクの物語は、単純な「衰退」でもなければ、「進歩」のストーリーでもない。高原そのものと同じく、「望み」と「制約」、「記憶」と「勢い」のあいだで続いていく、長くゆっくりとした交渉なのだ。

4. これらの村々がラダックの未来について教えてくれること

保全と開発のあいだに走る緊張

チャンタン高原の村々のあいだには、日常のすぐ下を共通して流れている緊張がある。「生態系を守ること」と「経済を育てること」のあいだに働く引力だ。自然保護の視点から見れば、この高原は希少な高地環境であり、ユキヒョウや渡り鳥、特別な湿地の棲家である。行政の視点から見れば、ここは道路や通信、目に見える国家のプレゼンスが欠かせない国境地帯だ。村人たちは、放牧地を持続可能に保ちつつ、学校が機能し、子どもたちの将来が家畜だけに頼らずに済むような道筋を求めている。

こうした視点は、思いがけないところで衝突する。新しい道路は、サマド・ロクチェンの子どもが学校へ通うのを容易にしてくれる一方で、繊細な放牧地へ車の往来を増やしてしまうかもしれない。コルゾクでの観光振興は、現金収入という恩恵をもたらすが、同時に水資源や廃棄物管理に負荷をかける。ハンレのダークスカイ・ポリシーは、天文学と「暗い夜空」を求める旅人には朗報だが、村人が便利だと感じる灯りの一部を制限することにもなりうる。どのジレンマも、「伝統か近代か」という単純な二項対立には収まらない。むしろ、変わらずにいられないことを知りながら、軽々しく変わりたくもない地域が直面している、複雑な選択の連なりである。

アルプスやピレネーといった自らの山岳地域で、似たような議論を目にしてきたヨーロッパの読者にとって、チャンタン高原は共通点と警鐘の両方を示している。景観を守りながら、それを経済的にも成り立つようにする課題は、ラダックだけが解かなければならない謎ではない。しかしここでは、エコロジカルな、文化的な、そして地政学的な利害が、異常なほどぎゅっと凝縮されている。今後数十年のあいだに、これらの村とその周辺で下される決断は、高原が生きたコミュニティのモザイクとして在り続けるのか、それとも見た目だけは保存された「高地の博物館」へと傾いていくのかを左右するだろう。

高地におけるツーリズムの倫理的な重荷

ツーリズムは、チャンタン高原の村々に「友好的な顔」をしてやって来る。機会、収入、つながり――そんな言葉をまとって。ホームステイは家族に新たな収入源をもたらし、ガイドやドライバーには仕事が生まれ、地元の産品にも市場が開ける。しかしツーリズムは同時に、特に環境が繊細で、失敗が許されにくい場所において、大きな倫理的負荷をも運んでくる。ごみの処理、水の使い方、文化への配慮は、ここでは「オプション」ではない。高原がそもそも旅人を受け入れられるかどうかを左右する条件そのものだ。

無配慮な観光がもたらす危険は、想像上のものではない。ひと夏の利用過多が湖にもたらすプラスチックごみは、何十年も残り続ける。「秘密のスポット」を求める風潮は、準備ができていない――あるいは、そもそも「突然の注目」を望んでいない――村々にも人を押し込んでしまう。善意が裏目に出ることもある。ある訪問者は村を「プロモート」しようとSNSで発信するが、村人たちにとっては、もろく傷つきやすい小道に、さらに人の靴跡が増える未来として映る。チャンタン高原の村々におけるツーリズムの議論は、次第にニュアンスを増している。人々は恩恵を求めているが、その代償にも痛いほど敏感である。

倫理的な旅を望むヨーロッパの訪問者にとって、ここで求められる姿勢は少し違う。「この旅から何を得られるか」ではなく、「自分の存在が、少なくとも状況を悪くすることに加担しないためにはどうしたらよいか」という問いが出発点になる。旅程をゆっくり組み、快適さの水準に上限を設け、どこが「歓迎される場所」であり、どこはそうではないのかというローカルな判断を尊重することが必要だ。値切り交渉が当たり前の文化であっても、公正な料金を支払い、短期的な割引よりも、長期的に地域と結びついたパートナーを選ぶことも含まれる。チャンタン高原のもっとも大切な資源――静けさ、暗さ、時間のゆっくりとした流れ――は、「消費」しようとすればその瞬間に損なわれてしまうのだという事実を認めることでもある。

なぜチャンタンは、「本物の静寂」が残る最後の場所の一つになるのか

21世紀に入り、「静けさ」は絶滅危惧資源になりつつある。ヨーロッパの多くの田舎ですら、道路や飛行機、機械のうなりが絶え間ない背景音になっている。チャンタン高原の村々で最も印象的なことの一つは、「本物の、広く、途切れない静寂」が、いまもなおここでは可能であるということだ。プレイリストの曲と曲のあいだの演出された静けさではなく、谷をまたぎ、凍った川の上を渡り、長い冬の夜を満たしていくような沈黙である。

この静寂は、何もない空白ではない。氷の軋む音、遠くの犬の吠え声、尾根の向こうを移動する家畜の鈴のかすかな響きが折り重なっている。静けさは、あなた自身の思考の音量を増幅し、ときに心地よく、ときに居心地の悪い形で返してくる。ハンレでは、風がやみ、星々が誰にも邪魔されず燃える夜、静寂が耳にそっと圧をかけてくるように感じるだろう。スムドやトゥクジェでは、エンジンのない午後が、贅沢な贈り物のように思えることもある。チャンタン高原の村々は、静けさがいまだ「音風景」のごく普通の一部として残っている数少ない場所だ。ここでは、予約してお金を払って体験するものではない。

とはいえ、この静寂もまた壊れやすい。道路が増え、発電機が増え、携帯基地局が増える――それぞれの理由はよく理解できるし、どれもそれ自体が「悪」ではない。それでも、ひとつひとつの騒音の「増分」が、二度と取り戻せないかもしれない質を少しずつ削っていく。開発が音環境への配慮なしに進めば、「どこにでもあると思っていた静けさ」は、ここでさえ希少なものになってしまうだろう。だからこそ、チャンタン高原で慎重で負荷の低い旅を選ぶもっとも重要な理由は、野生生物や文化を守ることだけではないのかもしれない。「地球のどこかに、ほとんど何の音もしない場所がまだ残されている」という可能性そのものを守ることなのだ。

5. エピローグ:十分長くとどまった旅人に高原が残していくもの

注意深さと畏敬と「遅さ」を学び直す

チャンタン高原の村々で十分な時間を過ごすと、自分のなかで小さな変化が起きていることに気づき始める。最初のうち、あなたの注意はいつもと同じように振る舞う――ざっと見て、流し読みして、次に面白そうなものを探す。しかしこの高原は、そんな落ち着きのない視線には報いてくれない。大きなパノラマはすぐに目に入る。もっと時間のかかるのは、その陰に隠れた微妙な変化だ。一つの午後のあいだに斜面を移動していく光の筋、祖父母が部屋に入ってきたときに家族の会話のトーンがどう変わるか、地平線の上に雲が現れる前に、家畜の振る舞いにどんな兆しが出るか。

そんな場所にいると、いつの間にか「畏敬」が忍び寄ってくる。写真集のページをめくるときの抽象的な感嘆ではなく、「制約」に対する実務的な敬意だ。水を貴重なものとして扱うことを学び、暖かさが労働から生まれることを理解し、計画は常に暫定的であり、最後の一言は高原側にあるのだと受け入れる。ゆっくりしていることは、美学的な選択ではなく、生き延びるための戦略になる。高地で無理に速く歩くのは愚かであり、ニュースが通知よりも会話を通じて伝わる社会で、すぐに答えを求めるのも同じくらい賢明ではない。チャンタン高原の村々は、静かだが確固として、「良い暮らし」とは選択肢の多さではなく、コミットメントの深さにあるのかもしれないと教えてくれる。

加速に取り憑かれた世界において、「いま自分がどこにいるのか」を本当に見つめるために、もう一度じっくりと足を止めるよう求めてくる風景があるという事実は、それだけで静かな革命なのかもしれない。

高原の旅が変えるのは風景よりも旅人のほうだということ

旅はしばしば、「変容」の物語として語られる。辺境で数日、数週間過ごせば、これまでの習慣が根本から書き換えられるかのように。しかしチャンタン高原の効き方は、もっと控えめで、ある意味ではもっと誠実だ。辺境のチャンタン高原の村々を訪れたからといって、あなたの性格が丸ごと作り替えられるわけではない。中央暖房のありがたさや、時間どおりに走る公共交通機関への感謝が消え去るわけでもない。その代わりに起こるのは、いくつかの前提が少し緩むことだ。快適さが常に最優先であるべきだという思い込み、速さはいつでも利点だという感覚、つながりは常に通信速度で測れるという信仰――そういったものが、ほんの少しだけほどけていく。

ヨーロッパに戻ったとき、あなたは「距離」についての考え方が変わっている自分に気づくかもしれない。それは、征服すべきものというより、人間関係や責任が形を取る余白として感じられるようになる。コルゾクで人々が降雪について、経済予測と同じ真剣さで話していたことや、サマド・ロクチェンで一家が、カレンダーではなく家畜の暮らしに沿って年を組み立てていたこと、ニョマの子どもが、町への夢と、そこを離れることなど想像もしない祖父母への忠誠心を同時に抱えていたことを思い出すかもしれない。チャンタン高原の村々は、あなたが去ったあとも特別に気にかけることなく、日々を続けていくだろう。それでも、あなたのどこかは、なお彼らの周りをゆっくりと回り続ける。

おそらくそれこそが、この高原が最後に残してくれる静かな贈り物だ。自分を物語の中心に据えるよう迫るのではなく、「何が大切か」を測る別の物差しを差し出してくれる。一時的な新しさではなく、レジリエンスや注意深さ、分かち合うもろさに重みを置く物差しを。そういう意味で、この風景が変えるのは、あなたを圧倒することによってではない。あなたの物語が高原を包み込もうとする前に、高原のほうがそれより長く続いてきたのだと気づかせ、少しだけ小さくて、少しだけ本当の物語を書き直すように誘うことによってなのだ。

チャンタン高原の村々への旅についてよくある質問

これらの村を傷つけることなく、責任あるかたちで訪れることは可能ですか?
可能です。ただし、謙虚さと準備が必要です。村の事情をよく理解しているローカルパートナーと旅をし、シンプルな宿と限られた設備を受け入れ、分解されないごみは必ず持ち帰り、状況やコミュニティの判断によって計画を変更しなければならないときには、素直にそれに従う覚悟を持つことです。

ヨーロッパからの旅人は、どのくらいの時間をチャンタン高原で過ごすべきでしょうか?
短い寄り道ではなく、しっかりと時間をとるのが理想です。まずレーやその周辺で十分に高度順応するために数日を確保し、そのあとで複数のチャンタン高原の村々をまわる4〜6日ほどの旅程を組むとよいでしょう。そうすることで、旅は「駆け足のチェックリスト」ではなく、「深い出会い」に近づいていきます。

これらの村は家族旅行にも向いていますか?それとも、経験豊富な旅人だけに限られますか?
家族連れでも訪問は可能です。ただし、全員が健康で、しっかり高度順応しており、素朴な設備に慣れる覚悟があることが前提です。なにより大切なのは、ゆっくり旅をすること、ローカルの助言に耳を傾けること、そして無理をせず、安全と休息を野心より優先させることです。特に、子どもや高齢の方など、高地に敏感な人がいる場合はなおさらです。

訪問者は、自分たちの快適さとコミュニティの支えのために、何を持っていくべきですか?
暖かい重ね着と良質な寝具、リフィル可能な水ボトル、常備薬、そして学校用品のような、かさばらず現地で役に立つ小さなギフトがあれば十分です。大きくて扱いに困る贈り物は避けましょう。何より大切なのは、忍耐と柔軟性、そしてホームステイや小さな商店など、できるだけローカルな場所にお金を落とす意思を持って来ることです。

これほど繊細な地域で、環境への負荷を最小限にするにはどうしたらよいですか?
地域内の不要な航空移動を避け、可能な限り陸路を使うこと。ペットボトルの購入を減らし、給水スポットを利用すること。グループを小規模に抑え、大音量の音楽やドローンを控えること。そして、チャンタン高原の村々における自然保護、暗い夜空、低インパクトなインフラ整備を優先する取り組みを積極的に支援することです。

結びに――そっと訪れる者に高原が差し出すもの

チャンタン高原は、外からやって来た人によって「救われる」必要のある場所ではないし、「まだ誰にも発見されていない原始の荒野」でもない。ここは、家族が子どもを育て、僧たちが教義について議論し、牧夫が放牧地のことで折衝し、行政官が不完全な計画と格闘している、生きた風景だ。辺境のチャンタン高原の村々は、博物館に飾られた展示物ではない。気候政策から、隣人が家畜を何頭売るかという決断に至るまで、さまざまな力に揺さぶられながら現在を生きている、能動的な主体だ。

ヨーロッパから来る旅人が、そっと、謙虚にここを訪れるなら、高原は稀な機会を差し出してくれる。それは、「自分抜きでも続いていく物語の、小さな、敬意ある一部になる」という経験だ。高原が求めているのは、焦りではなく忍耐、見せ場ではなく注意深さ、消費ではなく互恵性だ。そうした条件を受け入れるなら、見返りは劇的な「自己変革の物語」ではないかもしれない。その代わりに得られるのは、もっと控えめで、それだけに長持ちする変化だ。快適さと意味の重さ、速さと深さ、騒音と静寂――それらのバランスをとるときに、少し違う天秤を使うようになること。

あなたが自分の町や日常へ戻ったずっとあとも、心のどこかはなお、東の方角を向き続けるかもしれない。距離がまだ飼い慣らされておらず、静寂がいまも重みを持ち、空の縁にある村々が、共同で生き続けるためのゆっくりと厳密な仕事を続けている、高原の方角を。

著者について

ディクラン・P・オコナーは、「ライフ・オン・ザ・プラネット・ラダック」のナラティブの声を担う書き手であり、ヒマラヤの静けさと文化、レジリエンスを見つめるストーリーテリング・コレクティブの一員です。彼はラダックで長い季節を過ごし、村の物語に耳を傾け、高い峠をゆっくりと歩き、「旅とは場所を集めることではなく、世界の見え方を学び直すことだ」と信じる読者のために書き続けています。